13
フレッドは、出稼ぎに出た一年間でみっちり商いを仕込まれていたらしく、意外にも船の戦力になった。以前ルキが書き直した帳簿をめくり、資金のやりくりや交易の仕方を細かく指導する。もともと逞しい兄だったが、会わないうちにますます逞しくなったようだ。交易の話を聞くのは専らカインとハルで、他の船員は通常運転だった。ルキも、いつものように甲板で洗濯である。
洗濯物を干していると、「おまえさあ」といきなり声をかけられた。ひゃっと声をあげて取り落としたタオルを、落ちる前にロイドがキャッチする。
「ごめん、ありがとう」
「いいけど。おまえ、何であの馬鹿と目も合わせねえの」
「うっ」
意外にロイドは見ている。受け取ったタオルを干そうと彼に背を向け、適当な言い訳を考える。
「まさかふられた?」
「違うよ!大体別にあたし、ルークが好きとかじゃなくて……」
「俺はルークなんて一言も言ってねえぞ。しかも今更取り繕うな。バレバレだから」
「嘘!」
「本当。おまえ素直だからな」
ぎゅっとロイドがルキの鼻をつまんだ。途端、二階のデッキからすごいスピードで何かが飛んできて彼の後頭部に命中する。
「いってえな!」
「まったく油断も隙もないな。キャプテン、あんたのクルーをどうにかしてくれ」
なぜかイモを投げたフレッドが不機嫌な顔でカインを振り返る。ロイドはイモを拾い上げた。
「てめえ、さっさと妹離れしやがれ」
「人を兄馬鹿のように言うな。数年ぶりに会った妹に変な虫がつかないようにするのは当然だろう?」
「兄馬鹿じゃなかったら馬鹿兄じゃねえか」
ロイドがそう言ってイモを放り返す。フレッドはそれをキャッチして、くるりと踵を返した。
「ごめん、兄さんのこと」
「いいよ。妹思いの良い兄さんだ。ちょっと厳しいけどな」
ロイドがそう言って微笑んだ。
「何がこじれてるんだか知らねえけど、副船長とちゃんと仲良くしてくれよ。じゃないと俺が諦めきれねえ」
「え……?」
ロイドはもう一度ルキの鼻をつまみ、するりとルキから離れた。そこにそっと触れ、ルークとちゃんと話そうと唇を噛み締めた。
しかし、ルークはなかなか捕まらなかった。レックスと並んで甲板から釣糸を垂らしつつ、そうっと視線を見張り台の方へめぐらす。黒髪がちらりと見え、それを見つめていると隣のレックスに小突かれた。彼は船の手すりに腰かけており、落ちるのではないかとひやひやする。
「引いてるぜ」
「あ、うん」
慌てて釣竿を引く。レックスが網で魚をすくってくれた。
二人で釣った魚をカインに料理して貰う。それができあがり、カインにルークを呼びに行くよう頼まれる。下から呼ぶと、後で食べると返事があった。
カインの作った魚のフリッターを食べ、食後にコーヒーまで飲んだがルークは来なかった。
ルキはこそこそといくつかの料理を籠に詰め、カインに耳打ちした。
「あたし、ルークのとこ行ってくる」
「ええ、頼みます」
あたかも用事があるように装って外へ出て、籠を肩にかけて見張り台への梯子をのぼる。一度下を見てぞっとしたが、半分以上上ってしまってはもう引っ込みがつかない。見張り台の縁に手をかけ、「ルーク」と呼ぶと彼はぎょっとしたように振り返った。
「おま、何やっ……」
「差し入れ持って来た」
ルークは眉間にしわを寄せ、ルキから籠を受け取るとそのままルキを引き上げてくれた。見張り台に上がり、ルキはルークの持っている籠の蓋を開けた。
「魚のフリッターにパンとコーヒー。あとポテトサラダ。おいしいよ」
「ん」
ルークはそれだけ言って食べ始めた。その間はルキが見張りをすることにしたが、真っ暗なのでほとんど何も見えない。それでも見張りなので、真っ暗な海を見つめる。その背中に、ふわりと何かがかけられた。振り返ると、ルークが持って上がっていた毛布だ。
「ありがとう」
「馬鹿は風邪ひかねえらしいけどな」
ぺろりと指のパン屑を舐めとったルークが意地悪く言った。
「どうせ何も見えねえだろ。適当で良いぞ」
そう言われ、ルキはルークの隣に座り込んだ。食べ続けるルークにのそのそと近寄り、毛布を半分彼に着せかけてみる。彼は何も言わなかった。思いきってさらに近くにすり寄っても何も言わない。
夜風が冷たくて思わず身を縮めると、いつかのようにルークの腕が身体にまわった。心臓が飛び跳ねる。しかし、ルークは何も言わなかった。
「ルーク」
思いきって呼び掛けると、「何だ」と返事があった。その声が思ったよりも近くて動揺する。
「あの、この前ーー……」
「ルーク、そこにいるかー?」
ハルの間延びした声がルキを遮った。心臓がまた大きく跳ね、ルキはそのまま固まってしまった。ルークはため息をつき、見張り台から下を覗いた。
「何だ、能天気馬鹿」
「何で怒ってんだよ。交代の時間だろ」
ハルに言われ、ふんと鼻を鳴らしたルークは座り込んで固まっているルキに手を差し出して立たせた。
「おりるぞ」
「あ、うん……」
荷物は全部ルークが持ってくれた。しかし、いざおりようとしてルキは固まってしまった。
「これ、どうやっておりるの?」
そう言ったルキに、ルークは呆れたような表情を向けた。
トリエンテに近付くと、フレッドはルキにブレスレットをくれた。出稼ぎに出た時に買っていてくれたのだという。ルキの髪と同じ銀色のブレスレットに、目と同じ緑色の石がはまっている。
「ありがとう。大事にする」
「ああ」
フレッドはそこでずいっと顔を寄せてきた。
「それで、おまえはどいつを選ぶ気だ?」
「へっ?」
「惚けるな」
フレッドが笑ってルキの頬をつまむ。
「あの無愛想な馬鹿じゃないのか」
相当な言われようだが、ルキはこくりと頷いた。
フレッドは「しかしあいつは……」と唸り始める。
「ルチア、相談なんだが」
改まったようにフレッドがルキを覗き込んだ。
「俺がいなくなる前に、あいつの気持ちをはっきりさせてくれないか?このままじゃ俺は心配で心配で……」
「はっきりって……?」
「あいつがおまえのことをどう思っているのかはっきりさせる。もしあいつがおまえのことを不幸にするようなら、俺はおまえを縛ってでも一緒に連れて行くぞ」
「兄さん、そんな乱暴な」
ルキは抗議したが、フレッドは一人で決めてしまったらしい。決まりだ、いいな、と念をおされてしまう。
「ちょっと待って!そんなのどうやってはっきりさせるの!」
「いろいろあるだろ。言葉で聞くなり、唇のひとつでも奪ってみるなり」
ルキの頬がカッと熱くなる。
兄の言うことか、それが。
「頑張れよ」
ぽんと頭を撫でられて、ルキはその頭を抱えたくなった。
「ドクター、惚れ薬作って」
「いきなりどうしたの。そんなもの作れたら僕大儲けだって言ったでしょ」
ドクターはそう言いながら何かを混ぜ合わせている。
「じゃああの……」
キスがしたくなる薬、とは言えない。
悶絶していると、ドクターが混ぜ合わせた何かを火にかけてこちらを向いた。
「誰を惚れさせる気なんだい?」
「……言ったら作ってくれるの?」
ドクターはにやりと笑って「無理」と言った。意外にも無理なことは無理と言うドクターである。
「どうせルークだろ?そんな変なもの使わなくても大丈夫でしょ」
「大丈夫じゃないよ」
ルキは机に突っ伏した。ガラガラとガラクタのようなものが床に落ちたが気にしない。
「おい馬鹿女、ここにいるか?」
跳ね戸を開けられ、ルークが顔を出した。ルキは慌てて立ち上がる。その拍子にまたガラクタのようなものが落ちた。
「な、何か用だった?」
「挙動不審なのが気持ち悪いんだが」
ルークが階段を下りてくる。
「えっと……」
「倉庫で探し物を手伝って欲しいとカインが言っているんだが……何でそんなに慌てている?おまえ何か悪巧みでもしていたんじゃねえだろうな」
ルークの眉間にしわが寄る。
「違います!カインが呼んでるのよね。すぐ行く」
ルークの傍をすり抜けて、階段を駆けのぼる。
見送ったルークが、「何なんだあいつ」とドクターを振り向いた。ドクターはとりあえず肩をすくめただけで、何も言わなかった。
心臓がもたない。
倉庫での作業を終え、海を眺めながらため息をつく。
フレッドは無茶だ。ルークに「あたしのことどう思ってるの」なんて訊けるわけがない。答えはたぶん、「馬鹿」か「じゃじゃ馬」だ。
それなら、「ルークが好きなの」と言ったら?答えはきっと、「だから?」だ。
なんて面倒な男に惚れてしまったんだろう。
「あ、ルキ!ちょっと頼みがあるんだけど」
通りかかったレックスが呼んだ。手には海図の山だ。そのうちのひとつをルキに差し出す。
「船首の方に副船長がいるからこれ渡してきてくれないか。俺ちょっと手がはなせなくて」
「あ、うん」
こんな時に限って、またルークである。
ルキはそれを受け取り、船首の方へ行った。たしかにルークがいて、古い海図を開いている。
「ルーク、これレックスに頼まれたんだけど」
「ああ。悪い」
ルークはそれを受け取り、古い海図は丸めてしまった。
沈黙が気まずい。じゃあ、と踵を返したルキの髪が、つんと引っ張られた。振り返ると、銀の髪が一房ルークに掴まれている。
「な、なに?」
「おまえ、何か言いたいことがあるんじゃねえのか」
心臓が跳び跳ねた。
「言いたいことっていうか……」
ルキは言葉を探して視線をめぐらせる。ルークの向こうに水平線が見える。その上には綺麗な夕陽だ。真っ赤な夕陽と、真っ黒なルークの髪のコントラストが意外と合う。
綺麗だな、と思っていると、ルークがルキの髪をくいっと引っ張った。
「それ以上引っ張ったら痛いからね。どうしたの?」
「いや……綺麗だと思って」
心臓が有り得ないぐらい跳び跳ねた。
今なら聞けるかもしれない。雰囲気に呑まれている自覚はある。だからこそ、今なら聞けるーー……。
「ルークは……あたしのこと、どう思ってるの?」
「馬鹿でお人好しで面倒くさいじゃじゃ馬」
即答されて、思わず身体が傾いだ。
「あんたみたいな腹黒で意地悪で無愛想で失礼な奴に言われたくないんだけど」
「そういうところが放っておけなくて気に入ってるんだけどな。俺は」
ぐいっと髪を引かれ、顔が近付く。
「気に入ってる……?」
「ああ」
「気に入ってるって……」
「おまえは本当に鈍いな。絶望的な鈍さにちょっと呆れる」
ルークが指にルキの髪をくるりと巻き付けた。
「好きだって言わなきゃわからねえか」
黒い瞳がまっすぐルキを見つめる。眉間には、相変わらずしわが寄っている。
ルークがふと視線を逃がした。
「おまえは馬鹿で考えなしで無謀でどうしようもないけど、放っておけない。気になるんだ。どうしても」
「……あたしも、あんたのこと気になる。無愛想で失礼で大嫌いだって思いたかったけど、どうしても気になるの」
同じように視線を逃がしたルキの頬に、髪を放したルークの手が触れた。反対側の頬に唇が触れる。くすぐったくて身を縮めるルキを笑って放し、ルークは船室に向かって歩き出した。
「兄貴に言っとけ。安心して商いに励めって」
「あ、うん……」
彼を見送ってから、ルークはフレッドがルキに言ったことを知っていたのかな、と思った。
夕陽に照らされた黒髪が、やっぱり綺麗だった。




