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琥珀色の心  作者: 柴垣菫草
第十二章 足洗い
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足洗い<7>

 晴茂は唐突に現れた。老人が座る岩の正面にすっと天から舞い降りたのだ。その尋常ではない晴茂の出現を見ても、老人は平然としている。老人は暫く晴茂を観察していたが、おもむろに言った。


「やはり、桔梗(ききょう)紋の陰陽師殿でしたか」

「分かりますか、桔梗紋と…」


「はい、分かりますとも。なにせ、そのお嬢さんの持つ杖は、大昔に同じようなものを見ました。それは安倍晴明(せいめい)様がお持ちでした。あなたは、晴明様に所縁のお方ですか」

「安倍晴茂と申します」


「ほっほお、安倍の裏宗家様でしたか」

これは、分福茶釜(ぶんぶくちゃがま)古狸(こり)に違いないと、晴茂は考えた。


「あなたは、…狸の化身、御手洗家で掛け軸の封印を解いた古狸ですね」

「はい。今は、伊香保にある小さな神社の神主をしております」


「その昔に、茂林(もりん)寺にいた守鶴(しゅかく)というお坊さん、分福茶釜の古狸ですよね?」

琥珀が、念をおした。


「ほっほお、お嬢さん、よくご存知で、…。そんなこともありました」

「なぜ、九字(くじ)紋の結界を破って、御手洗家の古狸を野に放ったのですか?」

そう聞く晴茂に、老人は言った。


「こんな場所で、そんな難しい話はできません。安倍の裏宗家様なら大歓迎じゃ。わたしの神社へ来て下され。そこでお話をしましょう」

老人は岩から立上り辺りを見渡してから、すっと姿を消した。


晴茂も琥珀も、その後に続いた。伊香保の森林公園の中で、木々の梢を渡って進む三筋の靄が見えた。ややあって、伊香保の町から北に外れた山の中に小さな神社があり、その参道の鳥居の脇に老人が現れた。老人とは思えぬ機敏な足の運びで、社務所へ向かう。その後を、晴茂と琥珀が続いた。社務所に入った三人は、老神主の煎れたお茶を飲みながら話した。


「安倍裏宗家の陰陽師殿であれば、是非ともわたしにお力を貸して頂きたい。お力を借りることができるなら、九字紋で封印された古狸を、これ以上復活させる必要はありません」

そう言って古狸は深く頭を下げた。


 妖力を持ったほとんどの古狸は、明治時代までに九字紋で封じられた。この分福茶釜の古狸は、人間に化けて普通の生活をし、芦屋家陰陽師から逃げおせたのだ。明治以降は古狸を封じるほどの呪力を持った九字紋陰陽師がいなかったので、日本では数頭の古狸が残っており、それぞれ人間界で平和に暮らしているという。


ところが今年に入って、狸の天敵であるイヌ鷲に妖力を持つものが出現した。分福茶釜の古狸も、そのイヌ鷲に一度襲われたのだ。そのイヌ鷲は、まだまだ妖力が弱く、妖怪になったばかりだと思われるが、これが強くなると脅威になる。


そもそも、鷲や鷹が妖力を持って妖怪に変化(へんげ)することは、非常にまれな出来事だ。千年に一度あるかないかと聞いていると分福茶釜の古狸は言う。


このイヌ鷲の妖怪がまだ力の弱い内になんとか退治しなければいけないのだが、ひとりで立ち向かうには無理がある。そこで、分福茶釜の古狸は、封印された強い妖力を持つ古狸を集めてイヌ鷲を退治するつもりだったようだ。その手始めに御手洗家の掛け軸に封じられていた『足洗い』の古狸を結界から出したのだ。


「イヌ鷲の妖怪とは、わたしも聞いたことがありません。どのような妖怪でしょう」

晴茂は、分福茶釜に聞いた。


「はい、眼光鋭く、手足には鋭い爪を持って、当たり前ですが空を飛びます。わたしは伊香保の森林公園の中で、ふいに背後から襲われました。わたしは、守鶴と名乗って僧をしていた時、油断から化け狸と見破られたことがあり、その反省で今では周りへの注意は怠っておりません。


しかし、そのイヌ鷲の妖怪は気配もなく背後に現れました。わたしは煙幕を張って逃れましたが、やつの妖力が強くなれば煙幕などでは逃げられないでしょう。


わたし達、狸の妖怪は、攻撃をする術を持ちません。妖術を駆使してイヌ鷲を誑かし捕獲するしかありません。どうか陰陽師殿、イヌ鷲の妖怪を退治してもらえんでしょうか」

分福茶釜の古狸は、再び頭を下げて晴茂に頼んだ。


「まずはご老人、そのイヌ鷲を探しましょう。それからどうするか決めることにしましょう」

古狸の老人は、ありがたいと言ってしきりに頭を下げた。


「ところで…、ご老人は、晴明に会っているのですね。琥珀の杖と同じような杖を見たと、…」


「はいはい、安倍晴明殿に会っております。わたしが妖怪になったすぐの時です。その頃は、まだ近江の国におりまして、妖術を使うのが楽しくて人を騙してばかりしておりました。


そんな化け狸が噂になったのでしょうか、二人の陰陽師がやって来たのです。わたしは危うく芦屋道満に封じられそうになったのを、晴明殿に助けられました。その時に晴明殿と約束をしました。人を騙すだけではなく、人の助けになるような術の使い方をします、とな…。


その時、晴明殿が、それと同じような杖を持っておられました。もう少し、長かったかのお…。


わたしは、それ以来、ずっと僧に化けて人助けをしてきました。芦屋道満(どうまん)に見つからぬように、この東国に流れて来たということです。


ご存知の分福茶釜の一件から、やたらに有名になってしまったので、それ以降は神主に化けております。こんなに長生きができたのも、晴明殿に助けられたお陰じゃ。しかし、その長生きが祟ったのか、イヌ鷲の妖怪に遭遇することになってしまった。日本にいる狸の為に、イヌ鷲を退治できるのであれば、この命はもう尽きてもよいと思っております。」


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