有罪確実な悪役令嬢を、僕だけが「無罪」と主張する理由
彼女を、有罪にはさせない。
絶対に。
法廷を出た彼は、決意を胸に評議室へと踏み込んだ。
「じゃあ、とりあえず決を取りましょうか。ロザリンド嬢が有罪だと思う方は、お手元の鉛筆で有罪とお書きください。反対なら無罪と。名前は書かないでくださいね」
陪審員長の事務的な号令が評議室に響く。
外は雨。じっとりと汗ばむほど蒸し暑く狭い密室。
そこに集められた六人は、さる令嬢が起こした事件を審議する陪審員達である。
裁判を思い返す者や下世話な想像を膨らます者。
カツカツと鉛筆を走らす彼らは
――相好や思惑は様々だが、
胸中は概ね“早く帰りたい”で一致していた。
「――出揃いましたね。それでは、開票します」
「じゃ、アタシ書記やりまぁす」
「ありがとございます。それでは――有罪」
陪審員長――陪審員番号1が淡々と読み上げる。
有罪。有罪。有罪。
示し合わせたように有罪に票が入る。
残るのは折りたたまれた最後の一枚。
広げて中を検めた陪審員長は僅かに眉間を寄せた。
「……無罪」
◆ロザリンド嬢の評決
有罪:5
無罪:1
「……おい、冗談だろ」
「勘弁してくれんかの……」
「なるほど」
「あ~らら。逆張りってやつ?」
「えー……そうですね。こういう場合はどうすればいいのかな……。じゃあ、一応。無罪と書いた方はどなたですか」
“一応”と断るだけあって、陪審員達の視線はすでに一点へと注がれていた。
大きな丸眼鏡をかけた気弱そうな青年が、額の汗を拭った。
その目には、先ほどまでの気弱さからは想像もつかない強い意志が宿っていた。
「皆さん、話し合いましょう」
上ずった声で陪審員番号5番が口火を切った。
「話し合いだぁ? そんなことして何になる」
気色ばんだのは3番。
刈り上げた頭をガシガシと搔きむしりながら唾を飛ばした。
「俺は何言われようと意見を変える気はないね」
「や、やってみないと分からないじゃないですか! それにちゃんと話さないと、あのご令嬢は罪人になってしまうんですよ!」
「いいじゃねぇか。事実として殺ってるんだから」
「事実じゃないし、殺してません! 意識不明にとどまっています!」
「ふん。どうだかな。被害者は頭打って血まみれだったって話じゃねぇか。やったことには責任が伴うんだよ。なぁおい。俺間違ったこと言ってるか? あ?」
「ま、まぁまぁ。双方落ち着いて。評決が分かれましたので、一旦、話し合いますか」
陪審員長が場を取りなすように掌を向ける。
「それでは、5番。なぜ無罪だと思うんですか?」
「あっ! アタシわかっちゃったぁ~。あのご令嬢、すっごい美人だったもんねぇ」
2番がせせら笑うようにして言った。
「騎士様だ」
「ち、違います! 断じてそんな理由では……!」
「陪審員長。発言してもよろしいか」
顔を真っ赤にしながらムキになる5番の肩に手を掛けた白髪の4番は、
「やめておけ。若いの。乗るんじゃない。さっさと話してしまえ」
心底ウンザリしたような顔で話を促すように四角い顎をしゃくった。
「え、えぇ。すみません。皆さん、ロザリンド被告の証言を覚えていますか。検察の話では貴族学校で起きた傷害事件ということになっていますが、彼女は容疑を完全否認しているんです」
「当たりまえじゃねぇか。寝言は寝て言えよ」
「あの~……お願いします。今は5番の話を聞きましょう」
「……続き、話しますね。被害者である子爵令嬢エリス様に呼び出されたロザリンド様は彼女と言い争いになった。これは、本人も認めてますし、目撃証言もありましたよね。覚えていますか」
「覚えています」
我関せずと一人円卓を離れ、窓辺に座っていた6番は冷淡に呟いた。
「ありがとございます。ロザリンド嬢は言い争いの末、エリス様を階下へと突き落とした。検察がした事件の大まかな説明です。でも、エリス様はロザリンド嬢から酷いいじめを受けていた、との証言もありましたよね」
「あ~なんか言ってたわね。ロザリンド嬢の婚約者からのタレコミで」
「そこなんですよ。おかしくないですか。どうして、酷いいじめを受けていたエリス様が、いじめをしていたロザリンド嬢を、呼び出しているんですか? 逆ならわかるんですが……。僕はどうしてもここが気になるんです」
「なるほどのぉ。じゃあ聞こう。なんでそれで無罪になるんじゃ?」
「……わかりません。でも、まだ有罪であるとは言い切れないんじゃないかと、思うんです。それに――」
「それに?」
「彼女の目を見て、噂で聞いていたような酷い人ではないと、そう思ったんです」
「ハッ!さんざんかっこつけた癖に、結局スケベ心じゃねぇか!」
「だから! 違いますって! 僕はただ、納得したいだけなんですよ!」
「ちょっとちょっと。あなた、あまり興奮しないで。3番も勝手な発言は控えてください」
「すみません……」
「フンッ」
5番がおずおずと手を上げた。
「あの、陪審員長。なぜ有罪であるのかの根拠を皆さんに聞いていいただけませんか」
「そうですね。え~と、じゃあ、2番から順に話してみますか」
「えっ、アタシ?」
「はい。5番に、なぜ有罪だと思うのかを話してください」
「お願いします」
「あ~……逆からいかない?」
「それだとアンタが最後になるぜ。それでもいいのか?」
「スゥー……。それはちょっとなぁ……、理由。理由ねぇ……。逆に、理由ってないとダメなの?」
「……は?」
「だって、難しくて話よくわかんなかったし。検察の人も、ロザリンド嬢がやったって言ってたし。なんとなくこれやったなぁって思ったんだよねぇ」
「そうしたら。なんですか。あなたは“特に理由はないけど、なんとなく有罪にした”。そういうことですか?」
「うん」
「ふ、ふざけるのも大概にしてくださいよ! あなた、陪審員の責任をなんだと思ってるんですか!」
「おい。そこまでにしとけよ。大体な、アンタ。被害者のエリス嬢のことを考えてやれよ。彼女は子爵令嬢って肩書だけど、元々は隠し子で、平民として生きて来たんだぞ。
な?
そんで、いきなりお前は子爵の娘だ、なんて言われて、貴族学校に入れられたんだ。苦労してんだよ。いじめにもあっちまってよ。それも相手はあの侯爵令嬢ロザリンドだ。あのお嬢が周りになんて言われてたか知ってるか?」
5番が答えるより先に2番が割り込んだ。
「ミス・暴君!」
「アンタ、そういうのは覚えてるんだな……。なぁ5番よ。可愛そうだとは思わんか? 悔しかっただろうなぁ、心細かっただろうなぁ。俺は胸が締め付けられるね。エリス嬢のことを考えると。アンタはどうなんだ? ちょっとでも可哀そうだと思うんならよ。態度で示してあげようや」
「いや……たしかに可哀そうだとは思いますけど……。え、つまり、あなたは可哀そうだから有罪にしたっていうんですか?」
「それのなにが悪いんだよ。大体、アンタはどう思ったかしらねぇけど、俺にはあのお嬢は噂通りの“暴君”に見えたね。ありゃ確実にやってるって確信したわ」
「お、おかしいですよ! あなた! まったく論理的じゃない!」
「あ? どこかだよ。すげぇロンリテキ的だろ。てめぇには人の心はねぇのか? それによ、ロザリンドのお嬢がエリス嬢に呼び出された時、なんで何話してたのか黙秘してんだよ。どう考えても後ろめたいことがある証拠だろうがよ」
地獄から吹き抜けたような深いため息が零れた。4番だ。
「やれやれ。まったく聞くに堪えん。なんとなくそう思っただの、可哀そうだの。雁首揃えて勘頼みか。もう少し実のある話が聞けると思ったんじゃがね」
「なんだと! 爺さん、アンタなぁ! どっちの味方なんだよ!」
「有罪にはしたが、君らと徒党を組んだ覚えはないな。それにな。論理的というのは、これこれこういう理由があって、すなわちこの結論しかあり得ないという体裁になるものなんじゃよ。君の話にはそれがない」
「何を偉そうに。じゃあ、アンタはなんで有罪にしたんだよ。“論理的に”説明してみろよ」
「あ、あの。進行は自分がやりますので……。では、4番。理由を教えてください」
「よいぞ。儂の話は簡単じゃよ。検察が召喚した証人の目撃談に対して、弁護人が反論しなかったから。誰も見ていないならまだしも、現場を見ていた者がいて、その目撃証言が信用に足るとみなされている以上、犯行はあったものだと推定した。だから有罪に入れたんじゃ。単純な論理的帰結じゃよ」
「ウッ……」
痛い所を突かれた5番の呻き声が盛れた。
何か言い返さないといけない。
そう思い、証言の内容を必死に思い出した。
「……確か、こういう話でしたよね。目撃証言その1。被告ロザリンド嬢と被害者が言い争いをしているのが、寮に続く階段上から聞こえた。階下に居た目撃者は関わり合いたくなかったから背を向けたところ、被告が大きな声で――」
「『落ちなさい!』よね。確か」
「……そうですね。叫んだ。目撃者が振り向くと、被告が被害者を突き落としているのが見えた。被害者は階段を転げ落ちて、血を流しながら地面に倒れた」
「そうじゃな」
「でも……。当のロザリンド嬢はそんなこと言っていないと否定してるんですよ」
「そりゃ否定するじゃろうよ。故意に落としたとなっては、罪はより重くなる」
「だいたい、なんなんですか。あの弁護士は! まったく役立たずだったじゃないですか!」
「それに関しては否定せん。まごうことなくボンクラだったな」
「なんか直前で変わったらしいわよぉ。侯爵家が用意した弁護士が来れなくなったとかで」
「ふむ。目撃証言その2でもあったがの。天体観測をしていた生徒が悲鳴を聞いて、望遠鏡を向けたら、ちょうどロザリンド嬢がエリス嬢を突き飛ばしているところが見えたと。これはどう思う?」
「そ、それも、ロザリンド嬢は否定しています。自分は悲鳴を上げていないし、エリス嬢も勝手に落ちて行ったのだと。叫び声すら上げる間もなく階下に転げ落ちたと証言しています!」
「残念ながらそれを証明する者はおらん。どのみち、二人の目撃証言に反論がない以上、正しいと推定すべきじゃよ。違うか?」
「……言い換えるのなら、証言の信憑性に疑問があれば、無罪だということですか」
「いかにも。疑わしきは罰せず、じゃからな」
「……わかりました」
「よろしいですか。あ、あの~6番。話に参加してください。ちょっと?」
「うん? 私?」
「ええ。そうです。お客さんじゃないんですから、あなたも参加してください」
「はぁ」
6番は控えめなラベンダーピンクの唇を尖らせた。
「もし故意だったとしても、殺意は立証できない。なら少なくとも殺人罪にはならない。傷害か、場合によっては過失致死――どの道、執行猶予が付きますよ」
「しっこうゆーよ?」
「執行猶予。情状酌量の余地、えーとなんていうかな、理由を汲み取ってあげて罰を軽くするということです。おまけにロザリンド嬢は侯爵令嬢。そうやすやすとは厳罰に処せないでしょう」
「へッ! 貴族割かよ。胸糞悪いぜ」
「しかし思い返してみてください。彼女がミス・タイラントであることは真実。もしこの事件を無罪に終わらせてしまえば、彼女はますます増長するのではないでしょうか。この成功体験が、ますます彼女を本物の暴君たらしめてしまうのではないか。私はそう考えます」
「そ、それは……」
「繰り返しますよ。どうせ大した罪には問えないのです。ならここは軽く彼女に灸をすえるつもりで有罪にするのが、大人としての教育的義務ではないですか」
「それは! ……そうかもしれません。しかし、法による裁きをそのような使い方していいんですか? 国民から与えられた陪審員という権威を、私的な教育のために乱用しているじゃないですか。許していいんですかそんなこと!」
「何が問題なのです? 少なくともここに居る過半数は有罪に入れています。民主的な合意に個人的な意味を添えたに過ぎないでしょう。あなたこそ、何かと正義を振りかざしていますが、本当は自分の考えを押し付けたいだけじゃないのですか」
「違います! 僕はそんなつもりで――!」
「ねぇねぇ、陪審員長。多数決で決められないの?」
「できません。全会一致が原則です」
「もし決められなかったら?」
「評決不一致で別の陪審員に託されますね」
「じゃ、それでよくない?」
「よ、良くありません! 僕たちは話し合う義務があるんです。限界まで話し合って、法の名の元に評決を出さないといけない立場――責任がある立場なんです! 話し合いましょうよ! ここでの我々の意見は法律家の言葉に勝るんですよ! 疑問が残ったまま通り過ぎてしまってはダメなんです!」
「もういいって。意固地になんなよ。あのお嬢はやってる。間違いないって」
「わかってない。あなた方は何もわかっていない。いいですか。ロザリンド嬢の証言が真ならば、エリス嬢はロザリンド嬢から背を向けて逃げたと考えられるんです。でも、呼び出した方が逃げ去るなんてどう考えてもおかしい。いったいどういう力関係なのかあべこべだ!」
「勝手に落ちたって話? 単純に嘘なんでしょ。本当はカッとなって突き飛ばしただけじゃないの?」
「違うんじゃ。いじめられていた者がいじめた者を呼び出して、尚且つ怒らせた。なんでそんな自殺行為をしたのか。若いのはそこが気になってるんじゃよ」
「あ~そんなこと。アンタも鈍いわねぇ。決まってるじゃない。横恋慕よ」
「よ、横恋慕?」
「そ。証言してたロザリンド嬢の婚約者のこと見てなかったの? あれはエリスの騎士様の顔だったわよ」
「な……!」
「つまり、エリス嬢はロザリンド嬢を煽ったのよ。わたくしの方が愛されてる~なんて言ったんじゃない?」
「ちょっと、そこまでにしませんか。当のロザリンド嬢が黙秘を貫いている以上、それは関係者の名誉を傷つける発言ですよ」
「もうめんどくせぇし。決取ろうぜ。また無罪1だけなら、5番には有罪で納得してもらうっつーことで」
「そ、それは……。そんなこと……!」
「しかしですね。5番。このままでは平行線ですよ。評決不一致になりますがそれでもいいんですか?」
「グゥッ……! わ、わかりました。しかし、一票でも無罪に入ったのなら! 話し合いを続けましょう!」
「はい。では決の申し出が出ましたので、お手元の紙にロザリンド嬢は有罪か無罪かをお書きください。無罪が2票以上あった場合のみ、話し合いを続行します」
「陪審員長、僕から皆さんに気持ちを伝えてもよろしいですか」
「どうぞ」
「皆さん、もう一度自分の胸に手を当てて考えてみてください。疑問に思う所は本当にありませんか。人に裁きを与えることは人にしかできません。決して軽んじてはいけないんです」
「うっさ」
「侯爵令嬢という立場ある者に石を投げるのは楽しいでしょう。多くの人がそれを望んでいるのかもしれません。でも、望まれているから人を罰する。そうなってしまっては、法の秩序は崩壊するんです。だから、どうか。お願いします。話し合いを続けましょう」
「出揃いましたね。それでは、開票します。有罪」
淡々と陪審員長は折りたたまれた紙を開いていく。
感情の籠もっていない声で有罪、有罪とロザリンドの首に掛かる縄を締め上げていく。
最後の一枚が読み上げられた時、5番は項垂れた。
喉が急激に絞られ、上手く声を出せなかった。
「どうして、誰もわかってくれないんだ」
◆ロザリンド嬢の評決
有罪:5
無罪:1
「よーし! 終わった終わった!」
「なんかあっけなかったね~」
「ま、待ってください! お願いします! もう少し話し合いたいんです!」
「ッチ。しつけぇ奴だな。終わったんだよ。ロザリンド嬢は有罪。なんでそんなにこだわるんだよ。マジで意味わかんねぇ」
「このまま終わっては絶対にダメです! どうか5分だけでも僕に時間をください!」
「5番。ちょっと落ち着いて。これはあなたが同意したことなんですよ。どうかわかってください。――それでは、有罪ということで報告しますね」
「そ、そんな……」
「あいあい。じゃ、帰るわー」
3番が勢いよく立ち上がり、出入り口の扉に手を掛けた、その時だった。
「うーむ。全会一致の原則なのに、こうやって無理やり意見を統一するのは、少々乱暴なんじゃないかの」
「――っ!」
「えー……しかしですね。これは5番自信が納得したことなんですよ」
「儂はそんなこと聞いとらん」
「な!? ちょっとアンタいい加減にしろよ!」
「若いの。君は聞いてたか? そんな話に合意したのかの」
「……してしまいました」
「はぁ……。君はもう少し方便というものを覚えた方がいいな。陪審員長。儂はやっぱり無罪にするわ」
「えっ!?」
「おいジジイ! ふざけんなよッ!」
「そ、そうよ。証言がどうのってのはどうなったのよ!」
「有罪だとは思っとるよ? でもあのご高説に絆されてのぉ。もう少し話を聞いてやってもいいと思ったんじゃ」
◆ロザリンド嬢の評決
有罪:4
無罪:2
降りしきる記録的長雨は、未だ止みそうにない。
「ほれ。さっさと席に着かんか。まだ話は終わっとらんぞ」
「あ、ありがとう……ございます! ありがとうございます!」
「証言に反論がねぇから有罪だって自分で言ったろーが! なんだよ『絆された』って!」
「だから、それは今も変わっておらんって」
「ま、まぁまぁ。それでは評決が再び分かれましたので、話し合いを続行します。陪審員は席についてください」
「……はぁ」
「えー……ウソでしょ……。もう話すことなんてないわよぉ」
「あるぞ。先ほど5番が述べていただろう。何か疑問に思う所はないのか、と」
「……」
「それでも無いというならば、5番の疑問に答えてやればよい。疑問がないなら答えられるはずじゃ。然らばすぐにでも解散と相成ろう。さあどうじゃ?」
「チッ。筋は通ってやがるな。しょうがねぇ」
腕を組みながら憮然と席に着いた3番は大きく胸を反らせて4番と5番をねめつけた。
「疑問、ねぇ。無いことはねぇよ」
「それは何です?」
「なんで子爵の娘如きが侯爵の娘を手紙一枚で呼びつけられたのか」
「ほぉ! 意外な口から飛び出たもんだ。聞いてみるもんじゃな」
「ねぇ。どういうこと?」
「6番。聞かれておるぞ。まさか分からんのか?」
「……政治的な説明は抜きにします。言ってもわからないでしょうし。子爵と侯爵では文字通り格が違います。貴族学校と言えども社交の場。家の名を背負った格下の子爵が遥か上の侯爵を呼びつけるなんて、あってはならないのですよ」
「後輩が先輩をパシリに使ったみたいな?」
「もうそれでいいです」
「ははぁん。それは確かにへんね」
「えーと、自分も5番の疑問に重複している部分はあると思いますね。いじめられっ子といじめっ子。侯爵と子爵の娘。似てませんか?」
「これは奇遇じゃの。量らずも3番と5番の疑問は一度に検討出来てしまいそうじゃ。これは考えてみる他はないじゃろうて」
「はい。異論ありません」
「かまわねぇぜ。だがこれだけは言っとく。俺は絶対に意見を変えるつもりはねぇ。あのお嬢にはケジメをつけさせてやらねぇと気が済まねぇよ」
論理の穴を一歩引いた位置から観察するように座っていた6番は、感情の籠もっていない声で訊いた。
「頑なですね。何か貴族に個人的な恨みでも?」
「貴族を良く思ってない平民なんざ五万といるだろ。詮索すんな」
「……えーっと、では合意が得られたということで、考えてみましょうか。『なぜロザリンド嬢はエリス嬢の呼び出しに応じたのか。』皆さんどう思いますか」
「手紙が契機であったことは疑いようがないの。陪審員長。裁判で提出された証拠品をここに持ってくることは出来るのかの」
「ええ。出来ますよ。ちょっと待ってください」
陪審員長は部屋を出ると、廊下を見張る守衛に事情を話して戻って来た。
「少し時間がかかりますが、持ってきてくれるそうです」
「……こう言っちゃなんだが、だからなんだって話だよ。理由がわかった所で階段から突き落としたことがチャラになんのか?」
6番が呆れたように鼻で笑った。
「あ? なんだてめぇ」
「5番の疑問が解消されればこの議論は終わる。そういう話でしたよね。今はロザリンド嬢が有罪か無罪かの話はしていません」
「おうおう、言うじゃねぇか。でもよ、アンタ。いろいろインテリぶって理屈捏ねてるけどよ、アンタの有罪の理由って要は私刑したいってことだろ? 俺はどうかと思うがねぇ?」
「“被害者が可哀そうだから有罪”はその指摘の適用外ということですか? 興味深い理屈です」
「目撃者もいるし被害者は意識不明の重体なんだぞ? エリス嬢に同情して何が悪いんだ?」
「失礼ですが、あなたご家族はいますか?」
「……は?」
「ご結婚は?」
「事件に関係ねぇだろ」
「独り身ですか」
「……かみさんと、娘が――」
「お名前は?」
「てめぇ!」
「ちょ、ちょっと! 喧嘩しないでください。 6番も踏み込みすぎです」
「失礼しました。――もし、あなたの娘さんがトラブルに巻き込まれた時。実際には何もやっていないのに、ろくに審議もされず罰せられたら。それこそ“可哀そう”ではありませんか? それにも関わらず、あなたはロザリンド嬢やそのご両親には微塵も可哀そうだとは考えていない。不思議でしょうがありません」
「……ハッ。大事なこと忘れてちゃってるよこの人。ロザリンド嬢は“暴君”なんだぜ? もうタレコミのこと忘れちまったのか? 前を横切っただけで退学に追い込む、平気で人の大切な物を踏みにじる。学校の女王様気取りと来たもんだ。で? いったいどこが可哀そうなんだ? そんなバケモンみたいな娘に育てた親も――」
「そこまでです! 侯爵家の悪口を吹聴してはいけませんよ! どこで誰が聞いているのかもわかりません……」
「だからこそ、“教育”が必要なのです。たとえささやかなものでも、やらないよりはましでしょう」
「君らの思想論争は実に聞きごたえたっぷりじゃの。その調子で証拠品についても存分に語ってくれ」
守衛が持って来た証拠品
――エリスがロザリンドに宛てたとされる手紙が円卓に広げられた。
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ロザリンド・テイラー様
夜空が星のベールで着飾る折。
旧女子寮へと続く階段上に来られるのを待っています。
※※※※※※※※※。※※※※※※※※※※※。※※※※※※※※※※※※。
(逆ハー狙いの淫乱女。お前の秘密を知っている。二十一時に指定場所に来い。)
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「これじゃ。どう思う?」
「なんだか恋文みたいねぇ」
「うーむ、名前が書いてありませんね。これは変では?」
「別に変じゃないわ。相手をドキドキさせるためにあえて書かないこともあるし」
「はぁ……難しいですね」
「こらこら。そこじゃないじゃろ。ここじゃ、ここ」
4番は手紙の下に掛かれた※部分を指でトントンと叩いた。
「異国の言葉か、あるいは暗号か。いずれにしろ、これは何かしらの言語じゃよ。ロザリンド嬢はここを見て呼び出しに応じたに違いないと儂は睨んでおる」
「でも、ロザリンド嬢はなんて書いてあるのかわからないって言ってたわよ」
「はっはっは。そんなの嘘に決まっておろう。でなければ、侯爵令嬢を手紙一枚で呼び出すなんて無礼はまかり通るはずがない。ロザリンド嬢とエリス嬢には隠された繋がりがあったに決まっておる」
「捕捉しますが、婚約者がいる侯爵令嬢に恋文を渡す貴族なんていませんし、ロザリンド嬢も相手にしてはいけません。なのに、彼女は赴いた。恋文だと思った線は消していい。私も4番さんに同意します」
「なるほろねぇ。で、なんて書いてるの?」
「それが分かれば苦労はせんわい。聞くが、誰か読める者はいるか?」
4番は陪審員たちの顔を見回った。
「1番」
「いいえ。からっきしです」
「2番」
「うーん。ロザリンド嬢と婚約者だけが知ってるはずの愛の言葉とか? 私も知ってるぞ!ってエリス嬢が喧嘩売ったとか」
「3番」
「知らん」
「5番」
「……いえ」
「6番」
「初めて見る文字ですね」
「さよう。残念ながら裁判でも解読不能ということになっておった。しかし、3番と5番の疑問は、この文字列によって解消される見込みは極めて高い。
……ちなみに、2番が話した説で納得してくれるかの? ありそうな話だとは思うが」
「そうですね……。確かにありそうですが。僕が思うに、これはもっと悍ましい、読めば身の毛もよだつようなことが書かれていると思います」
「ほう? つまりエリス嬢は脅迫めいたことをしていたと? 根拠は?」
「すみません。文字の雰囲気を読んで思いついたことですので、そこまでは」
「3番。君は?」
「俺は納得してるぜ。なにか気に障ることが書いてあったから、ロザリンドのお嬢はブチ切れたんだろ。で、生意気言ったエリス嬢を締めに行って突き飛ばした。これが真相だ」
「どの道、現状では内容を想像で補う他ない。よって、手紙の検証はこれにて手詰まりと結論づけよう。残念だがね。おやおや、まだ5番は納得いっていないようじゃ。なら、この際証言から洗いなおしてみるとするか。異論はあるか?」
「まぁ……ここまで来たならもう付き合うしかねぇだろ」
頷く陪審員達。4番が陪審員長に顎をしゃくり、進行を促した。
「では、議題の提案がありましたので、次は『証言についてさらに検討』してみましょう。誰か内容を詳しく覚えている方いますか?」
「はいはーい。目撃者1はなんか大人しそうな女学生! で、目撃者2はこってりしたオタク君って感じ! オドオドしててキモかった!」
「ちょっとちょっと。誹謗中傷ですよ」
「あれウケたわよね。女学生の方。『証人、前へ』って言われて、開口一番『自分は使用人ではありません』って」
「緊張してたんだろ。アンタも証言台に立てばガタつくぜ」
「私も覚えています。被告であるロザリンド嬢は『言い争いになった末にエリス嬢が足を滑らせて階段を転げ落ちた』と証言しています。周りは薄暗く、誰もいないと思っていた。見られていたことにも気が付かなかったとのことですね。混乱していてよく覚えていないとも。
一方、ロザリンド嬢の婚約者はエリス嬢からいじめの件で相談を受けていた。それを受けて婚約者殿はロザリンド嬢を法廷で糾弾していました」
「自分の婚約者だってのに、ひでぇ男だな」
「浮気よ。浮気。二股騎士よ」
「僕からもいいですか。目撃者の女学生は旧女子寮へ戻るときに、被告とエリス嬢の言い争いに遭遇しています。外出禁止時間だったので見られる訳にはいかなかった女学生は咄嗟に背を向けたと言っていますね。関わりたくないという気持ちもあったともこぼしています」
「そうじゃな。で、その後まもなく――」
「『落ちなさい!』」
「2番。どうもありがとう。そう聞えたと。振り向くと、ちょうどロザリンド嬢がエリス嬢を突き落としているところが見えた。そのまま勢いよく滑落してきたエリス嬢が目の前で地面に激突した、という話じゃ」
「何かおかしい所あるか? なんもねぇだろ」
「女学生が校則違反している件は?」
「関係ねぇよ」
6番が判決文を読むような抑揚のない口調で説明を続ける。
「次、オタク君の証言について。彼は屋上で天体観測をしていたところ、悲鳴が聞こえた。慌てて望遠鏡を向けると、犯行の瞬間。突き飛ばしている瞬間が写ったとのことです。
しかし、ここで意見の食い違いが生じています。被告本人もエリス嬢も悲鳴は上げていない、と。被告は極度のパニック状態だったので、どこかで悲鳴が上がった可能性についてもわからないと供述していますね」
「……うん? うん。うん?」
「おやおや。2番が知恵熱を出しそうじゃよ。6番の説明は情報過多じゃからのぉ」
「2番さん。検察の話はよく分からなかったんですよね」
「うん」
「今回の事件、僕は3つの内のどれかだと思うんです。聞いてくれませんか」
「わかった」
「いいですか。
1つ。ロザリンド嬢は言い争いの末、わざとエリス嬢を階段に突き落とした。
2つ。ロザリンド嬢はエリス嬢を突き飛ばしたが、階段に落とすつもりはなかった。
3つ。ロザリンド嬢は突き飛ばしていない。何らかの理由でエリス嬢が足を滑らせ階段から落ちた。
お姉さんはどれだと思いますか」
「う~ん……。2、かなぁ?」
「いやいやいや。ちょっと待てよ。よく考えてみ? ロザリンド嬢は『落ちなさい!』って叫んでんだよ。目撃者が聞いてる。明らかに故意だろ」
陪審員長が首肯する。
「そうですねぇ……。『落とすぞ』ではなく『落ちろ』ですからね。前者は威嚇で、後者は意思だと自分も思います」
「要するに『殺すぞ』や『死んでしまえ』ではなく『死ね』って言ってるようなもんだぜ。こりゃ殺意もあるだろうよ」
即座に6番が否定した。
「いいえ。それは言いすぎでしょう。私も突発的に言ってしまうことがありますし、その程度では殺意だとは認められません」
「じゃあ1かしらねぇ」
「ちょ、ちょっと待ってください! それはミス・タイラントという評判に引っ張られていませんか!? 彼女はここ数か月で別人のように穏やかになっていたという話もありましたよ!」
「……落馬?」
「そう! 落馬して頭を打って! 穏やかになった人がそんな暴力的なことをしますか」
「おいふざけたこと抜かしてんじゃねぇぞ。印象の話なら言ったもん勝ちじゃねぇか!」
「もう! わけわかんない! 頭爆発しそう!」
2番が頭を抱えてガオーっと吠えた。
「そうじゃなぁ……確か、エリス嬢はロザリンド嬢から横恋慕していたと言ったのは君じゃったな」
「え、えぇ……そうね」
「女の勘は恐ろしいのぉ。しかし君、少し想像してほしいんだがね。君よりも若くてか弱い女性が君の恋人を寝取ったとしよう。挙句、わざわざ君を呼び出して勝利宣言をした。君はどうする?」
「は、はぁ!? ひっぱたいてやるわよ、そんなの!」
「君は今傷害の罪を犯した、と言われたら。了解でございと大人しくお縄につくかの」
「納得できない! 許さないわ!」
「ならなんで君はロザリンド嬢を有罪だと思うんじゃ?」
「……あ」
「そうですよ。どうしてなんですか?」
「うーん……。美人で、金持ちで、ミス・タイラントで……。なんとなく気に入らなかったから……?」
「そういう理由で有罪にしていいんですか」
「……ダメ」
「そう。ダメなんですよ! わかっていただけましたか!」
「……じゃあ、アタシ、無罪にする」
「は、はぁ!? おかしいだろ!! なんでそうなるんだよ!」
「だって、恋愛関係で揉めてたのはアタシの中では確定なのよ。婚約者がロザリンド嬢を庇わないのも、なんかきな臭いんだよねぇ……。それに『落ちなさい!』って実は別の意味があるのかも? 『アンタなんて地獄に落ちなさい!』みたいな?」
「それは少々飛躍しすぎじゃの」
「え~」
「では、2番。無罪ということでよろしいですか?」
「うん。いいよ」
「ウソだろ……」
5番はこのように思った。
――や、やった。これで3対3になった! 真実に向き合ってくれたんだ!
残念ながら、これは砂上の楼閣に築かれた束の間の喜びなのである。
「そうか。なら儂はやはりロザリンド嬢は有罪であると進言するぞよ。未だ目撃証言に気の利いた反論を用意できないんじゃから仕方があるまい。」
「えっ!?」
「何を驚いておる。はじめからそう申していたじゃろ」
「そ、そんな……」
「儂を納得させたいなら――なんでもいい。証言の瑕疵を指摘することじゃな」
「休憩取ろうぜ。流石に疲れたわ」
「そうですね。では10分間の休憩を取ります。時間までに席についていてくださいね」
◆ロザリンド嬢の評決
有罪:4
無罪:2
◇
「それでは、皆さんお揃いですね。再開します」
「陪審員長。アタシ質問がありまぁす」
「どうぞ」
「なんで陪審員長は有罪だと思うんですか?」
「え……自分の意見ですか? あーいえ、自分は進行役ですし、たいした意見でもありませんですので」
「いや、是非聞きたいものじゃ」
「聞かせてください」
「そうですか……。わかりました。――要するに今回の事件はロザリンド嬢の証言か目撃者の証言かのどちらを信じるか、ということだと自分は思います」
「……」
「確率の問題で、ロザリンド嬢には嘘をつく理由があります。過失や責任を回避するためですね。ですが、目撃者には嘘をつく理由がありません。で、あるからして、信用に値するのは証人であり、ロザリンド嬢はやはりエリス嬢を突き飛ばしていると考えたんですよ」
「へぇー」
「それに……実は陪審員をするのは2度目なんです。自分は。ある若者が起こしたとされる暴力事件でした」
「ほぉ」
「優秀な弁護士先生が付いていてですね。我々は弁護側の主張を聞いて、満場一致で証拠不十分、無罪という評決にしたんです。……ですが、そうですね。弁護士先生は、優秀すぎたのかもしれません。
若者は釈放してまもなく、同棲していた恋人を刺し殺したんです」
「え」
「若者はその後、極刑になりました。弁護士先生も、責任を感じてお辞めになったと聞いています。悲しい事件です。自分も、深く傷つきました。我々の判断が彼女を殺したんじゃないか。あの時有罪にしておけば。そう思いました」
「だから、ロザリンド嬢も有罪に?」
「否定はしません。これが理由です」
「……アタシ、やっぱり――」
「ちょっと待ってくださいよ……! まだ何かあるはずなんです。何か重大な見落としがあるはずなんですよ……!」
「何かってなんだよ」
「そ、それは、まだわからないですけども……!」
「はぁ……もういい加減にしろよ。アンタ」
「いえ! いいえ! 僕は絶対に諦めません! 彼女は無実だ! 何かがあるはずなんだ!」
「何かなんてねぇよ!! ロザリンドのお嬢が突き飛ばして怪我させた! それが真実だ!」
「若いの。ならこうしないか。ロザリンド嬢は有罪だった。しかし、エリス嬢が極めて挑発的な振る舞いをし、貴族としての名誉を傷つけた疑いを酌量する余地がある。そう説明して刑を軽くしてもらおう」
「え、出来るのそんなこと?」
「できますね。陪審員の意見付記はそのためにありますので」
「チッ。こうなったら仕方ねぇ。俺はそれでもかまわねぇぜ」
「ダメだ! 皆さん! 話し合いましょうよ!」
「アンタそればっかだな」
「ここは折れろ。若いの。このままでは本当に評決不一致になるぞ」
5番は怒りを抑えきれないように立ち上がり、円卓から背を向けた。
「……え~と、では、一旦、決を取ってみますか」
「……ねぇ、もう評決不一致で良くない?」
「はぁ!? ここまで話して結局それかよ! 俺は反対だね! ロザリンド嬢は有罪に決まってる!」
「違う! 彼女は無罪だ!!」
「その根拠を言えってつってんだよ!!」
「――っ!」
「あ、あのっ興奮しないで……仲良く!!!」
陪審員長がひと際大きな声で仲裁した瞬間、6番がハッと顔を上げた。立ち上がり、つかつかと5番に歩みより、その黒い瞳をじっと見つめた。
「……」
「な、なんですか」
「……いいえ。あなたの言うとおり、本当に無実だったのなら、冤罪の片棒を担ぐ訳にはいかないと思っただけです。
――私が時間を稼ぎます。その隙に“何か”を思い出してください」
「えっ」
「貴族なのですよ。私。腹芸は任せてください」
6番はくるりと翻ると、――豹変。纏っていた空気を脱ぎ捨てるように手を広げて語り掛けた。
「いいじゃありませんか。日が昇るまで話し合っても。おっしゃる通り我々は十二分に話し合った。それでも5番は未だ引っ掛かりを覚えているというじゃありませんか。それを投げ出して評決不一致に逃げれば、これまでの時間は無駄になったということですよ。それでもいいのでしょうか?」
あっけにとられる一堂に6番は不敵に微笑む。
「猫を被っておったか」
「これまで話し合った結果、皆さんはこう思った。ロザリンド嬢は有罪である。その根拠は目撃者がいるから。そうですよね?」
「ああ。そうだ」
「なら、そこに一石を投じましょうか。目撃者の女学生は単に聞き間違えをしただけなのでは? 『落ちなさい』と『お待ちなさい』を」
「は?」
「ほら、口に出しておっしゃってみてくださいよ。『おちなさい』『おまちなさい』似ているとは思いませんか?」
「似とらん。何を言い出すかと思えば。馬鹿馬鹿しいにもほどがある」
「果たして本当に? 女学生は『証人』と『使用人』を聞き間違えているのですよ?」
「それはっ! ……緊張していただけじゃ」
「夜間外出をして、絶賛校則違反中の大人しそうな女学生が緊張していなかったわけがないでしょう」
「あり得ん! ただの憶測だ!」
「でも可能性はゼロじゃない」
「……疑わしきは罰せず」
2番がぽつりと呟いた。
「おっしゃる通り。それに『お待ちなさい』と叫んだのであれば、証言の内容も変わってきます。女学生は叫ぶ声を聞いて振り返ると、ロザリンド嬢が突き飛ばす瞬間を見た。
しかし実際は、ロザリンド嬢はエリス嬢が落ちないように手を伸ばしていたのではないですか?」
「お、おい! なに好き勝手言ってんだよ! それならあれか? 女学生は見間違えたし、聞き間違えたって言いたいのかよ!?」
「ええ。まさしくその通り。それに、さっき陪審員長が大声を出した時、皆顔を向けましたよね。誰か陪審員長がしゃべる瞬間を見た方はいらっしゃいますか? 皆が見たのは、しゃべった後だったのではないですか? なのに、どうして女学生は突き飛ばした瞬間を見ることが出来たのでしょうか?」
「屁理屈抜かすんじゃねぇ!!」
「私もこれで無罪になるなんて考えていませんよ。ただ、疑いがあると申し上げているのです」
「……なるほどの。女学生は突き飛ばした瞬間を見ていないのかもしれないと。なら、オタク君の目撃証言はどうなる? 彼も見間違えたというのか?」
「思い出した!!」
突然の大声に皆が仰天した。
「事件があったあの日、曇りだったんですよ!! ほら、外の長雨!!」
5番はさらに続ける。
「あの日は星が一つも見えないほどの曇天だった。天体観測なんて出来るはずがない! 彼は嘘をついた!」
「それが何だってんだ! だから信用ならないとか抜かしたらぶっ飛ばすぞ!」
「ぼ、暴力は辞めましょうよ……。5番。どういうことですか」
「考えても見てください。望遠鏡を覗いているような状態で、叫び声がした場所を瞬時に、正確に見つけられますか? 声も反響しただろうし、曇り空の夜ですよ! かなり暗かったはずだ!」
「……ふむ、なるほどな。それで、叫び声は?」
「目撃者の声ですよ! 女学生! つまり、悲鳴を聞いたのは、エリス嬢が階段を転げ落ちた後だった! 彼は決定的瞬間なんて見ていない! どれだけ早くロザリンド嬢を探し出せたとしても、その瞬間を見ることは出来なかったはずなんです!」
「じゃ、じゃあ、何で奴は望遠鏡なんて使ってたんだよ! 都合が良すぎるだろうが!」
「……覗きじゃない? だって、待ち合わせ場所って女子寮に続く階段よね?」
「は、はぁ!?」
「ううん。そうよ!きっとそう! だってキモかったし! 何をしていたのか突っ込まれないために話を盛ったのよ! そうに違いないわ!」
「お前ら頭湧いてんのか!? 妄想も大概にしとけよ! ロザリンド嬢はやったんだ! 分かれよ! 裁かれないといけない女なんだよ!」
「……いや。もういいじゃろう。証言の信憑性に疑問がある以上、有罪にすることは出来ん。陪審員長。無罪だ」
「爺さん! アンタ……! 裏切んのかっ!?」
「……3番。お静かに。では、一度決を取ってみます。口頭で述べてください」
前のめりになりながら渋面を張り付ける3番を横目に、陪審員長が決を取る。
「2番」
「無罪よ」
「3番」
「有罪ッ!」
「4番」
「無罪じゃ」
「5番」
「無罪です」
「6番」
「無罪」
「そうですか。では、自分は無罪に投じます。まとめます」
陪審員長は黒板に票を書き込んで行く。
◆ロザリンド嬢の評決
有罪:1
無罪:5
「お、お前らなぁ……!! いったい今まで何を見てきたんだよ! あの貴族女は有罪だ!! 殺そうとしたんだよ! 絶対にッ!!」
「どうして、そう思うんですか?」
「俺にはわかるんだ! 貴族っていうのはな、人の皮を被った悪魔なんだよ! 平民のことなんざ石ころ同然とした思っていない人で無しなんだっ! なんでそれが分からねぇんだよ! お前らさっさと帰りたいだけだろ! 信念持てよ!! コロコロ変えすぎなんだよ!!」
6番が冷たく言い放つ。
「……もう、そんな気持ちで票を入れた人は、ここにはいません」
3番は胸元からロケットを取り出して、縋り付くようにして叫んだ。
「俺の娘はな、殺されたんだ! 貴族に攫われて……! なのに奴は碌な罰も受けなかった! 裁かれないといけないんだよ……! 許しちゃいけないんだ! 頼むよ! 有罪に入れてくれよ! おかしいだろこんなこと!」
嘔吐するように喚き続ける3番。
誰も言葉を発しない。
掛ける言葉が見つからない。
3番は感情的で、哀れで。
その愚かさが、憎悪が、重く理解出来てしまったから。
「……今、裁かれているのは――」
5番が口を開く。気弱そうで、押せば倒れそうな青年。
その黒い瞳には、強い意志が宿っていた。
「ロザリンド嬢なんです。娘さんの仇じゃない」
「――っ!」
3番は泣いた。
怒れる獣の慟哭のように、打ちひしがれて泣いたのだ。
長雨は未だに上がらない。
しかし、その雨脚は涙に代わるように、弱まっていった。
◇
「君、元気を出せ。儂はあの評決に満足しとるぞ。我々は知恵を絞って言葉を交わし、一つの真理を見出した。ご息女の時とは訳が違う。さぁ、胸を張るんだ」
「そうよ! ほらほら! ここはパァーっと飲みに行きましょう!」
「……奢りだろうな」
「もちろんじゃ。支払いは儂に任せておけ」
「やった! じゃあ、ウチの店に行こうよ! 可愛い娘いっぱいいるよぉ?」
「ほほう! それはいいのぉ! ほら、何時までシケた顔をしとるんじゃ。気晴らしに行くぞい!」
「お、俺は妻帯者だ! いかがわしい店には行かん!」
閉め切られた部屋から出て来た元陪審員たちが、それぞれの生活へと戻っていく。
お互いに名前も知らなかった者達が、責任を果たした大人たちとして評議室を後にする。
「……ねぇ。あなた」
「あ、は、はい! あ、す、すみません。あの時は助けていただいて。まさか貴族の方だったなんて知らず……とんだご無礼を……」
「かまいません。私も目立たないようにしていましたし」
「いえ。めちゃくちゃ目立ってましたよ」
「え」
「あ。なんでもありません。すみません」
「……そ、そう。一つ、聞き忘れたことがあるのですけど、いいですか?」
「なんですか?」
「証拠品の手紙に書かれていた暗号。実は読めていたのではないですか」
「え!? いや、アハハ。まさか。さっぱりですよ」
「では、どうしてロザリンド嬢が無罪だと、最初から最後まで信じきれたのですか?」
「えーと、なんとなく……ですかね」
「……」
「す、すみません! た、例えば、突然見知らぬ国に放り込まれて、心細い思いをしていた時に、自分と同じ境遇の人を見つけたら。困っていたら。思わず手を差し伸べてしまう。助かって欲しいと願ってしまう……。だから信じた、みたいな、感じ?」
「まったく意味が分からないです」
「す、すみません……」
『お前の秘密を知っている』——あの日本語の脅迫状を見た時。自分の他にも、この世界にやって来た者がいたと知った彼の、震えるような感動はきっと説明しても理解されない。たとえそれが、ロザリンドを救わなければという気持ちになっていたのだとしても。だから、彼は顔を伏せて、曖昧に微笑んでいた。
「まぁいいでしょう。それでは、ごきげんよう」
「あ、はい。えと、ごきげんよう」
「あなた。かっこよかったですよ」
「え?」
「では」
後に残った陪審員長がようやく評決書をかき上げた。満足そうな顔をしながら、守衛に渡す。
「全会一致の評決です」
「ご苦労様です」
「では、自分はこれでお暇します」
「はい。気をつけてお帰りください」
「……今回は、きっと悔いのない判断が出来たと思います」
「それは、いいことですな」
評決書を受け取った守衛は、それを厳重に保管し、陪審員たちが熱い議論を交わした部屋へと足を踏み入れた。
すっかり日も暮れて、窓の外は夕闇に沈んでいる。
彼らの熱意で籠もった部屋は未だ冷めやらず、その黒板には、彼らが辿り着いた一つの結論が、厳かに描かれていた。
◆ロザリンド嬢の評決
有罪:0
無罪:6
(了)
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佐倉美羽




