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琥珀色の心  作者: 柴垣菫草
第十章 雲外鏡
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雲外鏡<11>

 食事を済ませて、ようやく元気になった晴茂は、「さて、行くか」と琥珀に言った。

「晴茂様、御蔵(みくら)村に行くのですか?」

「そうさ、おそでの霊を探さねばならない」


「でも、そんな身体で、…」

「もう回復したよ。これ以上、元気にはなれない」


晴茂と琥珀は、御蔵村に飛んだ。お墓の場所はすぐに分かった。ここにおそでが眠っているのだろうか。


「琥珀、ここにおそでの霊が眠っているのなら、『おそで』、『雲外鏡』、『堀田正信』を念じながら探れば、それに反応する霊がいるはずだ。手分けして探すぞ」

「はい、晴茂様」


「反応する霊を見つけたら、深入りせずに、すぐに僕を呼べ。いいな」


 晴茂は東から、琥珀は西から、おそでの霊を探した。くまなく調べたがおそでの霊はいない。

「ここではないのか」

「晴茂様、あそこに小さな墓石が集まっていますが、何でしょう?」


お墓の北側の隅に小さな墓石が無造作に集まって、山のように積まれている。どうやら、無縁仏のようだ。

「うん、無縁仏だ。あそこかもしれない」


二人はその場所で、おそでを探った。


「あっ!」

琥珀が直ぐに声をあげた。


おそでの霊だ。


晴茂は、琥珀を制した。それ以上、霊に働きかけるなと制した。晴茂には、怨霊(おんりょう)と化したおそでの霊が見えた。堀田正信への怨念が凝り固まって、怨霊となったのか。


数多の霊が眠るこの場所で、おそでの怨霊を出現させるわけにはゆかない。おそでの怨霊が周りの霊を操るかもしれないのだ。さすがの晴茂でも、墓場の全ての霊を敵に回しては戦えない。


 晴茂は、おそでの墓石に向かって、軽く青龍の稲妻を飛ばした。稲妻の火花で墓石の角が欠けた。その墓石の欠片を手にすると、晴茂は飛んだ。

「琥珀、昼間にいた森に戻るぞ!」


 昼間、晴茂が眠った石の上に、持ってきた墓石の欠片を置いた。そして、琥珀の方を向き、真剣な表情で晴茂は言った。


「おそでの怨霊は、強いと感じた。できるなら、怨霊に化身させたくない。堀田正信の名前や、それにまつわる話はするな!いいか、琥珀、心してかかれよ」

「はい、晴茂様」


 晴茂は呪文を唱え始めた。暫くすると、墓石の欠片がぴかっと光った。そして、白い煙が立ち昇って、若い女性の姿が現れた。まだ、十代だろう。身なりは貧しそうだが、きりりとした顔立ちの乙女だ。


「おそでさんですか?」

「わたしを呼んだのは、あなたがたか。何用があって呼んだ?」


怨霊に有りがちな、図太い声だ。乙女の姿や可憐な顔立ちには似つかない、威圧感のある声だ。


「僕は、陰陽師、安倍晴茂。これは式神、琥珀です」

「安倍?陰陽師ですか。安倍宗家ですか。ふふふ、それなら用件は自ずと知れています」


 陰陽師が怨霊と対峙するのは、怨霊を静め、退散させるのが普通の場合だ。おそでの怨霊は、それを察している。若いのに意外と知識もあり度胸もありそうなおそでだ。


「おそでさん、それなら話は早い。鏡の呪いを解いて欲しいのだ」

「雲外鏡の呪いか?」


「そうです。雲外鏡という照魔鏡(しょうまきょう)にかけた呪いです」

「その呪いを手掛かりに、わたしを呼び出すとは、さすがに安倍宗家の陰陽師だ。しかし、安倍の陰陽師と聞いたからには、そう簡単に帰せません」


「う?それは、どういう意味ですか?」


「わたしも、陰陽師家の端くれに生まれた身。安倍宗家には深い恨みがある」

「おそでさん、あなたも陰陽師なのですか?」


「わたしは、幸徳井(こうとくい)家の娘です。あなたは、安倍宗家、わたしの生まれた時代では土御門(つちみかど)家が安倍の宗家、幸徳井家と陰陽寮の覇権を争った家柄です。


わたしは、そんな争いを好まず幸徳井家を出ました。いいえ、土御門家に追われたと言ってもいいでしょう」


「ええっ!江戸時代にも陰陽師の競争があったのですか?」


「競争?ふふふ、権力闘争ですよ。しかし、わたしの周りには本当の呪術を使う陰陽師は、一人もいなかった。陰陽師と言っても、単に職業に過ぎない輩ばかりでしたよ。


ふふふ、わたしは幸徳井家でも傍系(ぼうけい)でした。そんなわたしが、呪術を使う。土御門家にしても、幸徳井家にしても、呪術の使える傍系の小娘は不要だったのです」


「幸徳井家は、…僕と同じ安倍家の出自のはず…?」

「知りたいですか?」


 おそでは手を上げた。その手に五帯の布が巻き付いた。陰陽五行を表す五色だ。これは、賀茂家の流れを汲む呪術だ。安倍家の五芒星の前身となるものだ。


「ふふふ、分かりましたか。幸徳井家は賀茂家を引き継いでいます。わたしは、賀茂家の呪術を習得してきました。そうです、わたしの呪術は安倍宗家の桔梗(ききょう)紋にはとても敵わない、弱いものです。


ふふふ、しかし、…わたしは呪力に加え霊力を手にしました。安倍宗家といえども、そう簡単に倒せませんよ。安倍宗家が、憎い!」


そう言うと、おそでの姿は恐ろしげな鬼と化した。怨霊だ。おそでの身体から真っ黒な煙が滲み出している。その目は、吸いこまれそうな闇黒だ。いかん、これはかなり強い霊力だ。晴茂が予想したより、はるかに邪悪な霊力だ。


堀田正信への怨念より、安倍家に対する怨念の方が強い。

「琥珀、逃げろっ!」


晴茂は、そういうと後ろに飛び下がった。琥珀も、後ろに飛んだ。


怨霊の五色の布帯が、琥珀を目掛けてしゅしゅしゅと伸びた。琥珀は空中で白虎の光線を放ちながらそれを避けた。矢継ぎ早に五色の布帯が琥珀を襲う。

「琥珀、それに触れるな!避けろ!」


琥珀は、白虎の光線を放ちながら布帯をかわす。しかし、執拗な攻撃だ。晴茂は、呪文を唱えると右手から騰蛇(とうだ)の業火を放った。何物も焼き尽くす一条の火は、目にも止まらぬ速さで怨霊の五色の布帯を一瞬にして灰にした。


「さすがだ、安倍宗家。ふふふ、やはり呪術ではおまえに敵わないか。ふふふふ…」


 怨霊は笑いながら姿を変え始めた。闇黒の目から黒い(もや)とも雲ともつかぬ煙幕が出てきた。怨霊の姿が煙幕に隠れ見えなくなったと同時に、煙幕は形を変え鬼の姿になった。どんどんと黒い雲は増え、雲でできた大きな鬼が出現した。


「ふふふ、どうだ。姿が雲では紅蓮(ぐれん)の火でも焼き尽くせぬぞ。どうする?ふふふ…」


 人間の霊は倒すことができない。霊をなくすことは不可能なのだ。怨霊を退治するには、霊の持つ怨念を断つしかない。怨念の対象をなくすか、怨念が無意味であることを分からせるしかない。


おそでの霊の場合、すでに怨念の対象は堀田正信ではなく、安倍宗家、即ちここでは晴茂なのだ。


 安倍宗家とおそでの間にどんな因縁があったのだろう。おそでの時代、陰陽寮の長官職が幸徳井家から土御門家に変わったのだ。その時の権力争いでおそでに怨念を持たせる事件があったのだろうか。


その怨念を抱えたおそでが、宗吾(そうご)直訴(じきそ)事件を切っ掛けにして、堀田正信に対して怨念をぶつけたに違いない。どうすれば怨念を消せるのだろうか。


「どうした、陰陽師。言葉が出ないのか。ふふふ…、では、こっちからいくぞ!」


鬼の姿をした黒い雲の塊が、晴茂と琥珀を呑み込もうと迫って来た。こんな怨念の雲に呑み込まれたら、正常な心も邪悪に染まってしまう。晴茂は、両手を左右に広げ、朱雀(すざく)の風を起こした。朱雀(すざく)の風に吹かれて、一旦は散り散りになった黒い雲だが、それが再び集まって鬼の姿に戻る。そして、又しても襲ってくる。


 何度も朱雀(すざく)の風を起こすのだが、これでは(らち)が開かない。晴茂は呪文を唱えながら琥珀を抱きかかえ、右足を大地に踏み下ろした。勾陳(こうちん)の術だ。地が割れ二人はその中へ消えた。大地の割れ目は二人を呑み込んで直ぐに閉じた。


「琥珀、わたしはおそでの怨念の元を探りに行く。わたしが戻るまで、おまえは天空(てんくう)天后(てんこう)と共に戦え。


怨霊が出てきた墓石の欠片を見つけ、それをあの鬼の口に放り込むんだ。そうすれば、一旦、怨霊は墓石の欠片に吸い込まれる。その時を待って、五芒星に墓石の欠片を封じるんだ。


あの怨霊には、おまえの土蜘蛛(つちぐも)の術は通じない。天后の水術が効くはずだ。いいか、無理をするな。五芒星に封じるのが無理なら、焦る必要はない」


「はい、晴茂様」


「よし、大地の割れ目を開ける。天空、天后と合流しろ!」


晴茂の呪文で大地が再び割れた。そこから二人は飛出し、天高く飛んだ。琥珀が地上に降りた時には、両隣に天空と天后がいた。


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