表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/14

 帳簿の復元には夜を利用したので、それから数日かかった。書き上げた新しい帳簿を汚さないよう保管し、寝る前に水を飲もうと部屋を出る。

 昼間から降っていた雨が、少し激しくなったようだ。


 明日、あの帳簿をあの無愛想な副船長に突き付けてやる。文句は言わせない。


 勢い込んで台所への扉を開けたルキは思わずカンテラを取り落としそうになった。闘志を燃やしていた相手が、ソファに座ってランプの明かりで本を読んでいる。

 ルキに気付かないうえに、指がページをめくることもない。かといって寝ているわけでもないらしい。

 声をかけようか迷ってしばらくその様子を見ていると、ルークが顔をあげた。

「……ああ」

「あの、お水飲みに来たの。何やってるの?」

「……見てわからねえか」

 さっきから一ページも進まない読書か、とはさすがに言えない。

 ルークの言葉の歯切れも悪い。不思議に思いつつ、台所にまわってコップに水を汲んだ。

 ルークは相変わらず本に目を落としているが、読んでいるか否かはわからない。

 同じ空間にいても嫌味が飛んでこないのも珍しいし、ルキがこれだけ彼を観察していても何も言ってこないとは有り得ない。


 まさか夢遊病か?


「じゃあおやすみ」

 そう言ってみると、「ん」と返事があった。ますます有り得ない。

 彼を置いて部屋から出ると、廊下にカインがいて驚いた。彼は部屋の方を目で示し、「ルークは?」と訊いてくる。

「ぼーっと本読んでた」

「……そうですか。じゃあ先に寝ましょう。おやすみなさい」

 にっこり微笑まれて頷くしかない。

 ルキは自室に戻り、妙に釈然としないまま眠りについた。


 翌朝には雨が止んでいて、ルキは書き直した帳簿を持って部屋を出た。昨日夜更かししたせいか、少し寝坊したようだ。

 扉を開けるなり、朝食を食べ終えたルークとぶつかりそうになった。

「お、おはよ……」

「何がおはようだ寝坊助」

 即座にいつものように切り返されて、何だかほっとした。

 しかし腹は立つ。

「これ、書き直してたの!」

 彼の胸に思い切り帳簿を押し付ける。彼は受け取ってぱらぱらめくった。

「へえ……。根性で書き上げたって感じだな」

「そうよ。悪い?」

「いや。おまえの馬鹿正直さには感服するよ 。ご苦労さん」

 労っているようで馬鹿にしている。

「あんたね、その口の悪さ何とかしなさいよ」

「おまえがそのじゃじゃ馬加減をどうにかしたらな」


 ああ言えばこう言う。

 こう言えばああ言う。

 見てなさいよ。いつかぎゃふんと言わせてやる!


 怒りに任せてオムレツを切り刻むルキを見て、カインが苦笑していた。


 しかし、ルークは何をしていたのだろう。本人には聞く勇気がなく、何か知っていそうなカインにも何となく聞く勇気がない。なぜなら、様子のおかしい彼を心配しているわけではなく、ただの野次馬だからだ。

 興味はあったが、詮索して嫌な奴だと思われたくなかったので、ルキは何も聞かないことにした。




 数日経ち、先日の襲撃の際に怪我をしたハルが全快したというので快気祝いにワインを開けようと誰かが言い出した。カインも乗り気で釣った魚を使い簡単なつまみを作り出す。ルキがそれを手伝っていると、ロイドがつまみ食いをしに台所へ入って来た。

「ルキは飲めねえの?」

 魚のフリッターをつまみながらロイドが聞く。彼はもう目元が赤い。

「あたし、お酒飲んだ記憶ってないんだよね。だからわからない」

「そうか。じゃあ試してみようぜ」

 グラスにワインを注いだロイドが、にんまり笑って渡してくれる。

「あんまり無理しちゃ駄目ですよ」

 心配そうなカインの声を聞きながら、一口飲んでみた。てっきりブドウの味かと思いきや、思ったより苦くて喉にくる。しかし飲めないことはない。

 そんなルキの反応に気をよくしたのか、ロイドはルキを連れて宴会場と化している部屋へ戻った。

 カインの作るつまみはおいしくて、ワインに合う。機嫌良く飲み食いしていると、主役のハルが隣に来た。

「おっ、ルキ。良い飲みっぷりだね」

 そうは言ってもまだ一杯目だ。しかしルキも上機嫌である。

「ハル、全快おめでとう!」

「ありがとう!」

 合わせたグラスがカチンと良い音をたてた。二人でそのグラスに口をつけーー……どうなったか覚えていない。



ーーじゃあな、俺が帰るまで良い子にしてろよ。


 背の高い影が話しかけてくる。


ーー心配するな。一年なんてすぐだよ。


 逞しい腕が、優しく肩を抱いてくれた。


ーーたくさんお土産買ってくるだから


 広い背中が去って行く。


 嫌だ。行かないで。

 置いて行かれたら、もう二度と会えないんだから。

 帰ってきても、あたしはいないんだから。



 「ひどい有り様だなおい」

 呆れ返ったような怒ったような声が遠くで聞こえた。それに嬉しそうな声が応える。

「ふふふ。こんな時に僕の藥が役立つんだよねえ」

「人体実験はするなよ変態」

「ご挨拶だね。今から僕がこの船を救うって言うのに。……あれ?」

「何だ」

「ルキ、泣いてる」

 誰かの指がそっと目元に触れた。

 どうやら自分は寝ながら泣いているらしい。

「嫌な夢でもみてるのかな」

「さあな。放っとけ」

「ルーク起こしてあげてよ。僕、藥の調合しちゃうから」

 心の底からのため息が聞こえて、乱暴に肩を揺すられた。反対に、頬をそっと拭われる感覚がある。

 だんだん意識が浮上してきた。

 重い瞼を開けると、頭ががんと痛んだ。

「う……」

「起きたか、酔っ払い」

 眉間にしわを寄せたルークがルキの肩を離した。

 その後ろからドクターが緑色の液体を持って覗き込んでくる。

「ルキ、これ飲んで。二日酔いに効くから」

「何、その液体……何味?」

「味はわからない。僕試したことないから。でも効くよ」

 渋っていると、ルークがそれを無理矢理手に押し付けてきた。

 自分が飲まないからってその押し付け方はどうかと思う。

 しかしその迫力に負けて、一口飲んだ。


 まずい。生臭い。


「全部飲んでね」

 そう言われて目を閉じて一気飲みする。飲み終わると目に涙が滲んだ。

 ルークはその様子を苦笑いで鑑賞し、床で潰れているカインを起こしに行った。

「起きろ、船長」

「ん、ああルーク、朝ですか」

 カインはただ眠りこけていただけらしく、一度起きると元気だった。起き上がってあたりを見回し、困ったように笑う。

「ひどいですね、これは」

「自覚があるなら自重して欲しいもんだな」

 ルークが吐き捨て、転がっている船員を叩き起こしにかかった。後ろには緑色の液体を装備したドクターが控えている。

 ソファでぐったりするルキの隣に来たカインが、「大丈夫ですか」と訊いてきた。

「大丈夫……。二日酔いよりドクターの藥が辛かった」

 そう言うと、カインは笑ってルキの頭を撫でてくれた。


 その感覚に、夢の情景が蘇る。


 あれは誰だったんだろう。


 思い出せそうで思い出せない感覚に、何だか切ない気持ちになった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ