一言主<3>
琥珀が龍泉寺へ戻ると、既に晴茂が例の龍の口の前にいた。
「晴茂様、山の方はどうでしたか?」
「そうだな、異様な修験者は見つからなかった。別に気になる所もなかったよ。そっちは?」
「はい、蟷螂の岩屋に行ってきました。この観光パンフレットに伝説が書いてあります」
琥珀はパンフレットを晴茂に渡した。
「ほおぉ、大蛇を法力で封じたのか」
琥珀は、蟷螂の岩屋での出来事を話した。
「琥珀が気に圧倒されて、洞窟に入れなかったのか。それは、凄い。法力が満ちていたのか?」
「法力なら、鞍馬の天狗、僧正坊の力を知っています。あれは、琥珀が知っている法力ではありません」
「そうか。でも、あの時も、琥珀は僧正坊の法力で足がすくんでしまい、動けなかったぞ」
「もうっ!晴茂様。あの時の琥珀とは違います」
「あははは、ごめん、ごめん。洞窟の気は天狗の法力ではないと言うのだな」
「はい、晴茂様」
「別の法力か、例えばこの聖宝大師の法力のような…。大蛇を封じたのが事実で、今もその力が続いているのなら、千年以上持ち堪えている法力と言うことだ。
一言主にかけられた役小角の呪いも千年以上続いているといわれる」
「それに、…」
琥珀は見失った黒い影の話をした。
「川童か」
「はい、確認できていませんが、おそらく川童だろうと思います」
「この付近にも川童は生息しているのか。よし、今夜その岩屋に行ってみよう」
陽が暮れてから晴茂と琥珀は蟷螂の岩屋へ飛んだ。さすがに夜は、洞窟の入り口が不気味に見える。ふたりにとって明暗は関係がないが、辺りは結構暗い。洞窟の前で、昼間に琥珀がやったように、晴茂が腰を屈めて中を見た。
「うん。確かに強い力を感じる。これは、…?」
「そうでしょう?晴茂様は、大丈夫ですか?圧倒されませんか?」
「邪悪なものではない。これは、おそらく…仏…の、気か?」
「仏?」
「仏の気なら、法力ではないのですか?」
「法力は、仏に帰依して修行を重ねた者が得る力だ。元々の仏の力ではない」
「では、この洞窟には、本物の仏の力が満ちているのですか?」
「ああ、そうかもしれない」
「へえ…。仏の気が、なぜ琥珀には強過ぎるのかしら?別に悪いことしてないのに、…」
「それは分からない。中へ入ってみよう。琥珀、入れそうか?」
「いいえ、晴茂様、無理だと思う。途中で、琥珀が潰れそうです」
「そうか。では、ここで見張っていてくれ。何かあれば、念で知らせるのだぞ」
晴茂は、なぜ琥珀がこの洞窟に満ちている気力に耐えられないのか、ぼんやりと分かった。
もし、大蛇を封じた伝説が事実なら、この仏の気らしきものは、大蛇を封じている力なのだろう。聖宝大師が、仏にすがって大蛇を封じた力は、おそらくこの様なものに違いない。
そして、その気は、蜘蛛を体内に持つ琥珀にとっても身体の自由を奪う力になり得る。琥珀の身体が、そのことを無意識に感じているのだ、と晴茂は思った。




