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琥珀色の心  作者: 柴垣菫草
第十章 雲外鏡
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雲外鏡<13>

 その頃、晴茂は奈良の興福寺に来ていた。幸徳井(こうとくい)家の陰陽師が仕えていた寺だ。境内の奥、こんもりとした林の中、晴茂は呪文を唱えた。既に夜も更け、人影はない。晴茂が呼んだのは、幸徳井友種(ともたね)、ちょうどおそでの時代に陰陽頭の任についていた人物だ。


 確かに、この時代は陰陽頭の職を争って、土御門(つちみかど)家と幸徳井家が相論(そうろん)していた頃だ。松の大木の根元が白く光り、友種の霊が出た。


「私を呼んだのは、おまえか?」

「はい、安倍晴茂といいます」


晴茂の姿を見た友種の霊は、驚きに目を(みは)りその場に(ひざまず)いた。


「おおっ!これは、これは、安倍の裏宗家(うらそうけ)様」


そして、友種は晴茂に対して深々と頭を下げたのだ。


 安倍裏宗家?

そんな話は、聞いたことがない。父、時晴からも、晴明からも、裏宗家などと聞いたことがない。


「裏宗家?」


「あっ、申し訳ありません。我々の間では、晴明様の霊を伴って、野に下った安倍家の真の宗家を、裏宗家と呼んでおります。


裏宗家様は代々、晴明様伝来の呪術を伝え、世の中の異変に立ち向かってくださいます。


我々は、天文を読み暦を編纂するだけの陰陽師として、役目を頂きました」


「では、あなた方は呪術を使わないのですか?」


「使うも何も、そんな力はとても授かりません。祈祷をしたり、吉凶を占ったりはしますが、それは呪術とは言い難い。しかし、私どもも安倍一族には違いなく、弱い呪術を使える者も時々出ます」


「こんな質問は失礼ですが、幸徳井家は、安倍一族ですか」


「陰陽寮は、安倍家と賀茂家で世襲しておりましたが、賀茂家が断えた時に、安倍家から我々の祖先が賀茂家を継ぎました。形の上では、幸徳井家は賀茂家の出自となっております」


「なる程、そういう事ですか」


「いやいや、裏宗家様に、こんな下世話な話を聞かせてしまいました。申し訳ありません。

で、どのようなご用ですか、裏宗家様。何なりとお申し付けください」


晴茂は、幸徳井友種におそでの事を聞いた。


「おそで…、ですか。ああ…、おそで…」

「おそらく、少し呪術を使う娘だ。十五、十六の時に京都を出て関東に行った。そして、二十歳前に自害しているはずだ」

友種の顔が曇った。おそでの記憶が甦ったのだろう。


「はい、わたくし共の遠縁の娘です。なまじ呪術が使えるので、可哀そうな娘でした」


「そのおそでが、安倍宗家に恨みを持っている。怨霊(おんりょう)として現れるのだが、何とか静めたい。安倍宗家に対してどのような恨みを持つのか聞かせて欲しい」


友種は困った顔をしたが、晴茂に頼まれては嫌とは言えない。重い口を開いた。


「おそでは、わたしの従兄弟の娘で、この南都、高徳井の村で育ちました。幼い頃から呪術が使える娘として、幸徳井の一族では知らない者がいないほど可愛がられました。


しかし残念なことに、我々一族は安倍家の出自で賀茂家伝来の呪術に通じている者がおりません。それに、幸徳井の人間が陰陽寮の役位についたとしても、呪術を使う必要はなかったのです。


そんな中で、おそでは単に珍しい娘というだけの存在で大きくなりました」


「しかし、おそでは、賀茂家の五行布帯の術を使うのだが、誰かが教えたのだろうか」


「いいえ、誰も教えてはいないと思います。おそらく、おそでが古書などを読み、自分で会得したのではないでしょうか。呪術で花を咲かせたり、暗闇に灯りを点したり、石礫を飛ばしたり、そんな術はわたくしも目撃しました」


「ほう、…りっぱな呪術だ。良い指導者がおれば、もっと才能が花開いたかもしれない。それで…?」


「陰陽頭の職をわたくしの息子に譲って暫くした時、安倍宗家の土御門泰重(やすしげ)が陰陽頭の職を望み、幸徳井家に相論(そうろん)を仕掛けてきました。


最初の内は取り合わなかったのですが、泰重は執拗に文句を付けて来るので、致し方なくわれわれには本物の呪術師がいると言って退けました。そうです、おそでです。


その呪術を見せろと言うので、おそでを京に呼び、土御門の一族の前でおそでに呪術を使わせました。おそでは、みんなの前で、おそらく一世一代の術を使ったのです。


若かったおそでは、自分の術を誇るのと、幸徳井家を救うのだという気負いがあったのでしょう。場所はとある神社の境内で、そこにあった石の狛犬を本物の獅子に化身させたのです」


「ほおぉ、それは凄い!」


「ところが、おそでは獅子に化身させるのが精一杯だったのでしょう、気力を使い切ったおそでは、その場で気を失いました。そして、その獅子が土御門家の面々を襲ったのです。


われわれは、何とかおそでを覚醒させ、おそでに術を解かせたのですが、その時には土御門家の一族数名が怪我を負う恐ろしい事態になっていました。おそでは、涙を流して平謝りをしたのですが、土御門家は激怒してその場を退散しました」


「ふぅむ、…しかし獅子を出して気絶するとは乱暴だな」


「はい、これは我々にも落ち度がありました。まだ幼いおそでに呪術を披露させるなぞ、大人気ない考えでした。しかもどんな術を使うのか、前以て聞いておくべきでした。


おそでは、幸徳井家のためにと思い、土御門家を驚かす意味も含めて獅子を出したのでしょう。


おそでは、自分の術で人を傷付けたことに、われわれ以上に落ち込んだ様子で、もう二度と呪術は使わないと涙を流して訴えておりました」


「それで?」


「はい、しかし、このおそでの呪術は、おそでの思惑通り土御門家を驚かせたようです。そんな呪術師がいては、幸徳井家には敵わないと土御門家は考えたのでしょう。


おそでを抹殺しようと…。


それから三日後、幸徳井村のおそでの家が焼かれました。おそでは、その時にまだ京に留まっており助かりましたが、おそでの父、母、姉とまだ赤ん坊の弟が焼死しました。証拠はありませんが、土御門家の仕業でしょう。


何の罪もない家族を殺されて、おそでは何としても土御門に復讐するのだと言いましたが、おそで自身が命を狙われているはずですから、われわれが説得して関東へ逃げるように勧めました。


おそでも、自分が仕出かしたことで、家族を失う結果になったので、自分を責め生きているのも辛いと、それから数日後にいなくなりました。この出来事に対しては、土御門家の仕業よりも、おそでを見世物のように使ったわれわれの方が罪が深いと思います」


「そうですか。そんな事情があったのですか。そんな霊を、僕は呼び出してしまったのか」


おそでは、安倍の宗家を恨んでいた。

家族を失った恨みなのだ。



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