送り犬<11>
琥珀は、送り犬を連れて鬼無里村へ飛んだ。松厳寺はすぐに分かった。鬼女紅葉の墓があった。その前に立ってみた。何も感じない。ここに紅葉の妖霊はいないと琥珀は感じた。
鬼無里村で鬼女紅葉の話をあちこち聞き回ったが、ここでは紅葉は邪悪な妖怪ではないのだ。村人を助け、おそらく妖術を使ったのだろうが、人々の病気を治療したりしたと言う。それに、京の都の文化も伝えている。悪い話は一切ないのだ。
その恩返しに、村人は、都を離れて紅葉が淋しがらないようにお世話をしていたのだ。ここでの紅葉は邪悪な妖怪ではなく、人間を助ける精霊のような存在なのだ。
「どうも勝手が違うね、送り犬。紅葉は悪い妖怪ではないようだよ」
「鬼女紅葉が悪行をしたのは、鬼無里を離れて戸隠村へ行ってからと聞いている。紅葉が討たれたのも戸隠だ」
「そうなの。もう一度、松厳寺へ行ってみて、何もなかったら戸隠へ行こう」
琥珀と送り犬は、再び松厳寺へ戻った。境内を歩き回っていた琥珀の足が止まった。正面にお堂が見える。お堂の奥には大きな松の木が枝を伸ばしている。本堂を右に見た小さなお堂だ。鬼女紅葉の墓からは見えない方向だ。
この風景だ。善光寺のお戒壇で見た構図だ。
琥珀はお堂に近づいた。何も感じない。送り犬が、琥珀の行動を見て聞いた。
「どうした?何かあるのか?」
「うん。善光寺のお戒壇で見た風景は、ここだわ。このお堂が見えた。でも、お堂には何も感じない」
「お戒壇の天井にあった小さな穴から覗いたんだろ。なら、その穴がこの境内のどこかにつながっているのじゃないか?そのお堂が見える場所に穴が開いているのじゃないか」
「そうか。そうだね、送り犬」
琥珀は、お戒壇の穴から見えた構図になるように、お堂を視野の中心に置いて後退りをした。後退りをしながら、ほぼ境内を横切った。
『この辺りだわ』と琥珀は後ろを向いた。そこには石灯籠があった。琥珀は、石灯籠をつぶさに調べた。善光寺のお戒壇では、暗闇の中だったので容易に小さな光る穴を見つける事ができた。
しかし今は昼間で回りが明るい。小さな穴を見つけるのは難しい。琥珀は、気を静めて集中した。何か異常な気配が出ているはずだ。
「送り犬、あんたも探してよ!」
「俺にも見えるのかなあ」
送り犬は、しぶしぶ石灯籠の台座の辺りを探し始めた。
他の人が見れば変な光景だ。若い娘と犬が、石灯籠にへばり付いて、何やら臭いを嗅いでいるような格好だ。琥珀と送り犬は、徹底的に石灯籠を調べた。苔生した所は、その苔も削ってみた。
「おっ!これじゃないか?琥珀、ここ。ちょっと変だ。俺には真っ黒にしか見えないが、…」
琥珀は送り犬が変だと言う場所を見た。
一番下の台座の石の中央に、確かに小さな穴が開いている。琥珀は、その穴を覗いた。向うが微かに見える。これだ。
「これだわっ!」
「そうか、で、何が見える?」
「うーん、暗いけど、…」
「そりゃあ向うは善光寺のお戒壇の中だから、真っ暗だろう?」
「いいえ、お戒壇の中じゃないわ。お地蔵さんかしら?いや、古い五輪塔だ」
「あれぇ?お戒壇からはここが見えるけど、ここからは別の場所が見えるのかい?不思議な穴だな」
「そうねぇ。不思議ね。あっ!」
驚きの声を発して、琥珀は穴から目を離した。
「何だ?どうした?」
「ええ、急に女の人の顔が現れた!」
「どれ、どれ」
送り犬が穴を覗いたが、何も見えない。もう一度、琥珀も覗いてみた。穴の向こうは、もう真っ暗だ。真っ暗なら琥珀には見えるのだが…、真っ黒だ。穴の奥を墨で塗り潰したような真っ黒さだ。
「もう何も見えない」
「変な穴だな。で、何が見えたのか、もう一度教えてくれ」
「若い綺麗な女性の顔。私をじっと見てた。その前は、…こんな形の石積みのお墓。これって五輪塔よね」
琥珀は、見えた石の塔らしい形を土の上に描いた。送り犬は、それをじっと見ていた。
「これは、…、たぶん」
「えっ、送り犬、この五輪塔って、知ってるの?」
「…戸隠にある鬼女紅葉の、…鬼塚の五輪塔だ」
「ええ?鬼女紅葉のお墓はこの松厳寺にあるじゃない」
「さっきも言ったが、実際に紅葉が討たれたのは戸隠で、そこで首を刎ねられた。これは、そこの鬼塚にある五輪塔だよ」
琥珀が描いた五輪塔を見ながら送り犬は言った。
それだ、そこに行けば何かが起こる。琥珀は、何故か胸が高鳴るのを感じた。もう既に夕陽が沈みかけているのだが、琥珀は戸隠へ行こうと思った。
「送り犬、その鬼塚へ行こう。案内してっ!」
「今からかい?もうすぐ暗くなるぜ」
「私は闇でも見える。送り犬、あんたも闇は平気でしょ」
「そりゃあ、そうだが、…。鬼女紅葉って怖そうだぜ」
「大丈夫だって。さあ、行くよ」
「まあ待てよ、琥珀。俺たちは、まず縊鬼を探さないといけない。鬼女紅葉と縊鬼は無関係だぜ。兎に角、晴茂様の所へ戻ろう。戸隠は逃げはしないから。縊鬼をやっつけてからにしよう」
琥珀は、送り犬の言う通りだと考え直した。晴茂の指図でなく、琥珀の我がままで鬼無里まで来たのだ。この後は、縊鬼を封じてからにしよう。
「分かったわ、送り犬。じゃあ、戻るわよ」




