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琥珀色の心  作者: 柴垣菫草
第十一章 一言主
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一言主<10>

 アパートに戻った晴茂を、琥珀は食事を用意して待っていた。にこやかに笑う琥珀の顔を見て、晴茂はやはり琥珀を破壊するような事態を起こしてはいけない、と再確認したのだ。既に、昼間近だ。ふたりは朝食とも昼食とも分からない食事を楽しく採った。


瀬織津姫(せおりつひめ)様って、すごいパワーですね、晴茂様。琥珀が、石に戻ったあの時、何かあったのですか?」


「いいや、別に何もなかったよ」


「そうですか。でも、あの光が琥珀の身体にまとわりついた時、身も心も洗われるような清らかな気持ちでした。なんていうか、自分が真っ白になるような、…」

「そうか」


 夕刻になって、六合(りくごう)がふたりの前に現れた。手には古びているが頑丈そうな杖を持っていた。


「晴茂様、これが例の杖だろうと思います。しかし、この杖からは何も感じません」


晴茂は、太陰(たいおん)が言った土蜘蛛(つちぐも)の杖を手にした。六合が言うように、何の変哲もない木の杖だ。邪気も霊気も何もない。土蜘蛛族の領袖が持った杖にしては、やや期待外れだ。


「ふうぅん、これがその杖か」

杖の端から端まで探ったが、ただの木の杖としか思えない。


「それは?なに?六合さん」

琥珀が、聞いた。


「うん。これは土蜘蛛の杖と言って、一言主(ひとことぬし)葛城(かつらぎ)族に伝わる貴重な杖と聞いている」

晴茂が、琥珀に説明した。


「これから、役小角(えんのこづぬ)一言主(ひとことぬし)などと関わって行くことになるので、役に立つかもしれないという太陰の智恵だ。これは、琥珀に持っていてもらおう」


 晴茂は、琥珀にその杖を差し出した。琥珀がその杖を握った途端、杖に触れた琥珀の手の平や指にほんの僅かな、静電気が走ったような感じがした。琥珀は、しかし、それをほとんど気にしなかった。その異変に気が付いたのは、むしろ晴茂だ。土蜘蛛の杖を琥珀が触った時、一瞬ではあるが、木の杖に生気が満ちたのを晴茂の手が感じた。


「琥珀、もう一度、その杖を見せてくれ」


晴茂は、琥珀から土蜘蛛の杖を奪うように手にして、再度探ってみた。やはり何も感じない。

「晴茂様、何か?」

その様子を見ていた六合が聞いた。


「いいや、何でもない。はい、琥珀」

晴茂は、そう言いながら杖を琥珀に渡した。


「うわぁ、この杖、ほら琥珀の手にぴったりだわ。これって武器になるのかしら。でも、木の杖だから、すぐに折れるかなあ。晴茂様、これ、ずっと琥珀が持つね」


琥珀は、その杖を大層気に入ったようだ。頭の上にかざしたり、杖の先っぽでテーブルを叩いてみたりしている。晴茂と六合は、はしゃいでいる琥珀を複雑な心境で見ていた。


 その時、三人の顔が引き締まって、部屋の隅に目を投げた。

「あら、太陰さん?大裳(たいも)さんも…」

琥珀が言うと同時に、部屋の隅に太陰と大裳が姿を見せた。


六合がすかさず太陰に言った。

「太陰、先ほどは勝手に姿を消しおって、晴茂様に失礼だ」


「ああら、六合さん、わたしは考えをまとめに戻ったのですわよ。六合さんがいると、考えがまとまらないの」

「何を言うかっ!」


六合の声に耳を貸さず、太陰は琥珀の持つ杖を見た。


「おや?土蜘蛛の杖ね。六合さん、よく見つけたわね」

「あぁあ、すぐに所在は分かった」


「ほほほほ、やはり大江(おおえ)山の鬼嶽稲荷(おにたけいなり)神社に、ありましたのね」

「ああ、そうだ」


「琥珀が持つと、それなりにりっぱな杖ですわねぇ。気に入りましたか、琥珀」

「はい、太陰さん。ほら、ぴったり手に馴染むでしょ」

「それは、良かったですわ」


晴茂の方を向き直って、太陰は頭を下げた。

「晴茂様、先ほどはご無礼を致しました」

「智恵は出たのか?」

「はい、大裳を連れて参りましたわ」

大裳が晴茂に頭を下げた。


「アマテラスとか、葛城族とか、天河(てんかわ)大弁財天(べんざいてん)とか、古い話ばかりなので、大裳に聞いてみましたわ。


さすがに大裳ですわ、そのあたりの情報もきちんと整理されてて…。まず、荒御魂(あらみたま)のお話をなさって、大裳さん」


大裳が晴茂の方を向いた。


「晴茂様、わたしの知る限りの情報をまとめますと、晴茂様が会われた天河大弁財天(てんかわだいべんざいてん)は偽物でしょう。従って、洞窟で晴茂様に語りかけたという弁財天の化身も偽物でしょう」


「えっ、あれは偽物?」

「嘘でしょ?あの瀬織津姫(せおりつひめ)は…、邪悪な気はなかったけど…」

晴茂も琥珀も、大裳の説をにわかに信じられなかった。


「まず、神々には和御魂(にぎみたま)荒御魂(あらみたま)があることはご存知でしょう。どんな柔和な神にも悪を懲らしめる荒ぶる面が必要です。それが荒御魂(あらみたま)ですが、和御魂(にぎみたま)荒御魂(あらみたま)は神の表裏であって同じ御魂(みたま)です。


もし、瀬織津姫命(せおりつひめのみこと)がその化身を封じられれば、和御魂(にぎみたま)であるアマテラスの知る所になります。アマテラスはこの国の皇祖神であって征服神です。アマテラスが知れば、どんな封印も無力です。


いまだに瀬織津姫命(せおりつひめのみこと)の化身が封じられているはずがありません。起りようのない話を晴茂様に告げた瀬織津姫(せおりつひめ)、あるいは天河弁財天は、従って偽物です」


大裳はきっぱりと言い放った。


「そうなんですよ、晴茂様。わたくしが()に落ちなかったのは、まさにそこでしたわ。わたくしは、なぜ瀬織津姫(せおりつひめ)が嘘を言うのだろうと考えたのですけれども、偽物なら合点がゆきますわ」


「なる程、そうか。で、それは何者で、何故そのような嘘を…」


「はい、そのことですが、まず、なぜ嘘を吐く必要があったか…」

大裳は続けた。


蟷螂(とうろう)の岩屋に一言主が封じられているのは確かかもしれません。


晴茂様が岩屋の中で感じた疑問がありました。それは洞窟全体が均一に異様な気で満たされていることです。それは、力のある者が一歩でも洞窟に入れば、その途端にその者を封じてしまおうという意図で施された術でしょう。


洞窟の入り口は一か所に限りません。また、天変地異が起って新たな入り口ができるやもしれません。それを見越して、洞窟内全ての空間に呪いの封印をかけたのでしょう」


「しかし、僕は洞窟に入って、出てきたぞ」


「はい、晴茂様は呪いの封印を超える力をお持ちでした。封印をした者の想定を超える力をお持ちだったのでしょう。だから、洞窟に入っても何事も起らなかった。


晴茂様をまず洞窟から追い出し、その後に晴茂様を討ち取る算段をつけようとした。それが、天河大弁財天の化身と称して晴茂様に告げた第一の嘘です」


「琥珀が、洞窟に入れなかったのは?」


「琥珀は、洞窟に漂う異常な気を察知し、それが自分には危険な気だと無意識に気付いた。おそらく、琥珀が無理をして洞窟に入れば、呪いの封印を受けていたでしょう」


「わたしが、未熟だから…?」


「いいえ違いますよ、琥珀。あなたはね、無意識とはいえそこまで察知できていたのだから、りっぱな式神ですわ。無鉄砲な天空(てんくう)なら洞窟に飛びこんで、呪いで封じられたはずですわ」

「おいおい、天空がいないからって、欠席裁判はいかんぞ」

六合が太陰をたしなめた。


「そして、天河大弁財天に化けた何者かが、もう一度、晴茂様を洞窟へ行かせようと嘘の話を聞かせた。既に、蟷螂の岩屋には、晴茂様を待ち受ける罠が張り巡らされているはず。そして、呪いの封印をかける手筈(てはず)でしょう」


「ふぅむ、…。もしそうなら、これは恐ろしい敵だなぁ。すると、アマテラスや瀬織津姫(せおりつひめ)は、無関係なのだろうか」


「はっきりとは言えませんが、おそらく無関係でしょう。日本の征服神であり最強の神であるアマテラスが関係しているならば、既に事件は解決されているはずですから」


「そうだなぁ。そりゃあ、そうだ。では、何者が…」


「普通に考えれば、役小角ですわね。呪術でもなく、法術でもなく、霊術でもない、そんな呪いをかけられる者は、今も昔も役小角ですわ」


そう言う太陰に六合が言った。

「しかし、役小角は放逐されたと聞いているが、…」


大裳が答える。


「はい、放逐されたことにはなっていますが、その証拠がありません。但し、役小角は、大和朝廷に刃向ってアマテラスに放逐された者です。もし、未だにその魂が残っているのなら、アマテラスが気付くはず。役小角の魂が残っている証拠も、また、ありません」


太陰は、首を振りながら大裳の話しに割って入った。


「そこは、わたくしと大裳の意見が分かれるところですわ。わたくしは、役小角がいようがいまいが、その者がかけた術と考えて対処すべきだと思いますわ。


大裳は、他の可能性も考えるべきと仰るのですけれど、それって雲を掴むようなもので、どのように対処すればいいか分かりませんわよ」


「あっ!餓鬼坊(がきぼう)じゃない?その偽物は…」

琥珀が言った。


「琥珀、わたくしもそれは考えたの。でも、そもそも餓鬼坊(がきぼう)って、偽物の弁財天が言ったのよね。だから、それも嘘っぽいですわ」


しかし、琥珀が続けた。

「蟷螂の岩屋の崖の上で、川童(かわわらわ)らしき者の影を見たんです。弁財天は、餓鬼坊って、式神川童の統領だって言ってた」


「おやっ、琥珀、川童を見たの?」


「ええ、…いいえ、川童らしき、影を。でも、臭いが川童と同じだったけど…」


「そうか、餓鬼坊という川童の統領がいるとすれば、役小角の遺恨を受け継いで蟷螂の岩屋を守っている可能性はあるか」

大裳も、岩屋にかけられた呪いが、役小角によるものかと考え始めていた。


 しかし晴茂は、分からない敵を相手にしなければならないと覚悟を決めた。役小角の術や強さは未知数だ。安倍晴明(あべのせいめい)も分からないと言っていた。しかし、ある程度は予測しなければ事を起こす訳にはいかない。


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