足洗い<8>
晴茂は、イヌ鷲妖怪を探すことにした。そして、分福茶釜の古狸には、足洗いの古狸に事情を話し、今の時代では足洗いの怪事は成り立たないので止めるように言ってほしいと頼んだ。
晴茂は、青龍、白虎、玄武、朱雀の四獣神を呼び、イヌ鷲の妖怪を探すように指示した。四獣神は、それぞれ東西北南の方角へ散った。妖怪に変化したイヌ鷲なら、すぐに見つかるだろう。晴茂は楽観視していた。案の定その日の夜、白虎からイヌ鷲の妖怪発見と連絡があった。
晴茂と琥珀は、白虎が待つ榛名湖の西岸に飛んだ。大きなイヌ鷲が檜の梢に静かに留まっている。
白虎は、夕刻に榛名湖畔でぴょんぴょんと跳ねるように歩く若い男を発見した。猫に化身した白虎が物陰から近づくと、男は異様に鋭い眼光で白虎を睨みつけた。白虎は気配を消しながら近づいたのだが、その男は容易に猫を発見したのだ。
その距離、約五十メートルだったが、白虎は微かな妖気を感じた。少し離れながらその男の様子を観察した。暫くはぴょんぴょんと動き回っていたが、そのうちに男は大ジャンプを敢行した。人間とは思えない飛翔だが、空中で両腕を広げて見せた。その腕は、人間の腕と鷲の翼とが交互に変わりながら、空を飛んだのだ。これで白虎はイヌ鷲の妖怪に間違いないと確信をし、晴茂に知らせた。
「晴茂殿、イヌ鷲はまだ妖術を使いこなせていませんよ。退治するなら今のうちです」
「そう言っても、イヌ鷲の妖怪がどんな妖怪なのか、まだ分かっていない。邪悪な妖怪なのか、どうかも…」
晴茂にしても、白虎にしても、イヌ鷲の妖怪は聞いたことがない。知識がないのだ。晴茂は白虎に、玄武、青龍、朱雀を加えて、四獣神でイヌ鷲を見張るように言った。
「これまでに現れたことのない妖怪だ。どのような動きをするのか、分からない。四獣神で慎重に見張ってくれ」
晴茂と琥珀は、一旦分福茶釜の古狸が棲む神社に戻った。古狸の神主は留守だった。おそらく、足洗いの御手洗家に行ったのであろう。晴茂は社務所を借りて、そこに太陰と天后を呼んだ。
「お呼びでしょうか、晴茂様」
天后はすぐに現れたが、太陰が来ない。やや遅れて太陰が現れた。
「お呼びでしょうか、晴茂様、…うぃっ」
太陰は、すでに酔っ払っている。
晴茂は二人の式神にイヌ鷲の話をした。
「イヌ鷲の妖怪は聞いたことがありません。猛禽類ですから、獰猛なのでしょうか。どうですか、太陰さん。イヌ鷲の妖怪って、どんな格好をしている?」
「イヌ鷲ですかぁ、…あの空を飛ぶ、鷲ですわね」
太陰は、考え込んだような顔をしたが、目が笑っている。
「天狗ですわ。」
「ええっ?天狗?鷲の妖怪って天狗ですか」
琥珀が驚いた。
「天狗はね、琥珀ちゃん、大天狗と烏天狗に分かれるのよ。琥珀ちゃんが脅された鞍馬の僧正坊は、大天狗よ、ほらっ、顔が赤くって鼻が高かったでしょ。でも鳥の顔をした烏天狗っていうのがいるの。烏天狗は、八咫烏の化身がほとんどだけど、鷲の化身の天狗もいるって聞いたわ」
「そうか、烏天狗は八咫烏だけだと思っていたが、鷲もいるのか」
晴茂は、太陰の言葉を待った。
「確か、…、甲府湯村温泉を見つけたのは鷲の化身。その鷲が天狗に化身してね、通りかかったお武家さんに武道の戦いを挑んで肩を切られたのね。そうしたら数日後に温泉に湯治に来たらしいわ。そんな話もありますから、おそらくは烏天狗のような姿に化身していると思いますわ。」
「通りかかった人に戦いを挑んだというからには、乱暴者なのか?」
「いいえいいえ、天狗様ですからね。悪い妖怪ではないでしょう。悪戯はするかもしれませんけれど…」
「でも、古狸は退治してほしいって、頼んでいたけど…」
琥珀が聞いた。
「うぃっ、…そりゃあ、そうですわ、琥珀ちゃん。狸にしてみれば、イヌ鷲は恐ろしい天敵ですもの。それが妖怪になったら、狸は手の打ちようがないですわ」
琥珀は納得した。
「天后、すぐに飛んで四獣神に今の話をし、イヌ鷲は烏天狗に化身すると伝えてくれ」
「はい、晴茂様。烏天狗なら、…対応の仕方も分かります」
そう言って天后は姿を消した。
晴茂は、古狸妖怪の話しも太陰に聞いてみた。
「そうですわねぇ、…狸は、数え切れないほどの話が残されてますわ。何か異変が起ると、狸や狐の所為にしてきましたからねぇ。狸や狐の妖怪は、人間に化けて、人間と一緒に暮らしますでしょ、それが厄介ですわ」
「しかし、狸の妖怪は、そんなに悪いものではないよな」
「ええ、楽しい妖怪ですわ。狐の妖怪より、ずっと大人しいですし」
「狸の妖怪は、戦いの術を持たないと言っていたが、…」
「あらっ、分福茶釜の狸が、そう言ったのでしょ。ほほほ…、狸は、もちろん弱いですわ。ですけれど、狸は何にでも化けますでしょ。化ける術では、妖怪の中でも群を抜いていますわ」
「もちろん、それは知っている、太陰」
「いえいえ、狸妖怪の変化術は、恐ろしいですわよ」
「うん?…」
「妖怪は他の姿に化けるものが多くいますけれど、狸は変化して、そのものに成り切れますわ。例えば、もし分福茶釜の狸が、晴茂様に化けると…、あらっ大変! 狸は、晴茂様と同等の力を持ちますわ」
「何?そんな変化が、できる…」
「はい、理論的には…、ですけれどもね、ほほほ…。もちろん、狸が晴茂様に化けても、呪術は使えないでしょうし、心まで晴茂様には変わりませんから、無理ですけれど…。身体の形は当然ですけれど寸分狂わず化けますでしょ、そして身体の動きも寸分狂わず同じ、だから力も同等にできますわ」
「感情や知識や経験などの心の部分以外は、全く同じに化けるということか? それは、呪術で式神を作るのと同じではないか?」
「そうですわ。しかし、狸は自分自身が化身するのですよ。戦いに弱いはずはありませんわねぇ。狸が日本一の剣術士に化ければ、それはもう、身のこなし、剣の構え、剣の扱い、全てが同じ日本一の剣術士ですわ」
「なるほど…。あながち弱いとは言えないな」
「はい、そうですわ」
成る程、古狸は戦いの術を持たず弱い存在だが、何に化けるかによっては強くなるということだ。さすがに分福茶釜の古狸だ。上手く騙されるところだったと、晴茂は感心した。晴茂は、四獣神とつなぎを取った。イヌ鷲は、榛名湖西岸にまだ潜んでいる。
晴茂は、一旦冴子のアパートへ戻ることにした。圭介も心配だ。琥珀に、分福茶釜の古狸の様子を監視するように指示をし、晴茂は冴子のアパートへ向かった。




