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琥珀色の心  作者: 柴垣菫草
第一章 予兆
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予兆<10>

 次の朝、晴茂は芦屋家にいた。自分の家には帰っていない。電話で芦屋のおじさんの家にいると連絡をしてあった。圭介は、あれから祠を出ていない。修行の場で悪戦苦闘をしているだろう。


今朝はやっと冬らしい冷たい空気がピンと張りつめている。食事を済ませ外に出た晴茂の肩に雀が一羽舞い降りチュンチュンと(さえず)った。


「晴茂、どこ?」

家の中から冴子の声がした。返事をすると、甚蔵が呼んでいるという。肩の雀は飛び立って庭の梅の木に留まった。甚蔵の呼んでいる部屋に晴茂が入ると、冴子もいた。


「おじさん、何か用ですか」

「ああ、これを圭介に届けてくれるか」

やや小ぶりのバッグを渡された。聞くと、おにぎり等だそうだ。晴茂は、冴子の方をちらっと見て、『あ、はあ』と曖昧な返事をした。


甚蔵は晴茂の心配を感じ取ったのだろう、続けて言った。

「心配は無用だ。冴子も母親も承知している。我が芦屋家には隠し事はない」

「兄ちゃん、大丈夫かなあ」

冴子も分かってるよと言いたげに答えた。

「では、これを持って圭ちゃんの様子を見てきます」

「ああ、そうしてくれ」

「あたしも行く」

冴子が言うのを甚蔵が(さえぎ)った。

「おまえは、祠に入れないだろう。駄目だ」

「でも、…」


残念そうな冴子を見て、晴茂は言った。

「おじさん、僕がいれば冴ちゃんも入れますよ。圭ちゃんもその方が元気がでるかも知れないし」

晴茂なら張られた結界は破れるし、冴子がいる方が圭介も安らぐだろう、と甚蔵は考えた。

「そうか。じゃあ連れてやってくれるか」

「うふぅ、お願いします、晴茂」

冴子は楽しげに言った。

「では、修行の場から妙輪寺へ向かいます。朱雀(すざく)の働きで結界の破れた場所も分かりました」

「あたしも、…」

晴茂は頷いた。


 祠へ向かう途中で、冴子は晴茂の肩に降りてきた雀を見た。へえぇ、雀も寄って来るんだ、と冴子は思った。陰陽師って色々なことができるらしいが、どんなことができるのか知りたくなった。

「ねえ、晴茂、どんなことができるの、陰陽師って」

「占いだよ。方角とか時刻とか場所とか、吉凶を占うんだ」

「それは知ってるよ、他に呪術とかできるんでしょ」

「式神とか?」

「そう、それとか、他にも…」


「見世物じゃないんだけど、冴ちゃんだからちょっとやってみるね」

晴茂は屈んで落葉を数枚拾うと、一言二言小声で呪文を唱え、落葉を飛ばした。すると落葉は見たこともない綺麗な蝶々に変わり冴子の周りを飛んだ。

「わっ、綺麗!」


更に晴茂は、右の手の平に呪文を吐き、ふぅっと息を吹きかけると、冴子の周りには草花が生い茂り綺麗な花をつけ、木々は緑の葉で覆われた。春の花園だ。

「うわぁー、すごい!」

花の甘い匂いまで漂ってきた。冴子は、花に指を触れ、『あっ、本物じゃん。すごい、すごい』と大はしゃぎだ。そんな冴子の姿を晴茂はニコニコしながら見ていた。


「ねえねえ、他には? う~ん、ライオンとか、…」

「何だよそれ、子供じゃないんだから、…」

晴茂は苦笑しながら、近くの葉っぱを一枚取ると呪文を唱え遠くへ投げた。今度はライオンになった。

「うわっ、晴茂、こっちへ来る、ほら、こっち見てる」

ライオンは冴子に近づきながら一声吠えた。


冴子は晴茂の後ろに隠れて、『もういいよ、晴茂』と言う。晴茂は、右手を前に出し、『とうっ!』と気合を入れた。すると一瞬にして、ライオンも花園も、木々も、そして蝶々も消え、春の気配もなくなり、元に戻った。

「すごいね、晴茂。でも、こんな事ができるようになると、ちょっと怖いね」

「そうだね。自分でもそう思っている。遊びでやったらいけないよね。みんなには内緒だよ」

冴子は『うん』と頷いた。

 

 祠の前に着いた。晴茂は目を閉じて甚蔵の張った結界を探った。芦屋家の九字紋(くじもん)で強力な結界だ。甚蔵がこの祠をいかに大切に思っているかの証だろう。甚蔵のそんな思いを大切にするために、晴茂はこの結界は残す事にした。しかし、そんな大切な修行の場なのに、どうして晴茂の父は関与していないのだろうか。いずれ父とは話さなければならない、と思いつつ晴茂は冴子に言った。

「今から、冴ちゃんがこの祠に入れるようにするね。そこで目を閉じていてくれるかな」


冴子は、昔この祠に晴茂と入ったことは記憶にない。冴子は大人しく晴茂の言葉に従った。晴茂はいつものように、右の手の平を上にして、そこに呪文を小声で吐き、最後にふぅっと息で手の平の呪文を冴子に飛ばした。冴子は一瞬、身体の芯が何者かに撫でられた気がしたが、晴茂の声で目を開けた。

「冴ちゃん、もういいよ。身体は、…大丈夫?」

「うん、何ともないよ」

晴茂は、肩の朱雀に入り口で見張るように呟くと、冴子を促して中へ入った。修行の場の奥まで進んだ。中は暗いが晴茂には見える。冴子は晴茂の腕を掴んで進んでいる。


 圭介がいた。岩の上で座禅を組んでいる。

「圭ちゃん」

晴茂は声をかけた。冴子は暗くて圭介が見えない。

「兄ちゃん、そこにいるの?」

「あはは、そうだね。冴ちゃんには暗くって見えないね」

と、晴茂は呪文を飛ばした。修行の場のあちこちに火が灯った。やつれた圭介を見て冴子は心配そうな顔をした。

「兄ちゃん、大丈夫なの」

「平気だよ」

意外と明るい圭介の声に冴子は安心した。持ってきた食べ物を圭介に渡して、それを摘まみながら兄妹はいつも通りの様子で話しはじめた。仲のいい兄妹だ。晴茂は、気を集中して圭介の呪力を計った。昨夜この祠を出る時に比べると数倍呪力が増している。晴茂は圭介が随分頑張っているなと感じた。


 その時、晴茂は心の中に響く声を聞いた。これは安倍晴明(あべのせいめい)の念だ。晴明の像が安置されている穴の入り口まで進んで、晴茂は心を集中した。安倍晴明の念は、晴明の大いなる式神である十二天将を晴茂に譲ると言っている。現在晴茂の先生役をしている朱雀も十二天将のひとつだが、朱雀だけでなく十二の天将を使えと言う。


各々の天将に当てはまる言葉を授かった。これで晴茂は、安倍晴明の半分程の呪力を授かった事になる。秘儀である泰山府君(たいざんふくん)の術などは未だ会得できていない。これから晴茂も修行を積まねば安倍晴明のようにはなれないのだ。しかし、陰陽師として晴明の念を感じてから二日目にして十二天将の符号を会得できるとは、晴茂には天性の呪力が備わっていたのだ。晴茂はこの時、改めて身の引き締まる想いを強く感じたのだった。


「圭ちゃん、物が消えるようになった?」

「ああ、まだいつもできるとは限らないけど、少しできる」

「そうか、もう少しだね。今、僕の気を感じる?」

晴茂は圭介に気を送った。

「うん、感じる」

「じゃあ、少しづつ気を弱めるね」


圭介は目を閉じて晴茂の気に集中した。確かに晴茂の気が少しづつ弱くなっていく。晴茂が遠ざかって行くようだ。最後に晴茂の気が消えた。圭介は目を開けて、『消えた』と呟いた。

「すごい、圭ちゃん、小さな気まで感じてる。でも、あともう半分の小ささまで感じるようになるともっと凄い世界が開けるよ」

「まだ、一晩だからね。こんなもんだろう」

根っから明るい性格の圭介だ。晴茂は、この調子なら大丈夫だろうと感じた。


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