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琥珀色の心  作者: 柴垣菫草
第八章 火鼠の皮衣
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火鼠の皮衣<5>

 その後、何事もなく数日が過ぎた。青鷺火(あおさぎび)を追った朱雀(すざく)からも目立った報告はない。そして、下弦の月にまで欠けた夜に、朱雀から青鷺火が(けやき)の精を襲ったと連絡があった。


(さぎ)は夜行性だ。朱雀は、木につかまって休む昼間の鷺に油断をしたのだ。すぐさま晴茂と琥珀は欅の精がいる山に飛んだ。

「おお、陰陽師か」


欅の精はのんびりとした口調で迎えた。

「青鷺の妖怪に襲われたと聞きましたが、…」

「何、誰がじゃ?…私が襲われた?うん?」


「そうよ!お爺さん、どこかやられたの?」

いかにものんびりとしている欅の精に、琥珀が言った。


「ほほほ、襲われてはいないぞ。今日の昼過ぎに青鷺は来たが、少し話をして帰ったぞ」

「何か強引に持って行かれただろう。それを襲われたと言うのだ」

朱雀が言った。


「おおお、急に現れて脅かさないでくだされ。朱雀ですか。強そうですなあ。

ほほほ…、いやいや、確かに持って行きましたが、そんな事はどうでもいいじゃろう」

どうやら欅の精は、襲われたとは真に思っていないようだ。


 欅の老人は、青鷺とのやり取りを説明した。

「この山の向うの池が、人間によって埋立られようとしている。池に流れ込む川や、池から流れ出る川も()れる。工事が始まって、鷺どもは食べる魚がいなくなったらしいのじゃ。


困った青鷺は、人間どもを脅かそうと計画したらしい。そうすれば、工事も中止になると考えたのじゃな。

それで、人間を脅かすものはないかと、私の所に来た訳じゃ。水流が変われば、山の様子も変わる。ここの欅の林にも悪影響が出るかもしれん。


折角集めた物を手放すのも少しは嫌じゃったが、青鷺の言う事も一理はあるでな」


「で、ご老人、青鷺は何を持って行ったのですか?」

「そんなに大そうな物を持って行った訳ではないぞ。ほれっ、先日話をしたじゃろう、燃えない木の研究じゃ。その試みに何かの役に立つかもしれんと思ってな、手元に置いておいた物じゃ。えぇっと…、何と言ったかのぉ…、何とかの火打石と何とかの皮衣(かわごろも)じゃ」


「皮衣と言うと、まさか、…『火鼠(かそ)の皮衣』ですか?」


燃えない木から連想した晴茂は、本当にまさかと思いつつも声に出した。

欅の老人は、驚いた表情で答えた。

「おお、それそれ、それじゃ。

か…かその皮衣じゃ。おまえさん、何故知っているのじゃ」


晴茂、琥珀、朱雀は驚いて顔を見合わせた。世にも不思議な火鼠の皮衣を、なんとこの欅の精が持っていたのか。どのように手に入れたのだろう。


「火打石って、どんなものなの?」

琥珀が、聞いた。火鼠の皮衣を持っていたのなら、火打石も貴重な物かもしれない。


「先日ここで火を焚いていたじゃろ。あの火の元はその火打石で点けた。綺麗な石で、キラキラしておる。何にでも着火できる火打石じゃ」

「それは、『彦山(ひこやま)の火打石』か?」

朱雀が聞いた。

「ひこやま、…あっ、そうそう、そんな名前じゃった」


 朱雀は、言葉に詰まった。何と、あの大和武尊(やまとたけるのみこと)が用いた火打石、『彦山の火打石』だと言うではないか。日本武尊が東方蛮族征伐に行く途中、伊勢神宮に立ち寄り、倭姫命(やまとひめのみこと)から草薙剣(くさなぎのつるぎ)と火打石の入った袋を与えられた。その火打石が、『彦山の火打石』なのだ。本物か偽物かは分からないが、大変なものをこの老人は持っていたことになる。


晴茂は、続けて聞いた。


「欅の精さま、まずその『火鼠の皮衣』ですが、どのように手に入れたのですか」


「なんじゃい、おまえさん方、えらく真剣な顔じゃの」


晴茂も朱雀も、呆れてしまった。それは真剣な顔付にもなる。

火鼠の皮衣、彦山の火打石、…これらが本物なら、世界中を探しても又とない貴重な品ではないか。この老人は、そんな貴重な品をふたつも持っていたことになる。


「えっと…、私は欅の精だから、欅の木が生えている所はどこにでも行ける。あれは、中国西域じゃったか、はて、崑崙(こんろん)じゃったか、そこへ行ったとき不尽木(ふじんぼく)という木のことを小耳に挟んだんじゃ。燃えない木らしい。


それを尋ね歩いたら、大鼠(おおねずみ)に会ってな、燃えない木とか燃えない衣の話で盛り上がってな。その大鼠が分けてくれたんじゃ」


「それは…、そのネズミは火鼠だ。では、本物か?」

朱雀が驚く。

「うん?その時、大鼠は『火浣布(かかんふ)』とか…、何とか言っていたぞ」

「火浣布?それじゃあ、本物だ」

朱雀が叫んだ。『火鼠の皮衣』は通称であり、正式には『火浣布』と言う。


「ご老人、もうひとつの火打石はどのように手に入れましたか?」


「それが、よく覚えていないが…。大台山系に行った時じゃ。あそこには、欅の森が広がっておる。

そして、修験道の聖地じゃからな、烏天狗(からすてんぐ)がいるんじゃ。ほれ、八咫烏(やたがらす)の化身じゃ、知っておろうが…。確か、火打石は烏天狗にもらったと思うが、…」


「うん、『彦山の火打石』は、確かに熊野の烏天狗が持っていると聞いた。烏天狗からもらったなら、…本物かもしれん。

しかし、余程のことがない限り、烏天狗が手放すとは思えないが、…」

朱雀が呟いた。


「それが、…よく覚えていない。面目ない。何故もらったのか…?

でも、重宝しておったんじゃ、あの石には。ほほほ…」


「ご老人、知らなかったとは言え、世にふたつとない貴重な品物を、やすやすと妖怪に渡すとは呆れます」

朱雀が欅の精を睨みながら言った。


「世にふたつとない?なに?そんなに貴重なのか、あれが…」


「青鷺が悪さに使わなければいいが、…。他に何か持って行きましたか?」

「そうじゃなあ、…欅のおが(くず)を持って行った。それは、私が作ったものだから、貴重なものではないぞ」

「普通のおが屑ですか?」


「いいや、欅のおが屑に、先日燃やしていた樹液のエキスを混ぜたものでな、これがよく燃えるんじゃ。しかも、持続性があって、なかなか消えない」


「それは、危ないですね。そんなものに火を付けられたら、山火事が頻繁に起こりますよ」

「それはそうじゃろう。私の目的は、山火事を何とか少なくしたいので、それを実現するために、まずは燃えるという現象を理解せねばならない。その為の、火打石であり、おが屑なんじゃ」


 朱雀は晴茂の耳元で、『この爺さん、頭は大丈夫ですか?放っておいてもいいでしょうか』と(ささや)いた。晴茂も少しばかり心配になってきた。初めて会った時は、なかなか味わい深い話をしてくれたのだが、どうも一般常識が欠けているのかもしれないと感じてきた。


 欅の老人が手放した品物は、どれも非常に危険な物だ。放っておく訳にはゆかない。青鷺火は悪い妖怪ではないだろうが、妖怪には違いない。どこでどのように邪心が生まれるかもしれない。


 朱雀には欅の精を監視するようにと指示を出し、晴茂は騰蛇(とうだ)を呼んだ。晴茂は、これまでの経緯を騰蛇に説明し、彦山の火打石と火鼠の皮衣が本物かどうかを元の持ち主に確認するように指示をした。


「へええ、そんな貴重なものを欅の精が持っていたのですか。世の中は狭いものですね。分かりました、火に関する事ならお任せください」

騰蛇は、火鼠と烏天狗に会いに行った。特に火鼠に会うのは楽しみのようだ。


 そして、晴茂は琥珀に五位鷺の様子を探るように指示をした。

「琥珀、彦山の火打石も火鼠の皮衣も、それに欅の老人が作ったというおが屑も、扱い方によっては最強の武器になる。油断しないようにな」

「はい、晴茂様」


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