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宇宙の真理について

 

 

 まず第一として、宇宙は無から発生した。

 これは現代宇宙科学では、当然の常識とされている。

 無から有が発生した、という結論に疑問を持たれただろう。

 しかし、それが宇宙の真理なのである。

 出来る限り分かり易く理論を明示する。

 

 まず、無限大の無、という状態がある。

 しかし、その無は絶対の無でなく、無限大であるが故の”揺らぎ”が、どうしても絶対に存在してしまう。

 そして、その揺らぎ、という一つの事象を最小の起点として、宇宙という有が発生する、所謂ビックバンである。

 反論として、絶対の無から、どうして宇宙が生まれるのか、などがあろう。

 確かに、絶対の無からは発生しない、だが、その状態が無限大に続く、その無限大の無から宇宙は発生するのだ。

 つまり、無限大という要素を内包している時点で、絶対の無は想像の産物でしかない、というわけである。


 さて、宇宙の真理、答えがコレである。

 付け加えて、似たような事象に、人間の脳がある。

 人間の脳は高度に過ぎる、他の事象に比べて桁違いに思えるほど。

 これは、脳にも宇宙の真理に追随するレベルの、そういう仕組みが存在するから。

 これほど歪に高性能に存在する知生体、しかし紐解けば簡単にシンプル、当然の帰結として存在するだけ。

 人間の記憶は、脳細胞の”揺らぎ”によって、高度に発現する事象である。

 脳細胞は100億くらいで、脳の神経ネットワーク・シナプスの組み合わせで、おそらく”ほぼ”無限大に位置する。

 無限大という事象があれば、そこにビックバン的な突き抜けて高度なレベルの事象が発生する。

 人間がこれほど他を圧倒するのは、その所為であるだけだ。

 まったく不可思議でも不思議でも奇跡的でも何でもない、当然の帰結として当然に存在しているだけなのだ。



 だが、謎がまったく皆無なわけでもない。

 宇宙は、どこまで広がるのか? など、である。

 最初で言ったが、絶対的な無から、宇宙は発生していない、無限大の無から、発生した。

 無限大の無から、揺らぎを発生させて、その揺らぎが無限大強度なら、無限大に広がり続けるのだろうか?

 しかし、無限大は絶対的ではない、どこかで揺らぎが発生し、エラーが生じる。

 無限大の無から、反転して、無限大の有に成るならば、またどこかで、絶対に反転するはずである。

 

 ついでに言っておくと、宇宙意志の存在を自分は確信している。

 この全宇宙は、神の脳髄そのもの、であると。

 宇宙意思は拡大、などなど、だいたい七つほど、である。

 神であるから、その存在は絶対的で、揺らぎが無い。

 人間は、神の一部であり、神の意志のままに生きるべきと言えるだろう。

 研ぎ澄ました神格レベルの極致の知覚ならば、ソレを感じれるだろう。

 人間の脳髄は、小宇宙的であり、その無限の延長である大宇宙を感じるのに、適する。

 世界を理解するのでなく、直感や経験等々で感覚するのに、人間の神経は最適解を導き出せる、なのだ。

 

 無限大すら超越する、絶対的な揺らぎの正体は、神なのである。

 絶対とは一瞬である、一瞬に無限大の質量で、揺らぎを発生させられる、まさに全知全能だろう。

 

 無限大の無と、ほぼ無限大の無を内包する人間。

 神は、そして人間も無限大の拡大を望む。

 神とは絶対の存在である、絶対に拡大を望む。

 人間は絶対ではない。

 だから、人間には絶対的な無限大は存在しないので。

 永遠に不完全、だから神を、絶対的な完全を望むのだろう。

 

 また、なぜ、人間にだけ、宇宙の真理に比する事象が内包されているのか、そういう話である。

 ハッキリ言ってしまえば、人間一人一人の脳髄に、小宇宙があるも同然なのが、今である。

 そして、その小宇宙が、無限大である事を望む、というわけである。


 無限大の空間において、揺らぎにより、無から有が生まれる。

 進化の方向性が、無限大に突き進んだ唯一生命、それが人間である。

 およそ人間の目的など、真なる無限大に至り、神や無に至ること。

 真なる無限大からの揺らぎにより、発生した宇宙。

 ほぼ無限大からの揺らぎにより、発生した人間。

 まあつまりまるで、神と人間の関係性のようでは、ないだろうか?

 これからの宇宙は、どうなるのか? 無限大に膨張するのか、どうか?

 神と人間の決定的な差は、なんだろうか?

 神は無我であって、人間は有我である

 誰でもあって、誰でもある、というのは、つまり誰でもなくて、神でしかない。

 およそ、真なる無限大の揺らぎから派生するのは、ただ有である事だけ、在り続ける、その一点だけだろう。


 

 

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