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琥珀色の心  作者: 柴垣菫草
第十二章 足洗い
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足洗い<9>

 昼を過ぎようとしていた。冴子の部屋の隅に、晴茂が姿を現した。圭介が小さなソファーの上で、窮屈そうに眠っている。晴茂は、冴子を探した。奥の部屋に気配がある。兄妹二人とも疲れたのだろう。ぐっすりと眠っているようだ。晴茂は、このまま寝かせておいた方がいいと考えた。


 その時、晴茂に朱雀(すざく)から念が届いた。イヌ鷲を見失ったようだ。まだ妖怪になったばかりのイヌ鷲だが、妖術の学習能力が高いと朱雀は言う。その力は、秒刻みで強くなっているらしく、四獣神で、見失ったイヌ鷲を探しているとの連絡だ。


「うん?」

榛名湖へ行こうとした晴茂の鋭い呪力が反応した。何者かが、晴茂を見張っている。気配は外だ。次の瞬間、晴茂の姿は消えた。こんな街中で呪術を使って戦う訳にはゆかない。晴茂は一気に遠くへ飛んだ。降り立った場所は、どこかの公園の中だろうか。樹木が繁り薄暗い場所だ。


「うん?」

まだ、何者かがいる。晴茂の呪術でも相手を振り切ることができなかったようだ。晴茂は、気配を断った。『霞の術』だ。目と鼻の先にいても気配がなければ、相手に気付かれない。雑念を捨て無の境地になれなければ使えない術だ。


 しかし、霞の術をかけた晴茂の前に空から舞い降りた者がいた。全身が黒く、腕には羽毛が生えている。顔は鋭い人間だが、口が尖り(くちばし)のようだ。眼光鋭く晴茂を見つめている。気配を断った晴茂を見ている。


どうやら、晴茂の『霞の術』が、この者には効かなかったようだ。術が効かない相手には、この霞の術は逆に危険だ。晴茂は、呪文を唱え姿を消した。


数十メートル離れた木の陰に隠れた晴茂だが、その男は依然として晴茂に視線を向けている。恐ろしく目が効く妖怪だ。晴茂は、玄武(げんぶ)、朱雀、青龍(せいりゅう)白虎(びゃっこ)の四獣神を呼んだ。四獣神は、各々が守護する方角から近づいてくる。最強の布陣だ。


 黒ずくめの男が声を出した。

「あなた方は、何者ですか」


どうやら、その男には敵意がないようだ。晴茂は姿を見せると、答えた。

「僕は、陰陽師 安部晴茂。あなたは、イヌ鷲の化身ですか」


「化身か何か分からないが、イヌ鷲です」


「安倍家の『霞の術』を見破ったのは、あなたが初めてです。どこで、そのような術を身に着けましたか」


「術?いいや、術なんかではありません。我々イヌ鷲の目では、あなたが姿を消そうが、気配を断とうが、関係なく追従できます。高い空の上から、地上の小さい獲物を見つけられなければ、我々は生きてゆけませんからね」


「なるほど…。あなたの目からは逃れられないのですか」

「そうです」

そう言って、イヌ鷲の妖怪はにこっと笑った。


どうやらイヌ鷲妖怪は、邪悪な妖怪ではないようだ。四獣神がじわじわとイヌ鷲に近づいている。

「その…、周りから迫ってくる化け物も、あなたの仲間ですか」


イヌ鷲は、とっくに気付いている。晴茂は、驚いた。こんな凄い妖怪は知らない。晴茂は、四獣神に姿を見せるように指示をした。北に玄武、南から朱雀、東は青龍、西に白虎。イヌ鷲を囲んで姿を現した。イヌ鷲は全く驚く様子がない。


「陰陽師さん、なぜわたしを追っていたのですか。わたしを囲んでいる化け物が、わたしを探し、見張っていたのは知っています。なぜですか」

落ち着いた声でイヌ鷲は聞いた。


「化け物…?俺たちが化け物だと?」

白虎が牙を剥いて威嚇した。青龍、玄武、そして朱雀までも、イヌ鷲に対して攻撃の構えを見せた。

「まあ、待てよ、白虎」

晴茂が四獣神を制した。


「あなたには少しも敵意を持っていません。ただ、あなたを退治して欲しいと古狸(こり)に頼まれました。あなたが、古狸を襲ったと聞きましたが、…」


「わたしは古狸など襲いませ、…。ああ、あの時の…、古狸(ふるだぬき)ですか。あれは、…襲ったのではありません。わたしの妖力がどの程度強くなったのか、試しただけです。いやぁ、とは言っても、わたしはイヌ鷲、狸を見れば身体が勝手に動いてしまいますがね」


「そうだったのですか」

晴茂は、妖怪イヌ鷲の言葉に嘘はないと感じた。


「あなたは、いつ頃、妖怪に変化(へんげ)したのですか」

変化(へんげ)した?いいえ、わたしはすき好んで妖怪になった訳ではありません。無理やり妖怪にさせられたと言うか…」


「…」


「術をかけられたのです、知らぬ間に」

「ええっ、術をかけられて妖怪になったのですか?誰が、術をかけたのです?」


「いや、誰と言われても…、名前は知りません。

強固な(よろい)を着こみ、頑丈な(かぶと)(かぶ)った、すばしっこい猿ですよ」


「えっ!」


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