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琥珀色の心  作者: 柴垣菫草
第一章 予兆
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予兆<21>

 晴茂は、崖に囲まれた窪地に入ったが、様子がおかしい。しかも、ものすごい妖気だ。見ると、窪地は密林の様に木々が生い茂っている。そして、天空が地下から出ている木の根に絡め捕られようとしていた。天空は土神だ。土神は木に弱い。


『天空!』 晴茂は叫ぶと、ありったけの気を集めて騰蛇(とうだ)紅蓮(ぐれん)の炎を放った。『騰蛇よ、この密林を焼き尽くせ!』 空からも無数の鬼火が降ってきた。騰蛇の炎と鬼火は一体になり、密林を焼き払ってゆく。天空は焼ける木の根に放り出された。天空剣が木の根から外れたのだ。晴茂は傷つき倒れている天空に駆け寄った。手にはまだ天空剣がしっかり握られている。

「うん、天空剣さえ握っておれば、こいつは大丈夫だ」


 谷を埋め尽くしていた密林の木々は騰蛇の業火で焼き尽くされた。焼け跡には妖気の弱まった九尾がいた。晴茂は、九尾に向き合うと追いつめて行った。九尾は妖気を回復するためにも後退りするしかない。両者は一定の距離を置いて、目線を合わせながら谷の奥へと動いた。


 すると、突然、弱まったとはいえ油断のならない九尾の妖気が消えた。『えっ!』 晴茂は戸惑った。『妖気が消えた!』 九尾から妖気がすっかり消え、無防備だ。こんな状態の身体も弱った普通の狐なら、陰陽師でなくとも捕えられる、と思うほどだ。しかし、九尾は老獪(ろうかい)なキツネだ。これも妖術のひとつかもしれぬ、と晴茂は気を引き締め谷の奥へ追い込んだ。ここまで追い込めばいいだろう。


勾陳(こうちん)の出番だな。晴茂は崖の上で待つ勾陳に念を送ると、さっと後ろに舞い飛び、天空の倒れている場所までさがった。九尾は異変を感じ、再び妖気を集めたが、すでに遅い。四方の崖が崩れ、頭上からは土砂が降ってきた。あっと言う間の出来事だった。岩と土砂でその谷は埋め尽くされた。九尾は呑み込まれてしまった。


 勾陳も金色の(うろこ)を輝かせて、降りてきた。

「晴茂様、うまく九尾を生き埋めにしましたね」

「ああ、しかし強いやつだなあ、九尾は。勾陳、天空を介抱してやってくれ。私はこの谷に結界を張る」

晴茂は谷を埋め尽くした岩の上に立つと、呪文を唱え始めた。


あれだけの九尾を封印するには強力な結界が必要だ。谷全体に五芒星(ごぼうせい)の結界を張ることにした。呪文は五行の『木』。次は谷の右奥の岩へ飛び、呪文を唱え五行の『火』、次にそこから右奥の岩で五行の『土』、そこから又右奥の岩で五行の『金』、更に右奥で『水』。


五行相生の呪文、木、火、土、金、水を唱え終え、再び元の『木』の岩へ飛んだ。この五行を最後に印で結べば結界が完成する。晴茂が呪文を唱えながら印を結ぼうとした時、谷の真ん中の岩が動き、九尾が飛び出した。


『あ、まだ動けるのか。九尾』 九尾は、晴茂の目を見つめている。晴茂は右手で白虎の光線を放とおとしたが、いや、待て、何かが違う。

『ううっ、妖気がない。こいつ、妖気を失ったのか?』

その時、遠くから晴茂の心に女の声が聞こえた。

「晴茂殿、そなたが晴茂殿じゃな」


晴茂は辺りを見回した。誰もいない、誰も感じない。

「晴茂殿、あなたと戦う気はありません」

「な、何?この声は九尾か?」

「そうです。目の前にいる九尾のキツネです」


その時、天空を介抱していた勾陳が九尾の姿に気付いた。九尾が谷の真ん中の岩上にいる。まだ、戦えるのか、九尾は…。

「おお、また九尾が出てきた」

その勾陳の声に意識が戻りつつあった天空が反応した。

「なに?九尾が?」

晴茂の背の向こう側にいる九尾を見ると天空は、「喰らえっ!とどめだ!」と言うと、天空剣を九尾に向かってびゅんと伸ばした。ほとんど反射的な行動だった。目にも留まらぬ速さで剣は晴茂の横を伸びていった。


「やめろ!天空っ!」

九尾は妖気を消している。天空の強烈な一突きは防げない。

「九尾!飛べ!」

とっさに晴茂は九尾に叫んだが、妖気を消し、戦いに疲れた九尾には、天空剣を防ぐ手だてなどない。晴茂は天空剣が九尾を突き刺す寸前に目を閉じた。『九尾、すまない』と、なぜか心の中で晴茂は九尾に詫びていた。


 ガシャと晴茂の横で音がした。


 晴茂が目を開けると、足元に天空剣の剣身が落ちている。


 九尾の方を見ると、九尾に届く寸前で天空剣の切っ先は止まっている。

 天空は?と振り返ると、剣の切っ先が何者かに突然、(さえぎ)られた反動で、伸びている剣の柄を持っていた天空は数十メートルほど後ろに飛ばされ、再び気を失っていた。


 晴茂は(にわ)かには何が起こったのか理解できなかったが、天空剣の切っ先が九尾に届く寸前で止めた者がいる。天空が全気力を使って伸ばした天空剣を止められるのは、ただ者ではない。


 九尾の手前をよく見た晴茂は、目を疑った。

 「あれは…、護身の五芒星ではないかっ!」


 五芒星を放てることができるのは、晴茂しかいない。

 『僕は五芒星を放っていない』と晴茂は思った。

 無意識に五芒星を放ったのか。『いいや、僕ではない』晴茂は、呟いた。


 しかし、よく考えると桔梗(ききょう)紋五芒星を扱えるのは、もう一人いる。

「親父、…か?」

晴茂が小さく呟いたと同時に、九尾の横に晴茂の父、時晴の姿が現れた。


「晴茂、式神十二天将が使えるとは立派な陰陽師になったな」

「どうして、ここへ?」

なぜ親父が、…ここにいるのだ。九尾を助けたのは、親父か、…。

異獣(いじゅう)が知らせてくれた」


 晴茂は、九尾にまつわる一連の疑問が解けた気がした。

「あっ、やはり九字紋の結界を解いたのは、…」

「そうだ、私だ」

「なぜ、…」

「天空を見てやれ、琥珀もだ。後は家で話そう。今夜は家に帰って来い」


時晴は、そう言い残すと九尾と姿を消した。晴茂の頭の中は、次の疑問で一杯になった。なぜ親父は最強妖怪のひとつである九尾のキツネを解放したのか、…。


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