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琥珀色の心  作者: 柴垣菫草
第八章 火鼠の皮衣
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火鼠の皮衣<8>

 晴茂は、青鷺火(あおさぎび)と分かれた。今度の事件では、(けやき)の精といい、青鷺火といい、異界の者に教えられる事が多いと晴茂は思った。晴茂は、琥珀を伴って欅の精に会いに行った。しかし、以前の場所には欅の精はいない。どこかに姿を隠したようだ。


やはり、欅の精が火事の犯人か、と晴茂は考えた。

「琥珀、欅の精を探そう。二度と騒動を起こさないようにしないと」

「はい、晴茂様」


 晴茂と琥珀が欅の精を山中で探している時、青鷺火から連絡があった。欅の精が、五位鷺の棲家である池の工事を担当している業者の事務所を、燃やそうとしているとの事だ。青鷺火だけでは、欅の精を説得できないので、晴茂に援助を頼んだのだ。


 現場に駆けつけると、欅の精と青鷺火が対峙していた。大きな広場に工事車両や工事資材が置かれている。広場の手前には事務所がある。人気はないようだ。


「止めるんだ、老人。燃やしても人間の計画は変わらない」

青鷺火が、欅の精を説得している。

「青鷺よ、止めるな。この工事が進めば、おまえ達、五位鷺も棲家を追われるんだぞ。この池は山全体の水源になっている。工事で山全体の環境が変わってしまうんだ。森が破壊される」


「なあ老人。自然はそんなに弱くないぞ。環境が変わっても、我々は生きて来たんだ。ここにある物を燃やしても、何もならない」


晴茂も声をかけた。

「欅の精、僕だ。陰陽師、晴茂だ。青鷺火の言う通りだ。無茶は止めるんだ」


「ほほほ…、陰陽師まで来てしまったのか。一番の悪は人間じゃ。それは陰陽師、おまえが良く分かっているはずだ。こんなに美しい自然を何故壊す?護岸工事をすれば、生き物が死ぬ。水辺で生きる弱い生き物が、まず死ぬんだ。


そして、五位鷺、あんたらも生息できなくなる。私たち欅の森も破壊される。そんな世界を人間が進めているんだ。止めなければいけない」


 欅の精は、彦山の火打石を手に持ち、傍らにあった鉄筋の資材に向けて石を打った。燃えるはずのない鉄筋に火が点いた。鉄の棒がめらめらと燃える。晴茂は、呪文を唱え右手を高く天にかざした。

「水神、天后(てんこう)の術!」


天から水柱が降りてきた。燃えている鉄筋の上から大量の水が降り注いだ。火が消えた。しかし、欅の精は諦めない。水浸しとなった鉄筋に向かって、再度石を打つ。水に濡れた鉄筋に火が点いた。


「ほほほ…、この彦山の火打石にかかれば、どんな物でも火を点けられないものはない」

「止めるんだ、欅の精!そんな事をしても無駄だ!」


 晴茂は、天空(てんくう)を呼んだ。

「天空剣で黄砂を呼べ!」

今度は、天から黄砂が降る。鉄筋は黄砂で埋もれた。


「晴茂殿、急に呼ばないでくれよ」

天空が晴茂の横に現れた。


「この砂も燃やそうか、陰陽師、ほほほ…」

そう言って、欅の精は火打石を打つ体勢で晴茂の方を向いた。


「みんな、気を付けろ!あの火打石で身体に火を点けられれば、無事では済まない」


「ほほほ…、そうじゃ。おまえの身体に火をつけようか、どうする?」

欅の精は、そう言いながら晴茂と天空に近づいて来た。晴茂も天空も、身構えながら、じりじりと後退した。


「さあ、陰陽師、邪魔をせず消えた方がいいぞ」


 その時、老人の左横で構えていた琥珀の右手からするすると土蜘蛛の細い糸が放たれた。そして、欅の精の懐にあった火鼠(かそ)の皮衣を絡めると空中に飛ばした。


琥珀は、皮衣に向かって飛び、それを空中で羽織った。

「何をするっ!」


欅の精が、琥珀に向かって火打石を打った。

「琥珀、逃げろ!」


火打石から一筋の炎が伸び、琥珀に向かった。琥珀は、火鼠の皮衣をすっぽりと被り、身を丸めた。火鼠の皮衣は、燃えない。彦山の火打石でも火鼠の皮衣は燃えないのだ。琥珀は、皮衣を羽織って地上に降りた。


「皮衣の勝ちだね、お爺さん」


天空剣が伸び、呆気にとられている欅の精の手から火打石を叩いた。慌てて拾おうとした老人より速く、琥珀の手が石を拾った。

「これも頂くわ」


 欅の精は、その場に座り込んだ。そして、か細い声で言った。

「おまえ達は、自然を壊したいのか…」

欅の精は、力なく尻餅をついた格好だ。青鷺火が、痩身の青年の姿で欅の老人に近づいた。


「ご老人、あんたの気持ちも分からないではないが、無茶はいかんだろう」

「しかし、…」


「あんたは、そもそも非力な精霊だ。ここにいる陰陽師が本気を出せば、あっという間に異界に放り出されるんだ。わたしでも、あんたを倒すのは造作もない事だ。そんなあんたが、彦山の火打石と火鼠の皮衣という絶大な力を得たために、あんたは気持ちが狂ってしまったんだ」

「むむ…」


「これまでのように、我々は人間とうまく付き合っていくしかない。人間が環境を壊しても、自然の力はそれ以上だ。いずれ、人間はしっぺ返しを喰らうだろう。


しかし、それは自然という大きな力が成す事であって、非力なあんたやわたしが人間を懲らしめる事ではない。なあ、欅の老人、これからも一緒にゆったりと過ごそうではないか」

欅の精は、下を向いて青鷺火の話に頷いていた。


「では、欅の精、この宝物は、僕から持ち主に返しておく。それでいいですね」

晴茂が言った。


「ああ、そうして下さい、陰陽師さん」

青鷺火は、欅の老人に手をかし背中に乗せるとねぐらの方角へ飛び去った。


 晴茂と琥珀、それに朱雀(すざく)と天空は工事現場を元通りに戻した。


天空が琥珀に言った。

「琥珀、その皮衣を(まと)っていると、おまえでも上品に見えるぞ」

「おまえでもって、一言余分だわ。でも、これを身に着けていると、何だか力が(みなぎ)るような気がします」


「火鼠の皮衣は、炎を寄せ付けないだけでなく、あらゆる邪気を弾き返す力がある。かぐや姫が欲しがったのも分からないではないな」


「これ、欲しいなぁ…」

琥珀が呟いた。


琥珀が欲しがるのも分かる。こうして間近に見ると、細く長い毛が密集して白銀色に輝いている。軽くて薄くて、しかし丈夫で、兎に角、綺麗な皮衣なのだ。


「そんな貴重で価値のあるものを手にすると、(ろく)なことにはならんぞ、琥珀。さて、騰蛇(とうだ)を呼ぼう」

晴茂は騰蛇を呼んだ。


「騰蛇、琥珀が持っている火鼠の皮衣と彦山の火打石を、持ち主に返して来てくれ」

「分かりました、晴茂殿」

騰蛇は、ふたつの宝を、いやがる琥珀から受け取った。


「晴茂様、琥珀も騰蛇と一緒に返しに行きます」


「馬鹿を言え、琥珀。火鼠は中国の崑崙(こんろん)にいるのだぞ。しかも異界の境まで踏み込まねばならない。騰蛇に任せておけ」

琥珀は、晴茂の言葉に逆らう顔付を一瞬見せた。晴茂は、その顔を見て、皮衣が余程気に入ったのだなと思った。


「火鼠に頼んで、その皮衣を分けて貰おうと考えているんだな、琥珀」

「む、…」

「止めておけ。そんなものに頼るようでは、わたしの式神として通用しなくなる」


「むむ…、はい、…晴茂様」

琥珀は、しぶしぶ納得した。


 しかし、この皮衣は人を魅了する力があるようだ。魔性の皮衣だと晴茂は思った。

「騰蛇、火鼠に言ってくれ。火浣布(かかんふ)は二度と他の者に渡してはならぬとな」

「はい、そのようです。そう伝えます」

騰蛇は、ふたつの宝を持って空高く消えた。


 天空が琥珀の肩を叩き、綺麗な皮衣だったな、と呟いた。琥珀は、欲しいものが手に入らなかった子供の様な目で、頷いた。そして、晴茂の背中を見ながら、「べー」と舌を出したのだった。天空は、それを見て大きな声で笑った。


 そして平穏な日常が戻った数日後、晴茂と琥珀は青鷺火の許にいた。晴茂がどうしても分からないことがあったのだ。


「青鷺火、欅の精から、なぜお宝を奪ったのだ?単にお宝だからか?」


「そうさなぁ…。そう思ってくれてもいいが、実はあの時、欅の精と同じことを考えていた。工事を中止させるために、…」

「やはり、…そうだったのか」


「欅の精に返せと言われ、思いとどまったのさ。なんだか、欅の精には、偉そうなことを言って説得したけれど、…あれは自分自身に言っているようなものだ」


「今回の事件で、僕は人間の傲慢さを思い知らされたような気がする」


「長い年月を生きる妖怪こそ、自然の力をよく知っている。あなたの式神、十二天将も、欅の精のような精霊も然りだ。何千年も世の中の移り変わりを見てきたのだからな。


 そんな我々でも、今の時を大切にしたいと願う。今の環境を維持したいと願う。まして、人間や妖怪になれない動物は、今の時だけしか目に入らない。都合の悪い環境の変化は悪だと思うし、自分達に都合の良い変化は善だと考える。そんなもんだ。それが生命というものだ。


 しかし、長い歴史の中で、いや人間の歴史以前を含めても、自然そのものを変えてしまうという愚行をやった生命体は、必ず、滅びるか、苦境に(おちい)る。


 それが自然の摂理というものさ」


 そう言い残すと、青鷺火は飛び去った。

 晴茂は、青鷺火の言葉を心に刻んだのだった。



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