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琥珀色の心  作者: 柴垣菫草
第一章 予兆
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予兆<11>

「じゃあ、冴ちゃん、妙輪寺(みょうりんじ)へ行くか」

「晴茂、俺も行くよ」

晴茂は、冴子は足手まといになるかもしれないと危惧するのだが、そこに陰陽師の端くれになった圭介が一緒となると、妖怪の標的にされる危険があると思った。


「圭ちゃん、結界は張れるか?」

「ああ、やってみる」

圭介は九字紋(くじもん)を切った。

「臨、兵、闘、者、皆、陳、裂、在、前、…」

圭介と冴子のいる場所に結界が張られた。しかし晴茂は、「弱い」と感じた。この結界では、内側には効くだろうが、外の妖怪には通用しないだろう。晴茂は、右の手の平を結界に向けて、軽く『とっ!』と念を発した。結界は跡形もなく消えた。芦屋家に伝わる『九字護身法』は、元々護身の印であり、外からの力には強いはずだ。


「圭ちゃん、今必要な結界は外からの力に耐える『九字護身法』で張らないといけない。今の結界は内からの力に強い呪文だ」

「そうか。じゃあ、もう一度。…臨、兵、闘、…」

今度は数倍強い結界が張られた。晴茂にとってはまだ弱い結界だが、小物の妖怪は防げるだろう。

「随分強くなった。じゃあ、圭ちゃんも一緒に行こう」

そう言うと晴茂は出口に向かって歩き出した。


 圭介と冴子は立ち上って晴茂の後を追った。

「きゃっ!」

冴子が叫んだ。晴茂が振り向くと、冴子が結界から出られずひっくり返っている。

「あはは、…圭ちゃん、結界だよ」

圭介は、『あ、ごめん、ごめん』と言いながら結界を解いた。晴茂と圭介が笑うのを見て冴子は、『何よ、馬鹿にして!』と立ち上った。


 晴茂、圭介、そして冴子は妙輪寺の境内に来た。陽が昇ると冬とは思えない暖かな日差しが降り注ぐ。相変わらず晴茂の肩には雀が留まっている。雀の姿をした朱雀は、時々晴茂の耳元でチュンチュンと(さえず)る。例の楠が見えてきた。昨日は感じなかったが、今は弱い妖気を晴茂は感じている。


「じゃあ行くね。圭ちゃんは冴ちゃんを守ってよ」

「ああ」

晴茂が先頭で楠に近づいた。やはり白坊主がいる。圭介にも見える。白坊主は妖気を発している。晴茂は呪文を唱えた。晴茂は呪文で白坊主の妖気を弱めた。それに気付いた白坊主は楠を下りると、林の中へ逃げて行った。楠に近づくと白坊主の残した妖気で木全体が包まれている。しかし、晴茂はこの妖気は邪悪なものではないと感じた。


「十数匹はいたな。どこへ逃げたのだろう」

「この奥の山の中に破れた結界がある。そこから湧き出た白坊主だろう」

圭介の問いに晴茂が答える。

「その場所に逃げて行ったのか?」

「それは分からないが、白坊主より、まずは壊れた結界を見に行こう。そこに行けば、異界からどんなやつらが出て来ているか見当がつく。白坊主は小物の妖怪だから、放っておいても暫くは大丈夫だ」


 三人は林に入った。林の中を行くと、山へつながっている。道なき山の中を三人は歩いた。しばらく行くと、林道に出た。歩き難い林道を登ること小一時間が過ぎた。呪術を使えば空を飛んで進めるのだが、今は冴子が一緒だし、圭介にはそんな術は使えない。歩くしかない。


林道脇に立った晴茂が、『この上だ』と崖の上を指さした。朱雀が探した壊れた結界の場所だ。

「えっ、この崖を登るの?」

冴子が叫んだ。すでに疲れ果てた冴子だが、こんな崖は元気な時でも登れない。

「そうだな。登れる場所を探すか。圭ちゃん、式神は造れるか?」

「ああ、そうだな」


圭介が呪文を唱えて枯葉を投げると、鋭い目をした柴犬が姿を見せた。圭介が柴犬に呟くと、犬は勢いよく走りだし、林道の向こうに消えた。圭介の式神は、甚蔵の犬より出来が良いではないか、晴茂はそう思った。

「じゃあ、しばらく休もうか」

「そうだよ。休もうよ。こんなに大変なら来なきゃよかった」


圭介の朝食用に甚蔵が持たせたペットボトルのお茶を三人で飲みながら休んでいると、圭介の式神が帰って来た。登り口が見つかったようだ。柴犬の案内で山に入った。しばらく行くと大きな岩が山の斜面に突き出している。『あそこだな』晴茂は言った。


 その岩のそばまで来ると、晴茂は微かに異様な妖気を感じた。肩の雀が飛び立つと岩の頂上で留まり(さえず)り出した。『ふたりは、ここで休んでいてくれ』、そう言い残すと晴茂はジャンプをし、木々を踏み台にして、あっという間に岩の頂上に登った。圭介も冴子も、晴茂の身のこなしに目をみはった。あんなこともできるんだ。まるで空中を舞っているような姿だ。圭介は、やはり晴茂は陰陽師として格が違うと感じた。


 頂上の岩が土から出ている境目に穴が開いている。どうやら、ここで結界が破れているようだ。晴茂は心を静め結界を深く感じた。この結界は、芦屋家の九字紋(くじもん)で張られている。かなり強力な結界だ。これは甚蔵おじさんの呪力では張れない。それほど強い結界だと晴茂は感じた。


そして更に深く気を静めると、九字のうち「闘、者、皆、陳」の四字が破られている。この四字は、邪悪を避けることを意味する。結界内外の不浄を焼き尽くし、結界を固く閉じる印がこの四字だ。

『この結界の破り方は、異界の者ではできぬはずだ』

結界を破るにも、その順番が大事だ。結界の門扉を固く閉じる「皆、陳」の法印を破った後、邪悪を焼く「闘、者」が解かれている。


 異界の者の仕業であれば、結界を破るのにこれほど的確な破り方はしない。ただ闇雲に結界を破ろうとするはずだ。


「どうなの、晴茂」

冴子が下から呼びかけた。

「下りるよ」

晴茂は降りる前に、穴の中へ気を集中した。『ここにはもう何もいないな』と呟くと、ひらりと岩から下りた。


冴子は晴茂の身のこなしに再び驚いた。空中に舞うようにあんな高い所へ飛び、そして下りるときといえばふわぁっと鳥が舞い降りるような形だ。下に降りた晴茂は、穴の様子を二人に話した。そして再度、気を集中して辺りに残る妖気を探った。

「キツネ……か?」


 晴茂は最も強力に残る妖気を察知した。しばらくはこの付近にいたようだ。結界の破られた様子や妖気の残り具合などを総合的に判断して、晴茂は二人に次のように説明した。


「この結界は、芦屋家のおそらく十代程前の陰陽師が張ったものだろう。江戸時代の末か明治の初期だと思う。結界はかなり強力だから、甚蔵おじさんに聞けば強い呪力を持った先祖が分ると思う。結界が破られたのは一年も過ぎていない時期、最近だ。誰が、何故破ったかは分からない。封じ込められていたのは、キツネの怪、おそらく九尾(きゅうび)の狐だろう。そして、九尾の周りにいた諸々の妖怪も同時に封じ込められていたんだろう。白坊主もその中にいたはずだ。キツネは今どこにいるか分からない。しかし、九尾を探せば、他の妖怪も自ずと居所は分かる。どのように探すかが問題だ」


 結界がどのように破られていたかは二人には話さなかった。芦屋家の結界をあのように破れる者といえば、芦屋家の誰かか、残るは安倍家の誰かなのだ。しかもこの一年の間となれば、甚蔵おじさんか晴茂の父時晴しかその能力を持った者はいない。晴茂は、父時晴の陰陽師としての実力を知らないが、この結界を破った者は、この二人のどちらかしか思い浮かばない。どんな理由で、…破ったのか。


「キツネかぁ」

冴子は無邪気に反応した。

「で、九尾(きゅうび)のキツネって?」

「長く生き抜いたキツネは尾が九本に分かれ、次第に妖力を持つようになる。だよな、晴茂」

圭介が答えた。

「中国では千年以上生き、強い神通力を持つキツネを天狐(てんこ)と呼ぶ。ほとんどが九本の尾を持つ。天狐まで生きれば、神様のような存在だが、百年以上生きれば九本の尾が生えるキツネもいる。時には悪さをする九尾が現れるという」

晴茂の説明に、冴子が感心した。

「ふうん。それで、その九尾が封じ込められていたんだから、悪いキツネっていうことね」


 晴茂は岩に向かって立ち、呪文を唱え右手で大きく桔梗(ききょう)印を切った。安倍家に伝わる五芒星(ごぼうせい)の結界呪符である。『木、火、土、金、水』 五行相生(ごぎょうそうせい)の呪文を五芒星の頂点の順に唱え、元の『木』に戻り結界の印を切った。


岩を中心にその崖全体に五芒星が一瞬青白く浮かび上がった。破られた芦屋家の九字紋(くじもん)を包む形で、大きく晴茂の結界が張られたのだ。安倍家秘伝の桔梗紋五芒星の結界は強力だ。これまで何者にも破られたことのない結界だ。陰陽五行(おんみょうごぎょう)の摂理を巧みに利用した結界は、天地、宇宙の自然に逆らうことなく、相生(そうせい)の強固な結びつきを生じさせる。


 五行相生(ごぎょうそうせい)とは、『木は火を生じ、火は土を生み、土は金を産出し、金は水を呼ぶ。そして水は木を育む』という、互いに助け合い、相手を強める関係だ。

「これでよし。また何者かが、ここを利用するといけないからな。さて、今日は帰るか」


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