橋姫<12>
晴茂は、橋姫の変化を見て琥珀に念を送った。
『琥珀、攻撃してくるぞ』
琥珀は、身構えた。橋姫の手から妖気玉が琥珀目がけて放たれた。
琥珀は、それを避けた。広場で火喰い鶏を封じようとした時に橋姫が放った妖気玉より、邪悪な嫉妬心が加わり数段強い妖気玉だ。
橋姫は手に大きな鎌を持ち、琥珀を襲った。琥珀は、鎌の攻撃をかわした。橋姫の妖気は、増々強くなる。これ以上妖気が強くなると厄介だ、晴茂はそう感じた。晴茂は呪文を唱えながら橋姫と琥珀の間に飛んだ。晴茂の前には五芒星が浮かんでいる。橋姫はその五芒星の呪力に阻まれ進めない。
「おまえは、誰だ」
「陰陽師、安倍晴茂だ。橋姫、綾小路、おまえがそんなに嫉妬に狂う必要は何もないのだ」
「この小娘か、お沙世か、どちらかが道珍様の心をわたしから奪ったのじゃ。わたしを道珍様に会えなくしておいて、その隙に心を奪ったのじゃ」
「綾小路!見苦しいぞ」
橋姫は手に持った鎌で晴茂を襲ったが、五芒星に弾かれた。
「ううう、おまえも邪魔をするのか」
橋姫は、つむじ風を起こした。鋭い切れ味のつむじ風だ。カマイタチの一種だ。
つむじ風は、晴茂や琥珀の前からだけでなく、横や背後からも襲ってくる。晴茂と琥珀は空中に飛びながらつむじ風をよけた。晴茂は、呪文を唱え白虎の光線を放った。晴茂にしては弱い光線だが橋姫の右腕に当たり、橋姫は鎌を落した。
「攻撃は止めろ!綾小路。僕が道珍に会わせてやろう」
橋姫の攻撃力は弱い。晴茂なら難なく勝てるのだが、嫉妬心が人にとり付くと厄介だ。とり付いた人を呪い殺す場合もある。
「道珍様に、…、会えるのか?」
「ああ、約束する。まずは攻撃を止めろ。妖力を消せ」
橋姫はやや妖力を弱めた。
「どこにいる?道珍様は、どこにいる」
「綾小路、そんな姿で道珍に会うと言うのか。そんな醜い形相で会うのか。愛しい人に会うには、おまえがその気にならねばならない。邪悪な心を持って、愛しい人に会えるのか、綾小路!」
橋姫は、晴茂の言葉で我に返った。橋姫の妖気が徐々に引いてゆく。徐々に姿が道珍と会っていた頃に戻った。顔も美しい可憐な綾小路に戻ってゆく。
「本当に、道珍様に会えるのですね」
「会えるとも、綾小路。この上の広場で道珍を呼ぼう。二人が分かれた場所だ」
橋姫は、可憐な乙女の様に頷いた。三人は広場へ登った。
晴茂は、橋姫、綾小路を広場の真ん中に立たせた。その前で、晴茂は呪文を唱え印を切った。秘伝『反魂香』の術だ。晴茂の右手が天を指し、静かに呪文を唱えた。すると緩やかな風が吹き、辺りから枯れ枝や枯葉が集まってきた。それらは集まり、橋姫、綾小路の左横で一抱えほどの大きさになった。
晴茂の呪文は続く。枯れ枝の塊に周りの土埃が撒かれた。そして、金色に輝く砂が天から降り、その上に落ちた。晴茂の掌に数滴の水が注がれた。晴茂は、その水に呪文を飛ばし枯れ枝の塊に垂らした。晴茂の呪文の声が一際大きくなった。
枯れ枝や枯葉に土、金、水が混じった塊りの周りに鬼火が出た。
晴茂が右手で最後の印を切った。
火が塊りに飛び移り、中心部分で赤く燃えた。やがて炎は小さくなり、白い煙が立ち上った。あたりはその白い煙の甘い香りに包まれた。死者の霊を写す秘伝『反魂香』だ。
晴茂は、芦屋道珍をその香煙に呼んだ。すると、どうだ。白い煙が緩やかに渦を巻きながら、人の姿に変わってゆく。そして徐々にはっきりとした人の姿に変わった。芦屋道珍だ。どうみても生きている人間に見えた。琥珀は、目を疑った。それが煙からできた偽物には見えなかったのだ。まさに実物そのものだ。
恐るべし秘伝『反魂香』だ。
道珍を見た橋姫は涙を流し、その場に崩れ落ちてしまった。
「綾殿」
反魂香の煙から化身した道珍が、橋姫に声をかけた。
「綾殿」
もう一度、道珍は声をかけた。橋姫は、涙を溜めた目で、しっかりと道珍を見た。
「はい、道珍様。お久しゅうございます」
道珍は橋姫に近づくと、屈んで橋姫の両肩を抱きしめた。
「長い間、待たせてしまった。許してください、綾殿」
橋姫は首を横に振りながら、それでも涙の溢れる目は道珍を食い入るように見ていた。そして、道珍の胸に顔を埋めるのだった。
晴茂は、腹の前で両手で印を結び、小さく呪文を唱え続けている。反魂香の道珍を制御しているのだ。
琥珀は心の中で、『こ、これは、…本物!?』と叫んでいた。何という呪術だ。陰陽師が普通に死者の霊を呼ぶのとは訳が違う。琥珀が死者の霊を呼び出し生前の姿形を浮かび上がらせたとしても、それは単に霊の具現化でしかない。要するに目には映るが、手で触れられない虚構なのだ。
しかし、この反魂香の呪術から化身した道珍はどうだ。どう見ても本物の道珍である。触れば暖かさがあるだろうし、刃物で切れば血が出るだろう。琥珀は、反魂香の道珍に、しっかりと生気を感じる。そして陰陽師道珍としての呪力さえも感じる。反魂香の術と知らずに対面すれば生きた人間として扱うだろう。何という恐ろしい術だ。
二人は抱き合ったまま、しばしの時が流れた。橋姫の涙は止めどなく流れた。道珍は、橋姫の手を取り立ち上った。
「綾殿、わたしは火喰い鶏を封じて、あなたと一緒にどこか遠くへ行こうと考えました。しかし、我が芦屋家の掟は厳しく、あなたを火喰い鶏と同じように封じるようにと言われていました。わたしは、仕方なく弱い結界で火喰い鶏とあなたを封じました。後で、あなただけを結界から解放し、一緒になる覚悟でした」
「はい、分かっておりました、道珍様」
「しかし、その後、わたしは病に臥せってしまい、ここに来ることができなかった。あなたを封じてから六カ月後に、わたしは力尽きました。死んでからもわたしの魂は芦屋家のものです。わたしは芦屋家の陰陽師が故に自由に動けなかったのです。
あなたのことは一時も忘れた事はありません。あなたを封じてからの六カ月間、そして死後の長い年月、ずっとあなたのことを思い続けていました。二人の強い気持ちで、こうして会う事を許されたのでしょう」
「あああ、道珍様。綾も一度も忘れたことはありません」
何百年の年月を経て、こうして二人は会う事ができた。その喜びに時の過ぎるのを、二人は忘れていた。芦屋道珍は反魂香で橋姫への愛が強調されているのだが、晴茂はそれにしても道珍は一途に橋姫を思っていたのだと確信した。
晴茂は、橋姫に声をかけた。
「橋姫、綾小路、これでいいのだな。芦屋道珍の心は、死んでも変わっていなかった。あなたも道珍を信じて、待っていたはずだ。嫉妬に狂う必要はないのだ」
ようやく橋姫は顔を晴茂に向けた。
「はい、晴茂殿。有難うございました」
橋姫と道珍は、にこやかに晴茂に頭を下げた。
「さて、芦屋道珍、これからどうする?綾小路を連れてゆくのか」
晴茂は道珍に聞いた。橋姫は、道珍の目を見上げて言った。
「道珍様、連れて行ってください。綾は、道珍様と一緒ならどこへでも行けます」
芦屋道珍は直ぐには答えられなかった。
橋姫を連れていきたいと思っても、橋姫は異界の住人だ。橋姫が死んだとしても、人間の霊界に来る訳ではない。道珍は反魂香で造られた姿だ。長くこの世に居る事も叶わない。
晴茂はポケットから真珠玉を出し、手の平に乗せて二人に見せた。
「道珍、これが何か分かるか?」
「いいや分からない。普通の真珠ではなさそうだが、…」
それは、お沙世の霊が晴茂に託した真珠玉だ。お沙世の霊は、これを綾殿に渡してほしいと言った。その時は気が付かなかったのだが、晴茂はようやくこの真珠の意味が分かった。
真珠は汚れを知らない。純粋な心と同じだ。しかも浄化作用がある。妖怪である橋姫がこの真珠を持つということは、妖力を浄化できるということだ。おそらくお沙世は、この真珠で綾殿を人間にしてやってほしいと言いたかったに違いない。
妖怪は、その妖力で人間に変わることのできるものもいる。化けるのではなく、人間になるのだ。例えばキツネ。晴茂の母がそうだ。しかし、自らの妖力で人間になるには、長い年月が必要だ。
しかも、橋姫は橋に宿る妖怪だ。橋が壊れれば橋姫も消える。妖力も強くない。しかし、この神秘の真珠玉と晴茂の呪術を以ってすれば、橋姫を人間に変えることができるに違いないとお沙世は考えたのだ。
「綾小路、この真珠はお沙世さんがあなたに渡してほしいと、僕に託したものだ。綾殿に幸せになってほしいと、お沙世さんの願いが込められている。あなたがこれを持てば、あなたの妖力は無くなる。そして、僕の呪力であなたを人間に変えることができる。道珍と同じ人間にだ。
その先は、二人で考えてくれ。僕の口からは言えない。道珍、綾小路、このまま片方は人間の霊、もう片方は妖怪として愛し合うのか、人間同士になるのか。僕には決められない」
道珍と橋姫は、晴茂の話を聞いて顔を見合わせた。じぃっと見つめ合った二人は、やがて同時に首を縦に振ると、力いっぱい抱き合ったのだ。そして、橋姫は、溢れる涙を拭おうともせず、晴茂に言った。
「晴茂殿、私たちは人間の霊として、霊界で会いたいと思います。そして、もう二度と離れない」
晴茂は、道珍に向かって聞いた。
「道珍、それで良いのだな」
芦屋道珍は大きく頷いた。
「分かった。では、反魂香を消す。そして、橋姫綾小路を人間に変える。そして、それと同時に昇天させる。道珍、その時は迎えに来るんだぞ」




