5
目を覚ました時、見覚えのない天井が目に入った。状況が理解できず、起き上がろうとすると両手が拘束されていることに気付いて愕然とする。不自由な身体で何とか起き上がると、足首にも枷が嵌められていた。
何が起きているのかわからない。ただ、馴染みのある揺れから自分が船の一室にいることはわかった。しかし、カインの船ではない。
しばし茫然としていると、扉が開いた。入ってきたのはケントだ。
「ケントさん、これは……?」
彼の顔に昨日の人懐こい笑みはなかった。
「悪いがおまえには売られて貰う」
「え?」
「銀髪の女は高く売れるのだろう?」
その発言にルキは愕然とした。ケントが唇を歪めて笑う。
「今、傭兵稼業は儲からないんだよ。俺も海賊になったんだ。おまえのところの船長のような温い海賊じゃなくてな」
「ルークやカインを騙したの?」
「ああ。本当は金をいくばくか借りるつもりだったが、おまえを売った方が儲かる」
昨日の珍しく饒舌で素直だったルークのことを思い出し、ルキは奥歯を噛み締めた。
「最低ね」
「生きるためだ。綺麗事じゃ生きていけねえんだよ、お嬢ちゃん」
そう言って、ルキの頬を片手で挟むようにして顔を近付けてきたケントに思い切り頭突きをお見舞いする。舌打ちしたケントはしたたかにルキの頬を張った。唇の端が切れて血の味がする。ケントが出ていった扉を睨み付け、ルキは古いベッドの上で膝を抱いて途方に暮れた。
「ルーク、ルキ知りませんか」
「どうせ寝坊だろ。叩き起こせ」
ルークの答えにカインは困ったような顔をした。
「さっき部屋をノックしたんですけど、返事がないんですよ」
「入って叩き起こせばいい」
「じゃあルーク起こして下さいよ」
カインの返しにルークが眉をひそめた時、ハルがのんびりと言った。
「ルキなら昨日の夜ケントさんと話しているのを見たぞ。話し込んで遅くなったんじゃないか」
「おい、まさか二人で……ルーク、ケントはどこ行ったんだ?」
ロイドが怖い顔でルークに詰め寄る。ルークは「朝から見ねえな」と答えた。ロイドがますます血相を変え、ルキの部屋へ駆け出して行く。
それをルークやカインが追うと、彼は空っぽの部屋で呆然としていた。
「これ、ルキ戻ってないんじゃないですか?」
綺麗なシーツを見てカインが眉をひそめる。ルークはルキの部屋を出てケントの部屋へ向かった。ノックもせずに彼の部屋を開けると、その部屋のシーツも綺麗なままだった。
追いかけてきたロイドが顔をしかめる。
「まさかあの二人、意気投合したんじゃないだろうな」
「そうだとしても、部屋に戻らないのはおかしくないですか。ケントさんの荷物もありませんよ」
ドンッと音がした。
全員の目が自分を見、さらに右手がじんじんと痛むことからルークは自分が壁を殴ったことに気付いた。
ルークは黙って踵を返し、宿の階段をおりていく。足早に港へ向かうルークを追いかけてきたカインが、「どうするつもりですか」と訊ねる。それに答えず歩き続けたルークの腕を、珍しくカインが強引に掴んだ。
「ルーク。勝手に動かないで下さい」
「俺の問題だ。離せ」
「ケントさんとの因縁は貴方の問題かもしれませんけど、ルキのことは貴方だけの問題じゃありません」
カインがきっぱりと言い、ルークは足を止めた。
「短い付き合いじゃないんです。貴方の考えてることは何となくわかります。それでも、俺のことは信用してくれませんか」
そう言われて、ルークはカインの手をそっと振りほどいた。
「……おそらくあいつは昨夜のうちに船で港を出ている。うちの船じゃ追い付けねえ。高速艇を借りて行く」
「それが良いですね。行き先に検討は?」
「つかねえ。港で聞き込みをしてみよう」
カインは頷いて、追い付いてきたロイドたちに情報を集めるよう指示を飛ばす。船員が散っていくと、彼自身は高速艇を借りに行った。
情報は集まらないかと思ったが、夜中に出港する船は目立つので覚えている者が何人かいた。さらには宿の主人が北にあるヴェストブルクへ行くという話を聞いており、ルークとカインは北に向けて出発しようと決めた。
高速艇を漁船に擬装しているルークの横で、カインがレックスに指示を出す。
「俺はルークと行くので船は任せました。ヴェストブルクに追いかけて来て貰えますか」
「わかりました。二人で大丈夫ですか」
「ええ。じゃあお願いしますね。俺たちがいなくても、ひと月はヴェストブルクで待機して下さい。その後の判断は任せます」
「はい」
行くぞ、と擬装を終えたルークが促す。
「船長、ルーク!俺も行く」
そう言ってロイドが船に飛び乗ってきた。ルークは眉をひそめたが、何も言わなかったのでカインも了承する。
コンパスと海図を確認して、高速艇は港を出た。
二日ほど経っただろうか。食事の時は手枷は外されたが、それ以外はずっと手足に枷を嵌められ、小さな部屋に閉じ込められていい加減鬱々としてくる。
とは言っても、売られるために拘束されるのは慣れている。捕まったこと自体にそこまで鬱々としているわけではない。自分を捕まえたのが、ルークの旧知であったことがショックだった。ケントがルキをさらったことを、ルークやカインは気付いたのだろうか。二人揃っていなくなればわかるような気がする。
足音が近付いてきて、ケントが入ってきた。足枷を外され、かわりに縄で身体を縛られる。乱暴にその縄を引かれ、二日ぶりぐらいに部屋から出される。
港に着いたのだろうか。
「ちょっと、そんなに引っ張ったら痛いでしょ!」
あまりに強く引かれるので思わず怒りをぶつける。
「あたしのこと売るんでしょ。傷がついたら値段が下がるんだけど。そんなこともわからないなんて、あんた馬鹿……」
「うるせえ!」
甲板へ出るなり、ケントがルキを乱暴に床へ叩きつけた。額をぶつけて、反射で涙が滲む。
頭の上からケントの声が降ってきた。
「連れて来たぜ。これで満足か、ルーク」
え?
滲む目で見上げると、甲板にルークがいた。カインが何かを握って隣にいる。逆隣ではロイドが一人の男を拘束し、首にナイフを突き付けていた。まわりはケントの仲間の船員が剣を抜いて囲んでいる。
みんな、どうしてここにーー……。
「もう一度言います。ルキを放して下さい。言うことを聞かないと貴方の船長とこの船が爆発しますよ」
カインが静かに凄む。ロイドが恐ろしい形相で男を拘束する腕に力を入れた。
「仕方ねえな……」
ケントが吐き捨てるように言うと、ルキを引き起こして三人の方へ歩き出した。
ゴロゴロと遠雷が聞こえる。
ポツ、とルキの鼻の頭に水滴が落ちた。
「残念だなあ、ルーク」
三人の傍まで近付いたケントがしみじみと言った。
「何だ」
「七年前に仲間に裏切られ、今回俺に裏切られ、今度はーー……」
ポツポツと雨が降ってくる。
ケントがにやりと笑った。
「天候に裏切られるなんてよ。残念だが爆薬はもう使えねえぜ」
ルキをカインの方へ突き飛ばし、剣を抜いたケントがルークに襲いかかった。カインはルキを受け止め、ロイドは船長を拘束しているので咄嗟に動けない。
「ルーク!」
カインが切羽詰まった声をあげる。振り向いたルキの頬に、生暖かい液体がかかった。
ドサッと鈍い音がして倒れ込んだのはーー……ケントだった。
「俺は黒豹だと、あんたが言ったんじゃねえのか」
左腕から血を流したルークが、ケントの頭の上からぽつりと言った。
雨が激しくなる。
「ああ……そうだったな……。木の上から豹が襲いかかるみてえで……強かったな、おまえは……」
ごろりとケントが仰向けになる。
取り囲んだ船員が動こうとするのを、ロイドが船長を盾にして止めた。
「雨か……あの日みてえだな……」
ケントが目を眇る。腹部から血が流れていた。ルキは思わず傍らにしゃがみこむ。
「ケント、さん。止血しないと……」
「敵に情けは不要だ……。海賊だしな……」
ケントが突っ立っているルークを見た。
「おまえも、相変わらずだな……。甘いところは、変わってない……七年前、も、殺せなかった、だろ……」
「うるさい」
ルークの声は固かった。
「あんたたち、こいつを頼む……。意外と甘ちゃんなんだ……」
カインがルキの横にしゃがみ、「知ってます」と微笑んだ。
「あんたも中途半端なところは相変わらずだ。悪役になったのなら最後まで悪役に徹して死ね。最後に日和やがって」
ルークの言葉に、ケントは困ったように笑った。
「あんたの、言うとおり……口が……悪いな…………」
そう言われて、ルキはこくりと頷いた。
「頼む、な……裏切るのは、俺で最後に…………」
ケントの目から力がなくなる。カインがそっとそれを閉じてやり、立ち上がった。自分達を取り囲み、ことのなり行きに息を呑む船員に冷たい声音で呼び掛ける。
「これは正当防衛ですから、馬鹿な真似はしないで下さいね。貴方も」
最後はロイドが拘束している船長に対してだ。
いつの間にかルキの傍にきたルークが、縄をナイフで切ってくれた。
「撤収しますよ。ロイド、彼は俺に任せてルキを船に」
カインがロイドから船長を引き取り、派手な悲鳴をあげさせて肩の関節を外した。
ロイドのがルキを促し、縄梯子で停留している小型の船に下ろしてくれる。それから間もなく、また船の上から悲鳴が聞こえてカインとルークが降りてきた。
「あの悲鳴は?」
「もう片方の関節も外したんです。しばらく動けないでしょうから、その間に逃げましょう」
カインはそう言ってコンパスを確認した。