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わたしも欲しいもんっ

作者: 美

 世界のどこかに、二つの正反対な街があった。一つは、太陽が落ちない街。もう一つは、月が沈まない街だ。街の間には列車が走っていて、お金持ちは自由に二つの街を行き来できた。

 ムムはおそらく十歳くらいの子どもだ。おそらく、というのは、ムムには早くから両親がおらず、誕生日はだれも知らないからだ。

ムムは長い時間を、この駅前で過ごしてきた。ぎらぎらと照った太陽の下で、砂ぼこりをひしひしと体に受けて、硬い地面にお尻を落として、ムムはじっと駅の改札口を見つめ続ける。お腹が減ったら足元の砂を握って食べた。じゃりじゃりと砂を頬張りながら、視線は改札口から逸らさない。

 ムムは、あの改札口の向こうにあるという、月が沈まない街に行きたかった。ムムにとってこの街は眩しすぎる。きっと月が沈まない街というのは、この街とは違うところなのだ。砂もないし土もない。太陽もない。それだけで、ムムにとって月が沈まない街は素晴らしい夢の国に思えた。

 今日もムムは、じっと改札口を見つめる。ぱりっとしたスーツを着た、太った男女が出たり入ったりしている。彼らは月が沈まない街の住人だ。改札から出てきた人たちは皆、空を見上げて苦しそうな表情をしていた。月が沈まない街の人たちは病気なのが普通なのだろうか。ムムはますます、月が沈まない街に興味を持った。

 太った大人の何人かが、ムムを見て汚いものを見たときの顔をする。低いうなり声を出したり、口元を布でおさえたりしている。これもいつものことだった。ムムはなぜか、太った人たちに嫌われる。きっとわたしが痩せているからだと、ムムは予想していた。

「お嬢ちゃん。口元が砂だらけだけど、どうしたんだい?」

 突然、ムムの視界にぬっと現れたのは、アゴの尖った男だった。男は胸元がぱっくりと空いていて袖口の広い、ひらひらした服を着ていた。

 ムムは月が沈まない街に行きたいと言った。しかし、駅にいる大人が通してくれないから、ここで順番を待っているとも言った。

「それは違うな、お嬢ちゃん。あれに順番なんてないよ。金を持ってる奴なら、誰だって一番なんだ」

 アゴの尖った男はかっかと喉を鳴らして笑った。ムムは男の言ったことがよく分からなかったが、どうやら待つことは間違いだったようだ。

「あれに乗るにはお金ってやつが要るんだ。お金は働かないともらえない。つまり働かなきゃ、あれに乗れないんだよ」

 なるほど。ムムは感心して頷いた。

「だからね、お嬢ちゃん。提案なんだけど。うちで働かないかい?」

 ムムは頷いた。

「よっしゃ。じゃ、おいで」

 差し出された男の手を握って、ムムは久しぶりに立ち上がった。ひざの関節がパキパキと鳴る。

 嬉しい。ムムは喜びの感情でいっぱいだった。働けば月が沈まない街に行くことができる。名前も知らないひらひら服のとんがりアゴ男にも好意を抱いた。

 少し汗ばんできたところで、男が歩くのをやめた。満足げに、男は建物を見上げている。

「俺の名前はジャラン。そして、ここが温泉宿ほてり。今日からお嬢ちゃんが働くところだよ」

 紹介された建物を見てみると、竹の柵で敷地全体が囲まれているようだった。目の前の門は、恐らく『ほてり』と読むのであろう文字が書かれた看板を掲げている。

 ムムはわくわくした。働けることがそのまま月が沈まない街につながるように思えて、その門が、駅の改札口と同じくらいに輝かしく見えた。


「話は聞いたよ。アンタ、駅の前で砂食べてた子だね。月が沈まない街に行きたいんだって? いいよ。ちょうどうちも人手不足でね。働かせてあげる。歓迎するさ。アタシは女将のマンザ。アンタは……そうかい、ムムっていうのかい」

 長いパイプを口にくわえて、マンザは真っ赤ソファに座ったまま足を組む。脚部がぬるりと動いて腿肉と腿肉が柔らかく重なる。

 ムムは初めに、働くために面通しをすることになった。ここで一番偉いのがこのマンザ、という女性らしい。伸びた前髪で目元は見えないが、ふっくらした真っ赤な唇が色っぽく目立っていた。

 ジャランが歯茎を見せて笑う。

「へへ、どうだ美人だろ? 俺のカミさんなんだ」

「黙りな、ロリコン顎野郎」

「旦那に向かってひでぇ言い草だ……」

 二人は夫婦のようだ。ムムは記憶の欠片もない両親のことを思い浮かべ、こんなお父さんとお母さんだったのだろうかと想像を膨らませる。

「ムム」

 マンザが呼び、パイプを一口吸って吐いた。煙がもわもわと浮いた。

「これからアンタはここで働く。いいね。最初のうちは教育係をつけるよ。入ってきな!」

 突然大きな声をだされて、ムムは肩を震わせて驚いた。

 後方の扉が重たい音を立てて開く。「失礼します」と落ち着いた声音が聞こえた。入ってきたのは、長い黒髪を後ろで一つに縛った、つり目の女だった。なるほど温泉宿で働くのはこんな人なのかと、ムムは納得する。

「ルネだ。分からないことがあったらその子に聞きな。じゃあ、これから頑張ってちょうだい」

「初めまして、ムム。さ、早く仕事を覚えちゃいましょうか」

 ルネはそういうと、ムムの手を取って部屋から連れ出した。ムムは急にお腹が痛くなってきた。これから始まる知らない生活が、ちょっとだけ怖くなってきた。

 けれどムムは諦めない。ルネというお姉さんの歩幅に追いつこうと、ムムは大股で一生懸命歩いた。



「ちょっと! まだ掃除終わってないの? もうお客様来ちゃうでしょ!」

 ルネの怒鳴り声が耳に響く。それでもムムは嫌な顔の仕方なんて分からないから、箒を動かす腕を早くした。タタミという床はとても掃除がしにくかった。網目に引っかかって、箒を動かすにもなかなか力が要る。ムムのやせ細った腕は箒の柄によく似ていて、これ以上力を入れたらどちらも折れてしまいそうだ。

「だから! 網目に沿ってやるのよ! そんな適当に掃いてたら時間もかかるしゴミだって取れないでしょうが!」

 箒を奪い取られてしまった。

 ルネはムムから取り上げた箒を軽々と扱い、掃除はあっという間に終了した。かなり苦戦していたものだから、ムムは自分の不器用さを恥じた。砂しか扱ってこなかった手を眺めて、それからルネの手を眺めて、「自分の手は小さいなぁ」と思った。

「聞いたわよ、ムム。あんた月が沈まない街に行きたいんだって? こんなことも出来ないようじゃ、あの街に行っても野垂れ死ぬだけよ。あそこは力のない人間を受け付けない」

 どうやら月が沈まない街について教えてくれているらしい。なるほど、とムムは頷いた。そして自分の細い腕を眺めて、鍛えなければと思った。

 それからムムは、貴重なアドバイスをくれたルネに「ありがとう」と言った。

「……けっこう率直に言ったんだけど」

 ルネは低い声で、どうやら怒っているらしかった。

「私はね、嫌いなの。月が沈まない街が。あそこで暮らしてる全ての人が。ずっと夜だから、あそこの人間は暗いし冷たい。卑屈に見えるし情けないわ」

 難しい言葉がたくさん出てきて、ムムはルネの言ったことが理解できなかった。

ただ、子供のムムでもルネが嫌な気持ちになっていることは分かった。箒の柄を握りしめて、どことも知れない空間を、きっと思い出の中にある月が沈まない街の景色を見ながら、絞りだすように言葉を吐いていたからだ。

 ムムはどうしたらいいか分からなかった。気分が良くない人の癒し方なんて知らなかった。

「あー……子供に何言ってんだろ、私」

 ムムがうんうんと頭を唸らせていると、ルネが箒とチリ取りをもって客室を出ていった。

「ムム! 次の仕事行くよ!」

 廊下に姿を消したルネが声を張っている。絞った、震えた声じゃなくて、びりびりと鼓膜に響く声だった。

 大人はよくわからない。

 

 がちゃんと大きな音を立てて、料理を乗せた皿が落ちる。綺麗に盛られていた赤と白の何かの前菜が、気の遠くなるような時間をタレに浸かって過ごしたらしい肉が、他にも汁や野菜などが床にぶつかってぐちゃぐちゃになった。

「あーもー! なにしてるの! 初めのうちはそんなに急がなくてもいいから!」

 五、六歩先を歩いていたルネが、青筋を立ててムムを見下ろしている。

「ほら早くそこ片して! お客様も通るんだから! 片したら厨房に報告! 予備持って今度はゆっくりでもいいから落とさないで来て!」

 早口にまくし立ててルネは先に行ってしまった。高く積んだ料理を揺らしながら、でも落としたりはしない。ムムも早くそうなりたかった。

 床に散らばった廃棄物を皿に乗せている途中、ムムは料理というものを口にしてみたくなった。ちょうどお麩とかいうのを掴んでいたので、口に入れた。

 べっ。

 しょっぱくてすぐに吐き出した。


「お客様の布団を敷くくらいなら、私がいなくても出来るでしょ」

 つい先ほど、ルネはそう言ってどこかへ行ってしまった。客室に一人取り残されたムム。部屋にはすでに宿泊客の荷物が置かれていた。ムムの身の丈と同じくらいある巨大なカバンだ。

 客は若い男女二人。彼らが湯船に浸かっている間に、布団をきちんと敷いておく。それがムムに課せられた仕事だ。

 今日はいっぱいルネを怒らせてしまった。だから、これくらいはちゃんとしないと。

 ムムは早速仕事にとりかかった。

 押入れから敷布団を引っ張り出して、それを二枚並べる。それと対になっている掛け布団をまた引っ張り出してきて、敷いた布団に載せる。最後に枕を置いて、彼らの寝床が出来上がった。

「な、なんだこりゃ!」

 後ろから素っ頓狂な驚声が聞こえた。男の客が一足先に、風呂から帰ってきたようだ。

「布団が、というか部屋が、ぐちゃぐちゃじゃないか!」

 ヒステリックな叫びを上げて、男は頭をわしゃわしゃと掻き毟る。

 やはり、というか気合の表れというか。ムムがセッティングした布団はくちゃくちゃに乱れていた。シワが波のように出来上がっていて、二つの寝床も重なってしまっている。それだけではなく、強引に引っ張り出したせいで、押入れから関係のない衣紋掛けや収納ボックスが転がり出ていて、周囲に散乱していた。

 しかしムムにとっては、これが精一杯の力を出した結果である。

「やい、この子供! イタズラなら他所でやれよ!」

 男はムムの仕事に腹を立て、ぎゃあぎゃあと怒りをぶちまけ始めた。部屋が汚い、布団が汚い、わざわざ仲居さんの格好をして悪戯なんてとんだ悪童だ、親はどこだ、家は近所か、だから辺境は怖い、秩序がない、乱れている、この部屋のように何もかもが乱雑だ。

 ぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあ。

 不平不満をまくし立てる男を見て、ムムは、大人はたくさんの言葉を知っているんだなぁと感心していた。

「もう我慢ならないぞ! 女将に突きだしてやるからな!」

「あれ、ヒーくん何してんの?」

 ムムが首根っこを掴まれた、ちょうどその時。男の後ろから、連れの女性客が顔をだした。

「あ、アタミ! 聞いてよこの子供がさ!」

「あれ。この子、ジャランさんが拾ってきた子だよ」

「ひぃっ! ほ、本当に……?」

「うん。さっきお風呂から戻ってくるときに聞いた。ここで働くことになったんだって」

「うわああごめんなさいごめんなさい! 正直ジャランさんは怖くないけどマンザさんは超怖い!」

「部下思いだもんねー」

 突然慌てだした男はあっさりとムムを開放した。それから子供であるムムに、深々と頭を下げ、「ごめんなさい!」と繰り返した。

 忙しい人だなと思いつつ、ムムは「だいじょうぶです」と言って、くしゃくしゃな布団を直しに向かった。この男の人に、これだけ嫌な気持ちをさせてしまった。それに対してごめんなさいという気持ちで、せっせとシワを伸ばしていく。それから布団の位置も直して、押入れから飛び出た荷物も背伸びをしながら片付けようとした。

 けれど、上の方に乗っていた箱がどうしても戻せない。いくら背伸びをしても、それは絶対に埋まることのない高低差だった。細い腕にかかる重量が、だんだん増していくようだ。

 それがなぜか、急に軽くなった。

「ほらぁ、すごくいい子じゃない。ヒーくん、こんな子苛めてたの? サイテー」

 アタミと呼ばれた女性客が、いつのまにかムムの持っていた箱を、押入れの最上部に置いていた。「ここ?」と上から質問を落とされたから、ムムは顔を上げて頷いた。

「いや、だってさぁ。ほてりでこんな小さな子が働いてるなんて思わないだろぉ」

「でもちゃんと仲居さんの格好してるじゃーん。あ、こっちおいで」

「おい、なんでその子抱っこしてるんだ」

「がんばったご褒美みたいな?」

「……というか、僕らにだって仕事があるように、その子にも仕事があるんじゃないか?」

「あー……ヒーくん、マトモなこと言うね」

 抱きかかえられたまま、アタミと一緒に座っていたムムだったが、その会話でまだ他に仕事があることを思い出した。

 今まで人に抱かれたことなど無かったために、アタミの不思議な心地よさについ浸ってしまっていたせいで忘れていた。

 そうだ仕事だ。仕事をしなければ。いや、でも、もう少しだけこのままで……。

「あれ……ちょっとー?」

 うとうとと船を漕ぎ始めたムムの鼓膜に、アタミの声が届く。しかし、まどろみの中へ沈んでいく意識は、それだけでは帰ってこない。

 すぱん、と鋭い音と共に客室の襖が開いた。

「ムム!」

 青筋を立てたルネの怒号で、ムムは見事に飛び起きた。


 ムムにとって、今日はとても大変な日だった。初めてのことがたくさんで、覚えようと必死になるせいで、人生で一番の労力を使った。当然、終業時間が来てみればムムはぐったりと疲れていた。だから割り当てられた部屋で、生まれて初めての布団で、泥のように眠っていた。

 しかし、ムムは突然、目が覚めてしまったのだ。

 だからムムはこうして館内を、拙い足取りで探検している。目が覚めたのと同時に、布団の感覚に慣れず、どうも居心地が悪かったためでもあった。

 ここは太陽が落ちない街。光量の差はあれども、街が陽の輝きを失うことはない。時間的に夜である現在、外は白夜となっている。館内には外の薄明かりがふわりと差し込んでいて、まるでムムを柔らかく包んでくれているようだった。

 とっとっ、と小さな足音と共に廊下を進んでいたムム。ふと気づくと、マンザのいる女将の間の前まで来ていた。女将の間からは話し声と、一際強い光が漏れ出ている。

「で、どうなんだい。侵食の影響は」

 マンザの上から投げかけるような声が、扉の向こうから聞こえる。扉はほんの少し開いていて、そこから中の様子を覗くことができた。

 ムムは前人未到の秘境を見るように胸をドキドキさせて、開いた隙間から中を窺う。真っ赤なソファに座ったマンザと、その隣にジャランが見えた。加えて手前右にはルネが、そしてどういうわけか手前左側には、アタミとヒーくんがいる。

「だめだ。やっぱ日に日に迫ってきてる。こりゃもう、飲まれちまうのも時間の問題ってやつだぜ」

「そうかい。まぁ、だからあんたら二人に来てもらったんだけどね」

「ま、マンザさん! いや、どうも、あの、なんていうか、またお仕事ご一緒できて嬉しいです!」

 ヒーくんは緊張しているのか、声が裏返っていた。

「うっそー。さっきあんなに、行きたくない~、嫌だ~、とか言ってたじゃん」

「ちょっとやめてくれよ!」

 オドオドと落ち着かないヒーくんは、さっきから腰が引けている。

「はは、相変わらず仲が良くて羨ましいや。なぁ、マンザ。俺たちも結婚したばっかりの頃はよぉ」

「うるさいね。玉ァ潰すよ」

「ひぃっ!」

「ごめんなさいごめんなさい!」

 見事に形無しの男性陣であった。

 一体何を話し合う集まりなのか、ムムには分からなかった。しかし今日一日見てきた経験から、佇むルネが苛立っているのは察することができる。

「そんな話いいから、ちゃんと仕事はしたの?」

 とうとうルネが、ささくれ立った感情をむき出しにして、強引に会話の流れを戻した。

「ご、ごめんよルネ」

「あー、ヒーくんのせいで怒られた」

「で、例の物は調達出来たのかい?」

「あぁ、はい」

 ヒーくんがマンザの前に持ってきたのは、ムムが客室で見た巨大なカバンだった。固そうな留め金を外して中身を見せると、マンザは満足そうに頷く。ジャランがカバンから荷物を取り出してマンザに渡した。

 ムムには、マンザが手にするそれが何なのか分からなかった。長くて、黒くて、筒に取っ手のようなものが付いていて。マンザがそれを構えた。右手で取っ手を持って、左手で筒を支えている。人差し指はどこかに引っ掛けているようだ。それを構えたまま、目の辺りに近づけている。

 なるほど。あれは望遠鏡のようだ。

望遠鏡ならムムも知っていた。

「今あるもの以外でも、ルートは確保したから確実に仕入れることができますよー」

「あ、それとマンザさん専用の物は、頼まれた通りにしておきましたので。また、近いうちに」

「相変わらずいい仕事だね、商人」

「な、なんでも売るのが僕らの信条、なので」

「毎回聞くねぇ、それ。どうだい、ルネも触ってみるかい? ほら、ジャラン」

 「へいへい」と軽い返事をしながら、ジャランが望遠鏡らしきものを受け取る。それを直接ルネに手渡した。

 ルネはレバーのようなものをガチャンと引いて、素早くマンザと同じ構えを取った。筒の先端はヒーくんを向いている。

「うわぁぁぁちゃんと仕事しますからぁぁ!」

「落ち着きなってヒーくん。あれ弾入ってないじゃん」

「はっはっはッ! やる気十分じゃないか、ルネ。まぁ、月の人間を恨んでるアンタからしたら、それ持ってすぐに突撃していきたいだろうけどねぇ。まだ待ちな」

「はい……」

 腰を抜かして座り込んでしまっているヒーくんに、ルネは望遠鏡のようなものを預けた。ヒーくんはおっかなびっくりした様子で、望遠鏡を抱くようにした。

「しっかし、ルネもおっかないねぇ。月が沈まない街からだって客は来るんだぜ? 俺は怖いね」

「分かってますよ。でも」

「我慢の限界が近いのはアタシ達も同じさ。だから戦争を始める準備をしてるんだ」

「月の領域が、この街に迫ってきている……」

「あぁ。このままじゃ、この街は夜に沈んじまう。そうなる前にアタシらが撃って出る。ルネ、アンタは開戦の時をじっと待ってな」

 難しい話になってきて、ムムは眠気を取り戻しつつあった。

結局、マンザたちが望遠鏡を持って何をしていたのかは、ムムには分からなかった。けれど、遠くの景色を見に行く話でもなさそうだ。一体どういうことだろうと、ムムは頭をうんうん唸らせて考える。しかし考えれば考えるほど、ムムを襲う睡魔が強くなっていった。

 明日も早いし、もう寝よう。

 ムムは眠い目をこすりながら自室に戻っていった。

 

 ムムが働き始めて一ヶ月が経った。

「この子がムムちゃんかー! いやぁ、噂通り、なんていうか、癒される雰囲気を持ってるなぁ」

「ねぇ、ムムちゃんってこの子じゃない? うわーほっぺたムニムニ!」

「孫が欲しくなるなぁ」

 ほてりのエントランスで、ムムを中心にして人だかりができていた。最近、出迎えに行くと客の多くがこうした反応をするようになったのだ。ムム自身、なにが原因で人が寄ってくるようになったのか分からなかった。少し前までは駅前で嫌悪した表情を向けられるような存在だったのに、これほど環境が逆転すると戸惑うことしかできない。

「すっかり人気者ね」

 客はがしと案内を同時にこなしながら、ルネが苦笑いを浮かべていた。

 その後、出迎えを終えて次の仕事に取り掛かるべく廊下を歩いていた時に、ルネが切り出した。

「初日にムムと仲良くなった二人がいたでしょ。あの人たち、色んな所を渡り歩いてる商人なのよ。たくさんの物を売ってる人ね。その二人が、というか、片方の女の人が各地で宣伝してるみたいなのよ」

 どうやらルネは、急にできた人だかりの事を説明しているらしい。なるほど、あのアタミという女性がムムのことを良く言って回っているようだ。ムムはなんだか照れくさくなって、アタミの顔を思い浮かべながら顔を伏せた。自然と、その顔には笑顔がこぼれた。

「たった一ヶ月ですっかり変わったわね。アンタ自身も。……ねぇ、今でも本当に月が沈まない街に行きたいの?」

 どういうことだろう。ムムは首をかしげた。

「なんで呆けた顔してんのよ。アンタはもう一ヶ月前の、駅前の浮浪児だったアンタじゃない。自分の居場所がちゃんとある個人なのよ。マンザさんに頼めば、きっといつまでだってここに置いてもらえる。ここで生きられるんだよ」

 雑談にしては熱のこもった、まるで訴えるかのような言葉だった。勧め、というよりもルネの願望のようにとれる。

 しかしムムは、さらに首をかしげた。理解しようと努力したけれど、ルネの言葉はよく分からない。月が沈まない街に行くことはムムの夢だし、なぜそれを諦めるようなことをしなければいけないのか。それだったら、ほてりで働く意味がなくなってしまう。ムムのしたいことが一生叶わない。もしかしたらルネはムムにいなくなって欲しいのだろうか。知らないうちに怒らせるようなことをしてしまったのだろうか。とりあえず「ごめんなさい」と謝っておく。

「だからそういうことじゃなくて……はぁ、やっぱいいや。私怨もあるだろうし。ごめんね、ムム」

 ルネは足早になってムムを突き放していった。それに追いつこうと、ムムは反射的に走り出した。

 ルネが急に振り返る。

 ムムは駆け出したばかりの体にストップをかけた。重心が前にいって転びそうになった。

「でもさ、ムム。今ならまだ……」

「あぁ、いたいた! なにしてんだぃ二人共! 仕事だ仕事! 急に予約が追加になったんだ!」

 中年男の焦った声が響く。

「……はぁい、ジャランさん! ごめんね、ムム。もう難しい話はおしまい。お仕事しよっか」

 突き当たりの角からひょっこり顔を出したジャランの元に、とっとっ、と早足で向かうルネ。ムムもそれに続いた。

 仕事を頑張って、ルネの機嫌を良くしよう。

 精一杯、そんなことを考えながら。


 ほてりの裏方は予想外の予約にてんやわんやとしていた。各部署が対応に追われ、館内の従業員スペースは人の往来が激しく、街の大市場のような喧騒を生み出している。足が床を蹴りつける音が響いて、ムムは油断すると足に飲み込まれてもみくちゃにされてしまうのではと冷や冷やしていた。

 たった一つの予約でこれだけ忙しくなったのには、予約してきた客が原因だった。

「月が沈まない街の人間が予約、ですか?」

「そうなんだよルネちゃん。いや、しかも上客でね。向こうの議員さん。だから皆こんだけ焦ってるんだよ」

「もしかして、計画がバレた……とか」

 ルネが拳を握り締めるのが、ムムには見えた。

「いや、多分ないと思う。つーか、俺が心配してるのはそこじゃなくてね」

「私が変な気を起こさないか、ということですか」

「そういうこと」

「仕事の最中にそんな馬鹿なことはしませんよ」

「あぁそれと、だからってわけじゃないけど、そのお客様にはお嬢ちゃんを当たらせる。いいかい、お嬢ちゃん」

 唐突な指名に、ムムは上ずった変な声を出した。目に見えて苦しそうにしているルネに集中するあまり、ジャランの言葉をほとんど聞いていなかった。

「はっは、緊張してるのかな?」

「やったね、ムム。あこがれの、月の住人と、お話できるかもしれないよ」

 それは耳寄りな情報だった。

 ムムは無邪気に笑って、顔いっぱいに喜びを表現する。

「お客様の名前はリンドガン。月が沈まない街で議会に参加している人だよ」

 ルネが眉をぴくりと反応させる。明らかに動揺を隠している険しい表情。荒くなる呼吸。

 その全てを、ムムは見逃していた。


 石柱のように大きく、むっちりとした男が二人、客室の前を塞いでいた。ムムが仕事で来たことを伝えると、二人は頷いた。

二人はボディーガードらしい。お金持ちはすごいなと、ムムは思った。

 するり、と襖が擦れる音を立てながら、ムムはリンドガンの客室へと踏み込む。ムムがいつも訪れる客室とは違い、そこは広くていい匂いがした。白夜の橙色に輝く様が、開け放たれた窓から注がれている。それが漆の机に反射して綺麗だった。その机の一部を陣取る贅沢な懐石料理たちも、それに劣らない美しさと存在感だ。

「あぁ? なんだ女将じゃないのか」

 部屋にいたのは、小太りで顎を二重にした、つり目の男だった。常に睨めつける様な、愛想のない男だ。

「こんな子供をよこして、馬鹿にしているとしか思えんな」

 鼻を鳴らして、リンドガンはふんぞり返った。だらしない肉がのそりと動くのは、ボールが転がるかのようだ。

しかし相手は偉い人だ。ムムは「ごめんなさい」と謝った。

「よせよせ、謝るな。腹を立てているのはお前にではない。俺は寛容な男だ。俺は受け入れるのが得意なんだ」

 大人は難しい言葉を使いたがるものなのかな。

 首を傾げるムムを見てリンドガンは豪快に笑った。笑うと顔にたくさんのシワが出来て、ムムが初めて敷いた布団のようだ。

「子供には分からんか。ガッハハハハハ! お前は不思議な子供だな! 俺は本来、子供はあまり好かん性分なのだが、お前は自分が子供であることも理解できていない。いや、この世の何一つも理解できていない、空っぽの器のような目をしている。だからなのかもしれんな」

 リンドガンはムムに体を向けた。

「子供、この街は好きか」

 ムムはすぐに首を横に振った。しかしすぐに、これは従業員としてマズイかもしれないと思い、そのままあたふたと、縦とも横ともとれない、微妙な首の動きを続けた。

「ハッハッハ! そうか嫌いか! いや、近々この辺りも俺達の街になりそうなんでな。申し訳なさなど感じるわけがないが、まぁ、ただ興味本位でな。そうか嫌いか」

 リンドガンはしばらく笑い続けた。その間、ムムはじっとリンドガンの、不細工な顔を見つめた。

「ん? 何か言いたそうだな。いいだろう、聞いてやる。俺は普段、こうした機会など設けないが、今日は気分がいい。さぁ聞け」

 月が沈まない街はどんなところですか。

 知りたかった、一番知りたかったその質問は考えるよりも先に口を出ていた。

「いい街だぞ。なにせ俺の街だからな。俺が支配する、俺が作り上げた街だ。邪魔なやつは消して、俺を慕う人間を仲間にしていく。もちろん、その仲間を教育することも忘れない。俺は仲間を大切にする人間でな。仲間のために粉骨して働くんだ。そうして出来上がった今の議会は、俺のものも同然だ。聞かせてやろうか、俺の華麗なる仕事を」

 期待していた回答でなかったことに加え、やはりムムには意味が分からない言葉ばかりだった。しかもリンドガンはムムの返事も待たずに勝手に喋りだした。

「俺はただの、市議の役員だった。下っ端で弱い立場だった俺は最初、なんの自由もなかった。無能な年寄りに媚びへつらう毎日だ。苦痛だった。だがしかし、俺は大勢に屈しない男だ。選挙に出た。太陽と月の共存とかいう安い環境保全なんぞを謳っていた連中に真っ向から勝負を挑んだ。そして勝った。どうしてか分かるか? 俺は人気があった。当時で言う過激派だった俺の意見は珍しかった上に、妥当だった。みんなが、心の底では自分の得を考えてやがったのさ。そこで、欲望を出しやすい環境にしてやったのさ。だが中央に入り込んだ後も苦労が続いた。年寄り連中は俺を排除しようと躍起になったが俺はそれを」

 リンドガンは演説を一方的に続ける。その内容は大半が自分の武勇伝で、気持ちよさそうに朗々と、誇らしげに語っていた。

 もちろん、ムムは飽き飽きしていた。しかしこの肥満男も他の人間と同様にお客様なのだ。ムムはほてりの従業員として、姿勢を正していることに集中する。

 その時、ぱすん、と空気の抜けたような音がして。

がたん、と襖が動いた気がした。またルネがいつまでたっても仕事に戻らない自分を叱りに来たのか、と思ってムムはびっくりした。

 しかしルネは現れなかった。気のせいだったようだ。

「そこまでした。今では議会の殆どが、俺の派閥の人間だ。俺は優秀な男だ。仕事に関しては謙遜など不要だと思っている。汗をかきながら、それでもスマートに物事をこなしてきた。俺に反対する人間でさえ、俺は受け入れてしまう。この包容力こそがトップの秘密だ。当初は反発こそあったが、今では皆が納得している。そんな俺は、こうして未来の領地を自ら確かめに来たというわけだ。」

 どうやら話が一区切りついたらしく、リンドガンはカバンをまさぐり始めた。

 取り出したのは茶色のパイプ。マンザがたまに吸っている物と似ていた。

「火がないな。おい、パイプの火をくれ!」

 外のボディーガードに声をかける。

 しかしボディーガードは一向に襖を開けなかった。きっと話が長くて寝てしまったのだろうな、とムムは予想する。

「おい、聞こえてるだろう! 火を持って来い!」

 二度目の呼びかけで、ようやく襖が開いた。

「……」

 リンドガンの顔が驚愕で固まり、それから歪む。お肉をぶるぶるさせて、体をガタガタさせている。とっても怖そうだ。やがて額にはべっとりとした脂汗が滲んできた。

「お前、外の連中はどうした……」

「コロした」

 襖を開けて現れたのはルネだった。その手には、小さい筒と取っ手の望遠鏡が握られている。

 初日にムムが見たものよりも形状はかなり違っていた。明らかに後から取り付けられた、黒いちくわみたいなものが先端にある。

 ルネの後ろでは、あのボディーガード二人が倒れていた。

 やっぱり話が長かったんだなぁ。寝ちゃうよね。

 ムムはぼんやりと、そんなことを考えた。

「ま、待て! 理由はなんだ? どうしてこんなことをした? 嫉妬か? 俺を憎む人間はもういないはずだ! どうして」

「私の父はアンタにコロされた。だから復讐するのよ。私の、パパとママを奪ったアンタに。私の、幸せ……踏み潰してったアンタに」

「そう、そうか! それはすまなかった! しか、か、しかし! 俺の体制は磐石だ! いま、今なら戻れるぞ! あの街に! その銃を下ろせば」

 また、ぷしゅっと空気が抜けた。

 ムムがそれに気づくと、いつの間にかリンドガンも、床に寝ていた。

 あの寝相は首を痛めるなぁ。

 ぼんやり、思った。


 程なくして、紺色の制服を来た大人たちがルネを連れて行った。ルネは疲れきった、それでいて爽やかな表情で、最後にムムに言った。

「私は、もう満足しちゃった」

 一体何が満足なのか見当もつかなかったが、ムムは小さな手を振ってバイバイと言った。これがお別れだということは察することができたからだ。

 ルネが連れて行かれた後、ムムはマンザの部屋に呼び出された。重たく大きな扉を開けると、中には大人が何人かいた。マンザにジャラン、厨房のおじちゃん、料理長のお兄さん、売店のおばちゃん。みんなお世話になった人たちだった。それに混じって、久しぶりな顔もいる。

「ムムちゃん、一ヶ月ぶりー」

「ま、まだ働いてたのか、この子供」

 アタミとヒーくんだ。

「お嬢ちゃん、びっくりしたろ。ごめんな、怖い思いさせちゃってな」

 ジャランが切り出した。

 ムムは何のことを言っているか考えが及ばなかったが、さっきのことかと遅れて気づく。

 人が寝ただけなのに、何を怖がるのだろう。「いえいえ」と返しながら、ムムは疑問に思った。

「あの子、ルネの父親は月の議員だったのさ。リンドガンの方針に、最後まで猛反対してた。それを邪魔に思ったリンドガンが汚い手でルネの父ばかりでなく、母親までコロしちまったのさ。そんで、幼かったルネを街から追放した」

「で、親父さんが生きてた頃は良くこの宿に来てたから、ウチで面倒見てたってわけでさ。なぁマンザ」

「勝手に話に割って入るんじゃないよ」

「すまん……」

 しょげるジャランを全く気にすることもなく、マンザは一枚の封筒を取り出した。

「ムム、これを受け取りな」

 渡されてみると、中にはお金が入っていた。多いのか少ないのかムムには分からなかった。

「アンタの給料だ。それだけあれば、あの列車に乗って、月が沈まない街に行ける」

 そうなんだ!

 行けるんだ、これで!

 ぱっ、とムムは目を輝かせた。お金の入った封筒を大切に抱きながら、嬉しさに飛び跳ねる。

「やったね、ムムちゃん!」

「あれではしゃげるんだから幸せだよ……」

「もっと喜んでよヒーくん! ヒーくんだってずっとムムちゃんのこと心配してたじゃん! あの子供なんかやらかしてないかな~、大丈夫かな~って」

「い、言ってない! 言ってないぞそんなこと!」

「ともかく、これでうちの店との契約は終わりだ。荷物まとめてさっさと出てきな」

 マンザがパイプを口に咥えて、真っ赤なソファにふんぞり返りながら言った。もちろん、言われなくてもムムはそうするつもりだった。これでここにいる意味はなくなったわけだ。それに、ムムには荷物なんていうものはない。

 貰った給料を握って、ムムは「ありがとうございました」とお辞儀をした。

 それからマンザの部屋を出た。

 重い扉が強く音を立てて閉まった。


 がたんごとん、という音に合わせて体が上下に揺れる。それが面白くて、列車の旅は退屈しそうになかった。

 ムムは無事、列車に乗れた。かつては「乗れないよ」とぶっきらぼうに言うだけだった駅員さんも、お金を見せたら笑顔で切符をくれた。

 ふかふかした椅子に、窓の外を駆けていく真っ平らな大地。外の半分はもう暗かった。いよいよ月が沈まない街に近づいているんだと思うと胸がドキドキしてくる。ムムはなんだか落ち着かなくなった。

 街に着いたら何をしよう。

 お金はまだある。

 お店に行ってみたいな。

 服って色んな種類があるのかな。

 街に砂は無いのかな。

 きっと目に映る全てが楽しいに違いない。その証拠に、今夢想するだけでもムムはかなり楽しかった。

 楽しみだなぁ。

 うとうとと体が揺れ始めて、やがてムムは眠ってしまった。

 明るい未来の夢を見た。


「いいかい、アンタ達。これはアタシらのための戦いだ。遠慮はいらない。思慮もいらない。目に入った敵全てを潰しな。そうじゃなきゃ戦う意味がないよ」

 ムムが列車に揺られている頃、マンザ達も同じ状況にあった。ムムが乗った列車から一本後に来た列車に乗っている。

 いや、正確には列車を乗っ取っていた。

 現在、この列車には、太陽が沈まない街に住む大人たち全てが乗り込んでいる。

 そしてマンザたちは今、最高速度で月が沈まない街に向かっていた。

 列車の運転室を陣取り、車内放送用のマイクに向かって、マンザは喋る。

「殺せ。夜を殺せ月を殺せ人を殺せ社会を殺せ邪魔なものは全部殺せ。アタシ達のためだけに!」

 列車の装甲板を貫く勢いで、車内から雄叫びが上がる。

「いい演説じゃないか、マンザ。お前はきっといい独裁者になれるぞ」

「分かってるよ、ジャラン」

「素直な返しが不安感を煽るねぇ」

「戦争なんてエゴのぶつかり合いでしかないよ」

「それでも欲しいからやっちゃうんだよねー。買い物と一緒だって」

「紙幣の代わりに弾丸を支払うからね、とか言うのはやめてくれよ? 映画の見過ぎ」

「もー! 言おうと思ったのに!」

 アタミとヒーくんの会話を最後に、運転室に静寂が訪れる。

 戦いを仕掛けると決めたことを後悔している人間は一人もいない。むしろ、戦わない方がおかしいというのが、今の太陽が落ちない街の風潮だ。それが総意だ。

 しかし、それとは別に気がかりが一つあった。全員の心の奥底に、その気がかりは転がっていた。たった一人の小さな女の子のことが、唯一の心配であった。

「ムムちゃん、大丈夫かな……」

「邪魔なものは全部壊せ。アタシはそう言った」

 アタミの言葉を遮るようにマンザが言い、立てかけてあった大筒を担ぐ。

 それは超小型化した大量破壊兵器である。プロミネンス砲と名がついている。マンザもその原理は知らないが、商人二人に聞くと、小さい太陽を吐き出すものだという。

「前を行く列車が見えるな。……あれには確か、月の住人しか乗っていなかったな?」

「え?」

 マンザは後方のドアを開け、列車の横をよじ登っていった。驚く三人は相手にせず、プロミネンス砲と無線を担いで、列車の天井に張りつく。

「今だ、車線を変えろ」

 どこかと無線で連絡を交わすと、段々とマンザ達が乗る列車は左にズレていき、前方を行く車両を追いかける形だったのが、すぐに併走するようになった。

 マンザたちの乗る列車は最高速を突破している。だからその車両を悠々追い越すことができた。

 充分距離がとれたところで、マンザはプロミネンス砲を構えた。

 引き金を引く。

 強い反動がマンザの体にかかる。

 それとは反対に、飛び出したのは小さな火の玉だった。火の玉はぐんぐん飛距離を伸ばし、目標の上まで到達した。

 そして弾けた。

 火球はいきなり大きくなり、列車を飲み込んだ。中心にいくに従って黒ずんでいる火球は、なるほどまさしく小さな太陽だった。

 打ち出した時よりも強い衝撃が、轟音とともにマンザの体を吹き飛ばそうとするが、なんとか耐える。

 轟音が収まると、火球があった場所にはぽっかりと巨大な穴があいていた。

 虚しい穴だった。



 なんだか暖かい場所だ。

 辺りはものすごく明るい。眩しいくらいだ。

 誰かの命の輝きみたいだ。それがたくさん集まったみたいだ。

 いい場所、かもしれない。

 けれどここは、数センチ先すら見えない。

 先が見えない。誰かに奪い取られてしまったかのように、四方八方が見事に何もない。

 きっと大人たちだ。

 大人たちが持ってったのだ。

 大人たちは取り上げるのが好きなようだ。

 守ると言って取り上げる。

 あげると言って取り上げる。

 残したいと言って取り上げる。

 好きなものを選べと言って取り上げる。

 こっちを見ないで取り上げる。

 そっぽを向いて取り上げる。


 次は何て言って取り上げる?


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