分水嶺を超えた日
その日は、彼の人生に於いて、奇妙に印象に残る1日になった。
2012年頃の話だったと記憶している。昼までは素晴らしい秋晴れだったが、午後は曇りだった。
彼が介護に転職して半年。仕事には未だ慣れない。休みがランダムなのには慣れた。
彼は10月のシフトで、次の休みがどうやら、まずまずの天気になりそうだと気づいて、ささやかな旅を計画したのだ。
とは言え、休みは1日だけだし、金が無いから出来ることは限られている。
だから、この頃の彼は、公共交通機関を使って、日帰りで行ける登山を楽しんでいた。
登山といっても、トレイルランニングスタイルだから、あちこちと見て回れるのだ。
今回彼は、まだ行ったことの無い、奈良の台高山脈に行ってみようと考えた。
彼が急遽立てた計画はこうだ。
大阪市営地下鉄の始発に乗り込んで、さらに近鉄に乗り換え、榛原駅まで行く。
そこから奮発してタクシーを拾い、高見山登山口までいって、行動開始。
あとは、登山地図頼りだ。
高見山を登ったら、南へ移動して、明神平へ。さらに薊岳に行き、そこで下山。
下山した後は、バスにのって榛原に戻る。日が暮れる頃までには大阪に帰れるはずだ。
問題は初見のルートであること。
単独であること。
スマホを持っていなかったこと。
こまった時に相談するAIなんて、まだ想像もできない頃だ。
彼が唯一かけた保険は、予定を学生時代の友人に計画を共有し、万一下山の連絡をしなかった時は、よろしくね!という段取りだけ。
その友人は最近マラソンに挑戦を始めたばかりで、このテの頼みごとをし易かったのだ。
(当時、彼と友人はベテランと初心者の関係だった。
だが、今では友人の方が、100マイルのトレイルレースや、100キロのウルトラマラソンをクリアして、立場はすっかり逆転している。)
適当に装備を整え、酒を飲んで前日の夜をやり過ごすと、予定通り4時に目覚めた。
介護職になってから、酒の量が増えた気がしているが、この頃はさほど気にしていない。
始発の点検で、やたらプシュプシュとドアの開閉点検を繰り返す地下鉄に乗りこむ。
当時はスマホに目を落とす習慣はまだ無かったから、適当な本でも読んで過ごしていたはずだ。
近鉄に乗り換え、大阪市内から榛原へ。
榛原駅は初めてだったが、コンビニがあったので、おにぎりを6、7個買い込んだ。これを1時間ごとに齧るわけだ。水は、バッグパックに搭載したハイドレーションに1.5リットル。涼しくなってるから、これだけあれば十分だろう。
タクシーを拾うと、ドライバーは「ああ、登山口ね」という反応だった。
道中、世間話。彼がSEから介護に転職したという話をすると、
ドライバーは「やめた方がいいと思うな。年寄にこき使われて終わるで。」と遠慮なく言った。
彼は、それを聞いて、正直ムカついた。当時はこの転職が最適解のつもりだったからだ。
(だが、15年後には、ドライバーの方が正しかったと認めるしかなくなる。どうにもこうにも、要領が悪いのだ。彼は。)
ともかく、高見山登山道へ辿りついた。
空気に薄っすら、夜の名残が残っているような、そんな朝の景色。朝日が眩しく、雑草が少々鬱陶しい。
彼以外に登山者はおらず、時たま鎖場もあるような登山道を1人すすみ。小一時間で、山頂到達。景色を1人占め。ここまでは目論見通りだ。
思えば、この頃は熊の心配など殆ど必要無かった。
良く晴れた秋の日。気温もちょうど良い。彼は景色よりも、空気を楽しむと、山頂を後にする。
何せ、行程は序の口なのだ。急がねば。
高見山を下りて、南を目指す。いつの間にか、雲が広がり出している。
7キロ先の明神平へ向かって、ひたすらトレイルを走る。気持ちの良い、高い木々のトンネルが続いた。
この頃、彼は32歳。体力は充実し、この気持ちの良いトレイルなら、永久に走っていられるような気がした。
森の小道は不思議と走りたくなる。たぶん、DNAに刻まれた何かがあるんだろう。もっとも、これは彼のオリジナルではない。確か、スコット・ジュレクの伝記か何かだった。
驚くほど「走れる」トレイルが続いた。もう一度走りたいコースだったが、彼がここを訪れるのは、結局これが最初で最後だ。
突如、視界が開け、草原の広場に出た。広場の真ん中にはログハウスが一棟。
なるほど。ここが明神平か。
あとは下山するだけだが、彼は一般的な下山動では無く、薊岳経由のルートを選んだ。
元々、今日のルートはトレイルランニングの雑誌で紹介されていたコースに、彼がアレンジを加えている。
紹介者は、薊岳からの下りは「楽しい」と書いていた。だから、高見山から明神平のような、走りやすりコースなんだろうと期待した。
ところがである。
結構な難所だった。崖もあったし、とても走れるような地形では無かった。
しかも、行方不明者の張り紙まであった。
彼が今まで通って来た中では、間違いなくトップクラスの難所だ。
「楽しいって、そういう意味?これはシャレになってねえぞ」
とは言え、引き返す時間もない。
ヒヤヒヤして、難所を突破。よくある下山道にようやく辿りつく。
後は、バスに乗り込むだけだ。時間も余裕たっぷり。よしよし、完璧な1日だぜ。
ところが。
「廃・・線だと・・?」
当てにしていたバスは、去年廃止されたらしい。
バス停の張り紙が、そう言っていた。
タクシーを呼ぼうにも、連絡先も分からない。
これまで20キロを5時間かけて移動しているが、ここからさらに20キロ走って、榛原を目指すしかない。
彼は頭を抱えて自分の詰めの甘さを呪った。
日暮れは目前だ。グズグズしてないで、榛原に向かって走りだす。
地図を何度も見返すが、距離は魔法のように縮んだりはしなかった。
途中、通りがかった地元のおっちゃんが、見かねて軽トラを停めると、助手席にのっけてくれた。
榛原までは行けないが、途中まで送ってくれるという。
ありがたく、申し出を受ける。
その時、川沿いの知らない町を見た。
川の向こうに、夕日に照らされて、役所らしき建物が目立つ。他に高い建物は無い。ショッピングセンターも何もない、静かな山の町。
彼は「日本にはこういう所がいくつもあるんだろうな」と思ったことを覚えている。
おっちゃんに礼を言って別れたあと、彼は最後のおにぎりを食べた。
そして彼は、そのおにぎりの冷たさを覚えている。
降ろして貰った場所は、既に路線バスはあるようだが、待っている時間がもったいないから、彼はバスに追われるように走ることに決めた。
そして、結局、バスより早く榛原に着いてしまったのだ。
とっくに日が暮れ、時間は8時半くらいだった。
ここから大阪に帰ったら、寝るのは大分遅い時間になるだろう。
明日は早番だというのに。
だが、ともかくやり遂げたのだ。40キロも走るつもりはなかったが。
友人に下山の連絡を入れた。
それから10年以上経つ。。
強烈な経験は、もっとしているのに、この1日が何故か印象に残っている。なぜだろう?
一つには、彼の体力は、この時がピークであり、その体力を存分に使った1日だったこと。
そして、この日はとてもとても「長く」感じたせいだろう。
彼は、この日を境に、休みの時間が早く過ぎていくように感じていく。
いや、人生そのものが、だ。
彼の30代、40代は弾丸のように通過していった。
だからこそ、彼は1日をとても長く感じて、自分の能力を出し切った、あの秋の休日のささやかな旅路を覚えている。
それはきっと、時間の捉え方が変化する分水嶺の1日だった。
この日から大抵のことは新鮮味が無くなっていく。
そういう意味において、この日は彼の「青春」最後の1日だったのだ。




