送り犬<7>
琥珀も白虎も、呆れてしまった。送り犬だって、後をつけて転んだら喰らう邪道さだから、五十歩百歩ではないか。そんな二人の様子を察したのか、送り犬が続けた。
「俺はな、そりゃあ悪さもするが、普通は人助けの方が多いんだぜ。先日も、妊婦さんがそこの山道を独りで歩いててな。しかも、夜だぜ。これは後をつけねばって思ってね。そうしたら、途中で疲れたんだな。どっこいしょって岩に寄りかかってよろけたんだ。
それで座り込んでしまった。これは転んだのかなって一瞬思ったけど、『どっこいしょ』という言葉がいけないね。さすがに転ぶ時に『どっこいしょ』とは言わないぞ。
それでね、俺は気の良い小母さんに化けて、その妊婦さんを家まで送ったんだ。普通は、こんな俺だぜ。悪い妖怪じゃあない」
「はははは、悪い妖怪じゃないって?」
送り犬の話を聞いて、琥珀も白虎も笑ってしまった。
元々喰らうつもりで後をつけているのに、転ばなかったので助けたから悪くないというロジックが分からない。
「何だよ!笑うなよ。俺が悪い妖怪じゃないっていう証拠に、この青坊主の口を割らせようか」
琥珀は、例え送り犬が青坊主の口を割らせても、悪い妖怪ではないという証拠にはならないと思うのだが…、面白い論理を展開する送り犬についうっかり答えてしまった。
「口を割らせられれば、案外そうかもしれない」
「おいおい、琥珀、…」
白虎が訂正しようとしたが、既に送り犬は話を続けていた。
「へへへ、よしよし。それなら口を割らせるぜ」
送り犬は、青坊主の方を向き座り直した。そして、化けたのが白髪、白髭の老人だ。鋭い眼光をしているが、それを隠すように優しい雰囲気を醸し出している。
青坊主は、送り犬の変化に驚いたが、それでもそっぽを向いている。
「青坊主さんよ。まあ、こっちを向いてくれや」
青坊主は動かない。
「まあ、いいじゃろ。俺の話を聞いてくれるか。俺は送り犬っていう妖怪になってしまったが、昔の俺は立派だったのさ。俺はな、秋田犬なんじゃ。身体は大きくて獰猛だが、人間への恩は忘れない、そんな秋田犬じゃ。
それは妖怪になる前の、昔々の事だがな。ほれほれ、忠犬八公っていう有名な犬な、あれは秋田犬じゃ。そうさなあ、遠い昔のことじゃ。
…うー、秋の落葉は好きかの?青坊主さんよ。落葉じゃよ」
なぜこんな話をするのか、琥珀も白虎も首を傾げた。それに、青坊主の口を割るのに、白髪、白髭の老人に化ける必要はあるのか。話の内容と化けた容姿のつながりが分からない。
無表情で、聞いているのか、いないのかも定かではなかった青坊主も、送り犬の話が、突然、落葉の話題に脈絡なく飛んだ時には、さすがに視線が泳いだ。
しばらく間を置いて老人に化けた送り犬は続けた。
「俺のご主人様は修行僧だったでな。修行僧が犬を飼う訳にはいかん。だから、俺が勝手にご主人様と思っていただけじゃが。あの頃は良かったぞ。時々食べ物を与えてくれてな。だから俺は落葉が好きなんじゃ。青坊主さんはどうじゃ?」
話の内容が掴めない。秋田犬と修行僧と落葉がどのような関係なのか。何を「どうじゃ?」と聞くのか。青坊主は少しいらいらしてきた。
「修行僧といってもお寺の小坊主でな。寺の雑用をしていたんじゃ。お経は何も知らん様子だった。和尚さんが教えてもお経は覚えられない子でな、しかも魚料理ができん」
「????」
また、話の脈絡が取れない。魚の料理?
かまわず老人の送り犬は話す。青坊主は最初、話を聞き流していたのだが、話の脈絡がつかめないので、話を理解しようと真剣に聞いてしまっている。
「魚の鱗を包丁で削ぐのができん。鱗はきれいに取らないと料理しても美味くない。和尚さんはいつも叱っておったわ」
ついに青坊主が声を出した。
「うるさい!訳の分からない話をするなっ!」
「おや、青坊主さんよ、別に聞いてもらわんでもいいんじゃ。勝手に喋るからな。…うー、それが丁度花見の時じゃったな。その寺には大きな桜の木があって、毎年綺麗な花が咲いた。
近所の人達も集まって花見をするのが習わしだった。さすがにお寺なので、お酒は止めようという事で、花見には酒がなかった。
俺のご主人様は魚料理を出すんだ。だから、俺は落葉が好きなんだ」
琥珀も白虎も頭が混乱してきたが、青坊主もついに怒り出した。
「花見と落葉は、どういう関係だっ!
そもそも、寺で酒は止めようと言うなら、魚料理も駄目じゃないかっ!」
「あっ、いやいや、魚は近所の人が食べるんじゃ。和尚さんは酒も魚も嗜まん。それに、もちろん花見と落葉は無関係じゃよ」
送り犬の老人は、何食わぬ顔で青坊主の怒声に答えている。
「なに? それなら、お…、お経はどうした?」
青坊主は、ついつい老人の話を理解しようとしている。
「その小坊主はお経が覚えられん。でも、そこは修行の身でな、次の花見までには般若心経くらいは覚えようとしたと言う話だ」
「それで…、落葉はどうする?」
「ああ、落葉は好きじゃ。青坊主さんは、どうかな?」
「嫌いだよ、落葉なんか。だから、落葉が好きか嫌いかで何か違って来るのか!」
青坊主は、完全に送り犬の策にはまってしまった。
「まあまあ、そう先を急ぐな、青坊主さんよ」
「先を急いでいる訳じゃない。意味が分からないから聞いているんだ」
「そうだな。もう少し話を聞くと分かるようになるさ。そもそも、落葉っていうものはな、…」
それまで口を利こうとしなかった青坊主が、老人の策略でしっかり喋り出していたのだ。青坊主は、送り犬が化身した白髪の老人の方を向き、熱心に話を聞いている。そして、にこにことした白髪、白髭老人の姿が、この話にぴったりだと思えてくるのだから不思議だ。
「…、と言う事だ。どうだい、仲の良い小坊主と秋田犬ではないか」
「ああ、確かに良い話だ。それで、その小坊主はどうした?」
「それがな、どれだけ修行をしてもお経が覚えられぬ。学問というのは向き不向きもあるからのう」
「それは良く分かる」
「青坊主さんも分かるか。そして秋になっても結局、般若心教は最後まで覚えられなかった。やがて木枯らしが吹き落葉の季節じゃ。寺の庭は栃や椎などの落葉で一杯になる。
それはふかふかの絨毯の様でな、そこで俺とご主人様と遊んだもんだ。毎日、毎日、落葉で滑ったり、中に潜ったり、楽しかった。
そうすると、ご主人様も元気になってな、またお経に励む力が湧いてくるってもんだ」
「本当に仲が良かったんだな、おまえ達」
「そうとも。じゃがな、そんな日々も長続きしなかった。結局、役立たずの小坊主だって皆に馬鹿にされてさ、寺から追い出されてしまった。
寺からいなくなったご主人様を、俺は七日七晩探し続けたんだ。どこへ行ったのか、どうしちゃったのか、未だに分からない。
どうだ、青坊主どう思う?
こういう時は…、悪いやつの仲間に入るんだな、結局。それは、小坊主の所為でもないけど、悪いやつはそんな時を目がけて誘惑してくる。
なぁ、青坊主さん。俺は、もう一度ご主人様に会いたいのだが、どうすればいいかのお、青坊主さんよ」
「きっとその小坊主も悪いやつに唆されたのさ。そんなもんだ」
青坊主は自分の昔を思い出していた。よく似た話だと青坊主は思った。
「青坊主さんの時は、誰だったんだい?悪いやつは」
「鬼だよ。縊鬼だよ。心の隙間に入り込みやがった」
琥珀と白虎は、青坊主を操る黒幕の名を聞いた。縊鬼か。
琥珀は縊鬼を知らないが、白虎は驚いた表情をした。大物の妖怪だ。まだそんな大物の妖怪がこの人間界にいるのか。青坊主の前の白髪の老人は、元の送り犬の姿に戻った。それを見た青坊主は、慌てて口を押えた。
「青坊主、口を押えても、もう遅い。
しかし、縊鬼だとは思わなかった。おまえも恐ろしいやつに見込まれたもんだ。相手が縊鬼じゃ、そりゃあ、名前を出すのも怖いだろう」
送り犬は、青坊主に同情するように言った。
「他に縊鬼の手下はいるのか?」
白虎が聞いた。青坊主は観念したのか、すらすらと答える。
「他の手下は知らないが、多分他の青坊主がいると感じる」
「そうか。で、縊鬼はどこにいるんだ?」
「居場所は知らない。やつから念が届く。そこへ行くと縊鬼がいて、あれこれ指示される」
「なる程。琥珀、そろそろ、こいつらを結界に封じてくれ。もう用はない」
琥珀は、頷いた。
「おいおい、ちょっと待ってくれ。俺は出してくれるんだろう」
送り犬が慌てて琥珀に聞いた。
「馬鹿を言え。邪悪な妖怪を解き放つことができるか」
白虎が答えた。
「だから、俺は邪悪じゃない。青坊主に口を割らせたじゃないか。俺はあんた達の仲間だよ」
「仲間だと?おまえのような仲間はいない」
「それはないよ。約束したじゃないか」
突然、琥珀が辺りを見回した。
「白虎、晴茂様が来る」
晴茂は、ふぅっと白虎の横に現れた。妖怪縊鬼の名前が出たので大事に発展する予感がしたのだ。縊鬼は、晴茂が止むを得ず動かねばならない程、大物で、恐ろしい妖怪だ。




