だからわたくしは悪女になるの。貴方の為なら我が身の破滅も厭わない。
愛しているわ。貴方の事を誰よりも愛している。
だからわたくしは悪女になるの。貴方の為なら我が身の破滅も厭わない。
アリーディア・フェレス公爵令嬢は、ボイド・シーズ公爵令息が今日も、エリーナ・バセル伯爵令嬢と仲良さげに中庭で話しているのを眺めていた。
ボイドの方からアリーディアに熱烈に恋をしたからと言って、婚約が2年前に結ばれた。
互いに15歳の時である。
名門シーズ公爵家からの申し込みにフェレス公爵夫妻と兄リードは喜んだ。
父はアリーディアに向かって、
「ボイドは見た目も美しい金髪碧眼の美男だし、勉学も剣技も出来る素晴らしい令息だ。
それにシーズ公爵家は名門だ。我が娘に声がかかるとはなんと有難い事だ」
母も頷いて、
「貴方だって、ボイドの顔は見た事があるでしょう。とても素敵な縁じゃないの。良かったわね」
アリーディアも凄く喜んだ。
母に連れられて行ったお茶会で、何度かボイドと顔を合わせる事があった。
彼はアリーディアに話しかけて来て、互いに話もあって、意気投合したのだ。
家柄的に釣り合いも年頃も申し分がない。
だから、シーズ公爵家から婚約を申し込まれた時は有頂天になった。
婚約を結ぶ席でボイドが照れくさそうに、
「私から両親に頼んだんだ。君と婚約を結びたいって。迷惑だったかな」
「いえ、わたくしもとても嬉しく思いますわ」
幸せだった。
ボイドと結婚出来る。
シーズ公爵家の両親も良い人達だ。
だから、このまま、ボイドと仲を深めていって、幸せな結婚が出来る。
そう信じていたのに。
2年過ぎて、貴族なら誰しも行く王立学園で、
ボイドはエリーナ・バセル伯爵令嬢と親しくし始めたのだ。
元々エリーナとは幼馴染で、幼い頃は両家の交流の席でよく一緒に遊んだとか。
エリーナはボイドに腕を絡めて、
「ボイド様にこうして再会出来て、わたくし、とても嬉しいですわ」
「私もだ。エリーナ。懐かしいな。昔は一緒によく遊んだものだ」
どうしてなんで?わたくしという婚約者がいるのに、どうしてエリーナと仲良くしているの?
ボイドを呼んで注意しても、ボイドは、
「焼きもちを妬かないで欲しい。彼女とは幼馴染で、懐かしかったから交流しているまでだ」
エリーナもにこにこしながら、
「懐かしくて。ついつい。申し訳ございませんっ」
と言いつつ、ボイドに腕を絡めたまま、謝罪するエリーナ。
貴方、本当に反省していうの?胸を目の前でボイド様に押し付けないでっ。
バセル伯爵家は、シーズ公爵家の傘下で、こちらからバセル伯爵家に注意も出来ない。
かと言ってシーズ公爵夫妻に、苦言しにくいとアリーディアは思った。
器の小さい人間だと思われるのが嫌だったからだ。
お願いだから、わたくしだけを見てよ。
なんでエリーナなんかと、仲良くしているの??
イライラしている時に知り合ったのが、ルイス・シャーレ伯爵令息。
物腰が柔らかい黒髪碧眼の優しそうな男性だ。
「フェレス公爵令嬢。こちらから、声をかける無礼をお許し下さい。そのような悲しそうな顔をしていたら、せっかくの美人が台無しですよ」
「わたくし、悲しそうな顔なんてしていないわ。ただ、あの二人を見るのが嫌なだけ」
「お気持ちは解ります」
そう言うと、ルイスは美しい薔薇の刺繍が施されたハンカチを差し出した。
「よろしかったら。こちらを。私が刺繍したのです」
「え?貴方が?珍しいわね。男性で刺繍をするなんて」
「貴方をイメージした薔薇です。貴方の銀の髪に青い瞳の気高さを青の薔薇で表現してみました」
美しい青の薔薇の刺繍のハンカチ。
嬉しかった。
そして、ふとルイスをどこかで見たことがあるとそう思った。
「貴方、昔、わたくしに会った事があるかしら?」
「幼い頃、身体が弱くて、領地で療養しておりました。その時に、一度、療養院の方にお越しになった時に、私は貴方に手を握られた事があります」
「ああ、そういえばシャーレ伯爵家の領地の療養院を見に行ったことがあったわね。うちの父が我が領地でも立派な療養院を作りたいっていって。その時、貴方にわたくしは会ったのね。確か12歳の時だったわ」
「ええ、私も12歳の時で。その頃から、貴方は凛としていて、とても輝いていて。私の初恋でした」
「まぁ、初恋でしたの?」
ルイスの初恋だと聞いて、なんとも言えない気持ちになった。
エリーナと仲良くしているボイドを見ていると、女性として自信がなくなってしまう。
それなりに自分は美人だと、自信を持っていたのだが、エリーナは金髪碧眼の可愛らしい感じの美人で、それに比べて銀髪碧眼のきつい顔立ちのアリーディア。ボイドの趣味は可愛らしい美人なのだと思うと、悲しかった。
顔立ち何て変えられない。
ボイドとは、エリーナが現れるまで本当に良好な関係を築いていたのだ。
互いに好きな本の話をして、互いに将来の話をして。
沢山沢山話をしてきた。
ボイドはアリーディアに向かって、
「君と何回か会っているうちに、将来を共にするならアリーディア、君だと私は思ったんだ。話をすればするほど、君に惹かれていく。君と婚約を結んで良かったよ」
とまで言ってくれたのに。
何よ。エリーナのどこがいいのよ。
ボイドはエリーナと再会してから、学園ではエリーナと過ごすようになった。
でも、婚約者として週に一回、シーズ公爵家のテラスでお茶を飲む交流は普通に続いていた。
つい、ボイドに向かってアリーディアは文句を言ってしまう。
「最近、バセル伯爵令嬢と仲がよろしいのですね」
「ああ、幼い頃からの知り合いで。懐かしくてつい。彼女とは気やすく話が出来るんだ。昔は身体が弱かったのに。今はとても元気で良かったよ」
「そうなんですの。でも、わたくしが貴方の婚約者なのですわ。付き合いもほどほどにして下さいませ」
「焼きもちを妬いているのか。シーズ公爵夫人に君はなるのだから、そんな狭量でどうする?うちの父上が多少、女性と付き合っていたとしても母上はにこやかに微笑んで何も言わない。それが貴族の女性の在り方だ」
「生憎、わたくしは、物分かりのいい女ではありませんの」
確かに、この王国では男性の方が女性より立場が強い。
多少の女性関係は大目に見る風潮がある。
それでも、エリーナと一緒に貴方がいるのが許せないの。
また、狭量と言われるわね。
ああああっ。わたくしはどうすればよいの?
偶然、図書室で、ルイス・シャーレ伯爵令息に会った。
彼は柔らかい笑みを浮かべて、
「また、悩みがあるお顔をしていますね。私に話して下さいませんか」
「ボイド様が、またエリーナ・バセル伯爵令嬢と仲良くしているのです。でも、わたくしが注意すれば、狭量だと言われて。わたくしは許せない」
「貴方はボイド様を愛していらっしゃるのですね」
「勿論よ。わたくしは彼を愛しているわ。婚約を申し込まれた時は本当に嬉しかったの。それなのに」
「私が貴方の婚約者だったら、そんな悲しい顔をさせないのに」
「え?」
「また、刺繍をして参りました。綺麗な金の小鳥を。貴方の幸せを願って」
刺繍入りのハンカチを渡された。
「有難う。ルイス。貴方、優しいのね」
気遣って貰って嬉しかった。
傷付いた心が癒されていく。そんな気がした。
ボイドがエリーナと仲良く付き合い続ける。
昼休みはエリーナと中庭で、お弁当を食べ、親し気に話をし。
エリーナは学園でいつもボイドにべったりで、ボイドも拒否をしなかった。
そんなとある日、見てしまったのだ。
木陰でボイドがエリーナと見つめ合って親し気に話をしている所を。
エリーナはボイドに向かって、
「夕べは素敵でしたわ。わたくし、一生の思い出にします」
「喜んでくれてよかった。君が元気にこうして生きていてくれて私は嬉しいよ」
夕べは素敵でした???どういう事?
アリーディアは二人の前に行き問い詰めた。
「どういう事でしょう。不貞を犯していたという事ですの?いくらなんでも結婚前に不貞を犯すような人とはわたくし結婚出来ませんわ」
ボイドは慌てたように、
「食事をしに行っただけだ。やましい事は何にもない」
「でも、わたくしを帰したくないって。そう言って下さいましたわ」
「そんな事、言った覚えは」
「ボイド様の目が訴えておりましたわ。わたくしを帰したくないって」
我慢出来なかった。
いくら男性が多少浮気しても許せと言う風潮でも、結婚前に酷すぎる。
アリーディアはボイドに向かって、
「貴方とは結婚したくないわ。わたくしは狭量で結構。わたくしだけを愛してくれる人でなくては嫌。ですから、婚約を解消して下さいませ。貴方とは絶対に結婚したくありません」
エリーナにもきっぱりと言ってやった。
「貴方も貴方ね。いくらシーズ公爵家の傘下といえども、わたくしの婚約を壊す原因を作ったのです。もう我慢できないわ。バセル伯爵家にも慰謝料を請求するわ」
エリーナは平然と、
「不貞をした訳ではありませんわ。わたくし、ただボイド様とお食事をしただけです」
憎かった。エリーナという女が憎かった。
でも、確かに不貞をした訳ではない。
シーズ公爵家にバセル伯爵令嬢の事を訴えても、そう言われるだろう。
ああ、悔しい悔しい悔しい。
ボイドは眉を寄せて、
「君がそこまで言うのなら、婚約解消しよう。誠にすまなかった。君を傷つけて」
謝罪してくれた。
そしてあっさりと婚約解消に同意したのだ。
どういうことよ。わたくしを好きだったのではないの???
そしてボイドはエリーナをちらりと見たのだ。
心はエリーナにあるって事?
わたくしからエリーナに?
悲しかった。
悲しすぎて涙が零れる。
家に帰って両親と兄に報告した。
父フェレス公爵は、
「考え方の相違だ。私は妻を大事にしないこの王国の風潮は嫌いだ。もっと誠意ある相手が必ずいるから」
母も頷いて、
「そうよ。わたくしが探してあげるから。ね?」
兄リードも、
「それにしてもそんな酷い男だったとは思わなかった」
家族の理解があって、アリーディアは嬉しかった。
こうしてボイドとアリーディアの婚約は解消された。
愛しているわ。貴方の事を誰よりも愛している。
だからわたくしは悪女になるの。貴方の為なら我が身の破滅も厭わない。
エリーナは、ボイドから、
「彼女は私に対して理解がなかった。幼馴染の君をちょっと大事にしただけで、婚約解消を訴えてくるだなんて」
エリーナは微笑んで、
「本当に狭量ですわね」
「それでだな。エリーナ。私は君の事を……」
「ごめんなさいっ。わたくし、そういうつもりじゃなかったんです。ただ懐かしくて懐かしくて」
「え?こうして手作りのお弁当を私の為に毎日作ってきてくれたのは」
「だって懐かしかったから、少しでもお話をしたかっただけなんです。それなのに。
本当にごめんなさいねー」
エリーナはあっけに取られるボイドを置いて、中庭を離れた。
その足で、ギルドへ行った。受付嬢に向かって、
「ヴォルフレッド騎士団に連絡を取りたいのだけれども」
「ヴォルフレッド騎士団?ああ、あの変…辺境騎士団の事ですね。どのようなご用件で?」
「屑の美男情報を提供したいって言えば、解るわ」
「屑の美男情報ですね。了解しました。連絡しておきます」
ギルドの受付嬢がにこやかに約束してくれた。
ボイドの事は大嫌い。
憎くて憎くてたまらない。
あの男は覚えていないだろうけれども、幼い頃に、あの男の不注意で、弟が亡くなった。
とても可愛い弟だった。
シーズ公爵家が傘下の貴族の子供達を集めて湖へ皆で遊びに行ったのだ。
勿論、両親も付き添ってである。
湖で遊びたいと言ったのは、ボイドの提案だった。
弟の8歳のカイルは水が大嫌いだったのに。
ボイドが一緒にボートに乗ろうと無理矢理連れていったのだ。
可愛い弟だった。
でも、ボートから落ちて亡くなってしまった。
ボートを漕いでいた使用人の話によると、魚を見ようと身を乗り出してボートから落ちたと言っていた。
あの水を怖がる弟が身を乗り出すなんて考えられない。
きっと、ボイドが強要したに決まっている。
可愛い弟カイル。
あっけなく亡くなってしまったカイル。
でも、筆頭公爵家のシーズ公爵令息ボイドを責める事なんて出来ない。
わたくしが貴方を愛すると思って?
ずっと憎んでいたわ。
ショックで身体を壊したわたくしは、シャーレ伯爵家の療養院で療養することになった。
その時に知り合ったのが、ルイス・シャーレ伯爵令息。
ルイスと仲良くなって、彼はわたくしの事を慰めてくれた。
とても力づけてくれて。
「弟さんの事は残念だったね。ほら、綺麗な花を庭から摘んできたよ。少しでも慰められたら」
そう言って、桃色の綺麗な花を摘んできてくれた。
ベッドの脇で面白い絵本があるからと、読んでくれて。
いつしか、エリーナはルイスの事が好きになっていた。
優しいルイス。
ああ、彼と将来、結婚出来たらいいのに。
でも、彼は一度だけ、交流のあったアリーディア・フェレス公爵令嬢の事を思っている。
アリーディアは幼いながらも、とても美しい令嬢として有名だ。
ルイスはアリーディアのことになると、とても饒舌になって。
「アリーディア様は素晴らしいんだ。この療養院に来て、私の手を触って、早く良くなるといいわねって言って下さって。いい香りがして。まるで高貴な薔薇のような方で」
ああ、貴方はアリーディア様をずっと見つめているのね。
悲しかった。
健康になって、互いに自分の家に帰って交流は途絶えた。
でも、わたくしはずっとルイスの優しさを忘れなかった。
忘れられなかったの。
弟カイルを失った大きな傷を、ルイスはずっと慰めてくれたの。
心に大きな美しい花を咲かせてくれたの。
だからわたくしにとってルイスはわたくしの人生の全て。
例え、ルイスの心がアリーディア様にあるとしても。
時が過ぎて互いに17歳になって。
王立学園に入る事になったけれども。
その時、思ったの。
2年前、あの憎きボイドがアリーディア様と婚約を結んだと聞いていた。
二人の仲は良好だということも。
壊してやると。
婚約を壊したらきっと、身分違いでもルイスが割り込むことが出来るかもしれない。
ずっとずっとルイスはアリーディア様の事を思っていたのだから。
ボイドに近づいて誘惑して。
幼馴染なのですもの。その特権を生かして見せる。
ボイドの心を上手くこちらに向ける事が出来たら、その時、わたくしは、彼から逃げて逃げて逃げて。そして変…辺境騎士団へ引き渡すわ。
弟が冷たい水の中で泣いている。
カイルが泣いている夢を見るの。
だからこれがわたくしの復讐。
そして何よりも、愛しいルイスが、アリーディア様と結ばれる事をわたくしは願いたい。
ルイスには幸せな結婚をして欲しい。
ああ、ルイス、わたくしはずっと貴方を思っているわ。
どうか、ルイス。貴方は頑張って、想いを叶えて。
わたくしは、あの男を変…辺境騎士団へ引き渡すわ。
その後は……
わたくしはどうしたらいいの?
全てを終えたその後はわたくしは抜け殻。
どうしたらよいの???
アリーディアは、フェレス公爵家のテラスでお茶を飲む。
対面にはルイス・シャーレ伯爵令息がいて、ルイスが紅茶を飲んだ後に微笑んで、
「私からの婚約の申し込みを受けて下さり嬉しいです」
「貴方はわたくしを慰めて下さいましたわ。わたくしの心の傷が貴方のお陰でどれ程、慰められたか」
「傷つく貴方を見ていられなかったので」
「そういえば、ボイド様は変…辺境騎士団にさらわれたそうね。あの屑の美男を教育する騎士団だと聞いているわ。エリーナ・バセル伯爵令嬢。バセル伯爵家は爵位を返上して、隣国へ家族皆で移住したとか。わたくし、バセル伯爵家に何かするつもりはなかったのに。だって、シーズ公爵家の傘下の伯爵家ですもの。手が出せないわ。それなのに責任を感じたのかしら」
「私はエリーナを知っていますけれども、とても良い子でした。ああ、貴方の前で彼女の事を良い子だって言ってはいけませんね。きっと責任を感じたのでしょう」
「そうね。わたくしとボイド様の婚約を壊したのですもの」
過ぎた恋はもう振り返らない。
わたくしの傍にはルイスという素敵な婚約者がいるのだから。
空を見上げれば初秋の気配がして。
愛しいルイスと共に空を見上げるアリーディアであった。




