Page 2.異界侵入(C)
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英郎とミザリーの足が止まる。目の前には顔が醜く歪んでしまった人間が立っていた。目は不自然なほどに釣り上がり、鼻は骨格が歪んでしまっておかしな方向を向いている。口は完全にさけてしまっていて耳まで届いている。
「彼はやったわ」
教師の声。脳内から直接ではなく、今度は耳から届いた声。
「彼はやったわ、だって自白したから」
「それはお前が言わせたんだろう! 殴ってまで」
ミザリーは力を使ってねじ伏せようと構えた。でも英郎がそれを制止し、教師との会話を続ける。
「彼は根暗だったから。ずっと隅っこで寝たふりをしているような危ない子だった。暗い子だった。誰にも馴染めない社会不適合者なんて、犯罪者予備軍よ」
「勝手にレッテル貼られて、勝手に限界決められて、その結果犯罪者が生まれるんじゃないか」
英郎は一歩前に出た。「ちょ、英朗、危ない」というミザリーの忠告も無視して教師に近づく。教師は英朗のあまりもの冷静さと熱さに気圧され、一歩下がってしまう。
「犯罪者予備軍を更生させてやった。ただそれだけ。彼は、危ないから」
「お前がやったのは、人一人の人生を狂わせたということだ」
英郎は脳内に流れ込んでくる男の感情を代弁している。直接想いを伝えることができない男の代わりに、不必要に増大した負の感情を教師にぶつける。
「その結果いい子になって、いい就職先に進んだじゃない。何がいけないの」
「その代わり、一生消えない心の傷を負った。一生消えない大人への不信感を植えつけられたんだ」
教師の顔が崩れる。パズルのピースが剥がれ落ちるように、顔のパーツが崩れ落ちていく。言葉にならないほど汚い寄生をあげながら。核心を突かれたのだろうか。
「更生してやった。更生やったして。更しや生ってた……か、え、れ。かえれ」
黒い地面が耳をつんざくような轟音とともに大きく揺れる。
「み、ミザリー?」
「この男の精神がかなり不安定よ。このままだとここを追い出されちゃう」
来た道が崩れ落ちて消えていく。まるでインディジョーンズでも見ているかのようだった。
「とりあえず、英朗」
「走れ!」
崩れ落ちていく地面と追いかけてくる教師。教師は延々と「殺す」という言葉を連呼している。狂ってしまったトランジスタラジオのように。
「こ、これ、僕が悪いの?」
「違うわ。あなたは男の感情を代弁したもの。むしろいい方向に転がるはずだったわ」
「だったらなんでこういうことになってんだよ!」
根っこからのインドア派である英朗に、この全力疾走は辛かった。汗が滝のように流れ、目は充血しているが、英朗は気がつかない。
「多分はぐれメンタリオンのしわざよ。男の敵になるようなメンタリオンもどきを作ってるのよ」
「なるほどな、それで精神が不安定ってわけか」
崩壊していく世界にひとつだけ全く崩れていない場所が見えた。そこには青白い光を放っているメンタリオンが一人に、うずくまって石の様に固まっているメンタリオンが一人居た。
「あそこがコアね。あのメンタリオンを私が捕まえるから、あなたは男のメンタリオンをよろしくね」
「了解」
メンタリのコアに足を踏み入れると、もう足場が崩れることはなかった。教師が追ってくることもなく、そこにはただこの男を操っているメンタリオンとこの男のメンタリオンがいるだけ。操っている方のメンタリオンは、向かってくるミザリーに気がつき、飛び上がった。英郎は男のメンタリオンを抱えるようにして起こす。
「大丈夫か?」
「なんだ、貴様は」
男のメンタリオンが英朗を突き飛ばす。英郎は思わずひるんでしまい、その場に尻餅をついた。
「貴様も重信の敵だ。心に土足で踏み込む不届き者め」
男のメンタリの手から刃物が生えた。おそらく、今現実世界で重信という男が振り回している刃物と同じものだろう。重信のメンタリは英朗にじりじりとにじり寄り、距離を詰める。ミザリーは全くものを言わないはぐれメンタリオンを追い掛け回している。
「重信を愚弄する奴は、重信の心を犯す奴は、皆殺しだ」
重信のメンタリが尻餅ついている英郎に刃物を振り下ろす。腰が抜けそうだったが、なんとか避けて立ち上がる。ミザリーたちは互角の勝負を繰り広げている。お互いこのメンタリにとっては異物なのだ。分が悪いのはやはり英朗の方だった。
「僕たちはあのメンタリオンを捕まえようとしてただけで、決して怪しいもんじゃ――」
「黙れ! 異物は異物だ。人の弱い心を理解しようともしないような奴は、皆殺しだ」
英朗の顔が、一瞬だけ曇る。
「僕は重信さんの心が読める」
重信のメンタリオンは刃物を振り回して英朗を嘲笑う。英朗は、重信のメンタリオンの顔をジッと見つめて、歩み寄る。あの時出来なかったことを、今からなら、誰かにできるかもしれないと思って。
「重信さんは今、会社でうまくいってない。主に人間関係が」
「そんなことは下手な占い師でも想像で言い当てられることだ。心が読める事の、重信の味方だということの、証明にはならぬ」
「仕事は結構できる方なんだけど、上司のミスをかぶらされたりして濡れ衣を着せられてる」
重信のメンタリオンは目を見開き、棒立ちになった。
「それが、子供の頃のトラウマを刺激して、最近精神が不安定だった」
英朗はどこか昔を懐かしんでいるような顔で、ぼそっと呟く。
「ほんと、自分は何も悪いことしてないのにね」
「貴様……」
英朗の顔は今にも泣き出しそうな赤ん坊のように、クシャクシャに崩れそうになっていた。
「決めつけやがって、人の気もしらないで」
英郎の声は暗く、深かった。まるで洞窟のように、暗くて、深かった。
「貴様……もしかして」
重信のメンタリオンの表情が少しだけ柔らかくなった。一方英朗の表情は固く、暗くなっていく。負の感情が薄い英郎が、数年ぶりに見せる悲しみと怒りと憎しみの表情だった。重信の負のエネルギーが、英朗に流れ込んでいるのだろうか。それとも。
「ほんと、死ねばいいのに」
重信のメンタリオンが刃物を消して英朗に歩み寄る。それに気がついた英朗は、またいつもの明るい表情になって、笑った。
「そう、思ってたんだろう?」
英郎がメンタリオンに問う。メンタリオンは首をかしげながら、「あ、ああ」とだけ答えた。
重信のメンタリオンが深く頷く。
「思ってた。重信はずっと、大人たちを恨んでた。死ねばいいと、思っていた」
「そうかそうか」
「私は重信の心だ。重信の弱い心だ。いつでも、彼の力になりたかった」
そう語るメンタリオンの顔は、とても優しかった。さきほどまでとの険しい顔とは、似てもにつかないほど。それは、父親のように優しい笑顔だった。
「力になるっていうのは、第三者の力を借りることじゃない。お前が自分で考え、自分で行動することだ」
「そうだ、そうだった。私はどうやら大きな力の前に目がくらんでしまっていたらしい。恥ずかしい限りだが、これが、人間らしいということなのかもしれぬな」
メンタリオンは人間ではない。でも、その考えは、その想いは、紛れもなく彼だけのものだった。
「これから先も目がくらみそうになったら、その想いを思い出すといいかもしれないな」
メンタリオンはもう一度深く頷くと、どこかへと消えてしまった。この空間を閉ざし、異物を追い出すつもりだろう。
ミザリーと戦っていたはぐれメンタリオンは状況を察したのか、どこかに飛んで逃げていく。ミザリーがそれを追い、英郎は一人取り残された。重信のメンタリオンは、笑顔だった。見えなかったが、笑顔だった。姿はなくても、笑顔で英朗に手を振っていた。英朗の体は黄色く光り、メンタリから消えた。
「貴様も、殺すんじゃないぞ」
その言葉を英郎が聞くことはなく、重信のメンタリには、これまで通り、一人のメンタリオンが存在するだけになった。
重信さんのメンタリオンは、重信さんに対して忠実なんですね。ミザリーはちょっと反抗的なのに。でも、メンタリオンがいるならミザリーみたいな子がいいです。