雲外鏡<16>
おそでの怨霊を墓石の欠片に納め、安堵して談笑している琥珀、天空、天后の前に、晴茂がすっと現れた。
「晴茂様、お待ちしていました」
天后が真っ先に気が付き、跪いた。琥珀、天空も頭を下げた。
「ずいぶん楽しそうじゃないか。おそでを閉じ込めたか?」
「はい、晴茂様。その墓石の欠片に閉じ込めました」
天空は、胸を張って答えた。
「よおし、おそでを呼び戻すぞ。琥珀、五芒星を解いてくれ」
「ええぇ?呼び戻す?やっと閉じ込めたというのに…」
天空が不満顔で言う。
「ちょっと待ってくださいよ、晴茂様…」
天后も琥珀も不満そうだ。
「雲外鏡の呪いを解かねばならないし、それにおそでの怨念も消さねばならない。このままでは、何も解決できていない」
「また、あの怨霊と戦うの?もう、疲れたよ、晴茂様」
天后が情けない声を出した。
「心配するな、怨念は消せる。さあ、琥珀、五芒星を…」
琥珀は、しぶしぶ呪文を唱えて五芒星を解いた。そして晴茂が墓石の欠片に向かって、呪文を投げた。墓石の欠片が光り、白い煙が上がった。晴茂の横で、琥珀、天空、天后が身構える。
おそでの霊が再び姿を現した。
「わたしを呼んだのは…、また、おまえ達か。身の程知らずだ」
「おそでさん、待ってくれ。あなたの呪術は賀茂家の陰陽道を踏襲するものだが、幸徳井家は元々安倍家桔梗紋の出自だ。僕とおそでさん、あなたと僕は同門だ。同じ家柄なんだ」
「幸徳井家が安倍の出自だと言うのか。そんな話は聞いていない」
「おそでさん、あなたはまだ子供だったので聞いていないだけだ。あなたの呪力は、本来は桔梗紋呪術として備わっていたのを、無理をして賀茂家五行術に合せたから、進歩しなかったのだ。あなたは、桔梗紋呪術師なんだ」
おそでの顔色が若干変わった。
そう言えば、古書などを読み賀茂家の呪術を会得しようとしても、難しかった。普通の呪術は難なく使えたのにだ。それを、おそでは自分の能力の低さだと思った。自分が安倍家と同根だと言われ、納得できることも多い。賀茂家伝来の呪術だけが難しかったのだ。
「わたしが、桔梗紋の呪術師だったと…」
「そうだよ、おそでさん。あなたには安倍家陰陽師の血が流れていた」
「それを誰も…、教えてくれなかった…」
「おそでさん、あなたの周りには呪術を使える陰陽師がいなかった。安倍家、いや土御門家も幸徳井家も既に呪術を使える者はいなかったんだ。だから、教え様がなかったんだ」
「…」
「おそでさん、恨みを解いてくれ。みんな同じ安倍一族なんだ」
おそでは、天を見上げ考えていた。心の整理がつかない様子だ。自分が憎んだ土御門家、自分もそれと同じ安倍一族だと言われる。それなら、何の為に自分は土御門家に呪術で威嚇しなければならなかったのか。
幸徳井家の面子、土御門家の野心、そんな大人の論理で自分は踊らされたのか。そして、それがもとで、自分の家族が死んだ。家族が皆殺しにあう必要なんか、どこにあったと言うのか。おそでの中に再び怒りが渦巻いた。
安倍家や土御門家、あるいは幸徳井家に対する恨みではなく、おそでを、まだ大人になっていない子供を、そんな事に利用した大人への怒りだ。その怒りが、おそでの中で爆発した。
そんな異変に晴茂は気付いた。
「待てっ!おそで…。恨みや怒りを静めろっ!」
しかし、既におそでは恨みと怒りの怨念に支配されてしまった。おそでの身体から闇黒の煙が噴き出した。怨霊への化身だ。晴茂は、琥珀、天空、天后に、「逃げろ!」と命令した。
三人に指示するまで手出しをするなと、晴茂は念を送った。三人は一斉に後ろに飛んだ。晴茂は、怨霊へと変化しているおそでの前で、目を閉じ呪文を唱えている。闇黒の目をした鬼が晴茂の前に出現した。
「ふふふ、安倍宗家よ、いろいろなことを言ってくれたな。どんな事情があるにしろ、理不尽に家族を殺された者の気持ちは、分かるまい。恨み、怒り…、そんなものはどうでもいい。とにかく、おまえを倒すっ!」
怨霊は、五色の布帯を一閃した。晴茂は、それを難なくかわすと目を開け言った。
「おそで、これを見ろ!」
晴茂は、おそでの怨霊に向かって雲外鏡の合せ鏡の片割れを見せた。
怨霊は鏡を見て怯んだ。
「それは…、そ…、それは…、ど…、どこに?」
「この照魔鏡で、己の姿を見るがいい。その怨念で凝り固まったおまえの姿を写して見ろ」
「ひぃーっ!止めろ」
おそでの怨霊は顔を背けた。そして、再び五色の布帯を一閃した。晴茂は軽く布帯を飛び越え、怨霊のすぐ前に来ると鏡を向けた。
「うぉおお、止めろ、止めろ!」
五色の布帯を乱雑に振り動かした。晴茂は、騰蛇の紅蓮の業火でその布帯を焼き払った。
「おそで、この照魔鏡は、おまえの母上様が大事に守っていてくれたぞ」
「えっ?は…母上様が、…?」
怨霊の声が変わった。
「そうだ。母上様だ。おまえを一番大切に思ってくれていた人だ」
おそでの怨霊は、声を震わせた。
「母上様、おそでを…許してください」
「おそでさん、母上はおまえのことを何も恨んではいない。ただ、独り残ったおそでが可哀そうだったと、わたしに話してくれた。焼けた屋敷跡に独り佇んだおまえを不憫に思ったのだ」
怨霊の目から涙が零れた。そして、徐々に怨霊の鬼からおそでの姿に戻る。
「おまえに幸せになってほしいと願って、母上様は、合わせ鏡である照魔鏡の片方をおまえの見える所に置いた。
それは…、おそでさん、分かるか?母上は、いつまでもおまえと繋がっていたかったからだ。
魔力を秘めたこの鏡をお互いが持てば、いつでも鏡の中で会えると思ったのだ。おそでさん、一度や二度、鏡の中に母上様の姿を見ただろう。そうではなかったのか」
うゎあーと泣き伏した姿は、すっかりおそでに戻っていた。
涙声でおそでは言った。
「わたしは、…わたしは、鏡の中に母上様が現れると…、きっと…、母上様は、わたしの仕出かしたことを恨んでいるからだと…、おまえの所為で…、家族が全員死んだんだと…、それを言いに鏡の中へ出てくるんだと…。だ…、だから、鏡を見るのが、辛かった。…怖かった。
そんな鏡を嫌になった。ただ…ただ、自分の仕出かしたことが憎かった」
琥珀、天空、天后が晴茂の側に来た。天后は、もらい泣きをしている。
「おそでさん…、あんたの所為じゃないよ。そんなに自分を責めないで…」
「おそでさん、それで鏡を木内の奥方様にあげたのだな」
「はい」
晴茂の方を見上げたおそでの顔は涙で濡れていた。
「しかし、おそで、おまえは鏡に呪いをかけて、堀田正信を…」
そう言いかけた天空を遮って晴茂が言った。
「いや、鏡に呪いをかけたのは、おそでの母上様だ」
「ええぇっ!」
琥珀、天空、天后は驚いた。おそでではなかったのか。どう言うことだ。
「知っていたのだな、おそで。誰が呪いをかけたのか」
「はい」
「だから、雲外鏡の木箱に五色の紐をかけて封印させた」
おそでは頷いた。
「なぜ、その時、母上様の霊と交信しなかったのだ。おまえの霊力ならできるはず」
「うううっ!母上様が…、怖くて…、母上様は…、わたしを恨んでいる…きっと、そうだと思って…」
おそでは、嗚咽で言葉にならない。
「そうか、それ程までに自分を責めていたんだな、おそで。
そして、その感情が安倍家への憎しみに向けられたんだな」




