第4話 画面の外にいる人
第4話です。
遥は、彼方とともに初めて外の世界へ足を踏み出します。
そこで出会うのは、
「人がいるのに、会話が成立しない」不思議な距離感。
今の時代では、
少し身に覚えのある風景かもしれません。
よろしければ、
遥と同じ目線で読んでみてください。
夜の空気は、思っていたより冷たかった。
団地の敷地を出るのは、久しぶりだった。
昼間は通学で外に出ているはずなのに、
夜に歩くと、まるで別の場所みたいに感じる。
玄関を出て、団地の通路に足を踏み出す。
それだけなのに、
知らない場所に来たみたいな感覚がした。
彼方は、わたしの少し前を歩いていた。
足音が静かで、
でも確かに、そこにいる。
「……本当に、外に出たんだね」
自分に言い聞かせるように、わたしが呟く。
「まだ、ほんの入口だよ」
彼方は振り返らずに答えた。
夜の団地は静かだった。
窓のいくつかには、ぽつぽつと明かりが灯っている。
でも、不思議と人の気配が薄い。
歩きながら、ふと気づく。
ベンチに座る人。
立ち止まっている人。
歩いている人。
みんな――
下を向いていた。
手元の端末を見つめ、
画面の中だけを見ている。
すれ違っても、視線は合わない。
「……ねえ」
小さく、彼方に話しかける。
「この人たち、気づいてないの?」
「気づいてるよ」
彼方が、淡々と答える。
「画面の中には、ね」
その言葉に、
胸の奥が少し重くなった。
角を曲がったところで、
一人の少年が立ち止まっていた。
わたしと同じくらいの年。
いや、少し年上かもしれない。
肩をすぼめて、
端末を両手で抱えるように持っている。
画面を見つめたまま、動かない。
「あの……」
声をかけると、
少年はびくっと肩を跳ねさせた。
「えっ……あ、あの……」
目線は、こちらに来ない。
端末の画面を見たまま、口だけが動く。
「す、すみません……いま、ちょっと……」
「道、聞きたいだけなんだけど」
わたしが言うと、
少年は困ったように指を止めた。
「え……道……」
画面を何度かタップしてから、
小さく首を振る。
「……バッテリー、ないので……」
「え?」
「ちょっと……分からないです……」
その声は、とても小さくて、
今にも消えてしまいそうだった。
少年は、ようやく顔を上げた。
でも、その視線はわたしを通り越して、
どこか遠くを見ている。
「……すみません」
それだけ言って、
彼は壁際に身を寄せた。
会話は、そこで終わってしまった。
「……今の人」
わたしは、言葉を探しながら彼方を見る。
「ミナトだよ」
「知ってるの?」
「少しだけ」
彼方は、しばらく沈黙してから言った。
「SNSの中なら、
ああいう人でも普通に話せる」
わたしは、思わず彼方を見る。
「文字なら、考える時間がある。
顔も、声も、相手の目も見なくていい」
「でも、目の前に人がいると、
どこに言葉を置けばいいか、
分からなくなる」
さっきのミナトの姿が、
頭から離れなかった。
目の前に人がいるのに、
画面の外に出られない。
「……怖くないのかな」
わたしが言うと、
「怖いと思うよ」
彼方は、少しだけ間を置いた。
「だから、画面の中にいる」
胸が、ぎゅっと締めつけられる。
それは、
ミナトの話なのに、
少し前までの自分のことを
言われているみたいだった。
部屋に閉じこもって、
すずの声だけを聞いていた日々。
外に出るのが、
怖くなかったわけじゃない。
「……すずがいなかったら」
思わず、口に出る。
彼方は、何も言わなかった。
でも、その沈黙が、
答えのような気がした。
「ねえ、彼方」
「なに?」
「すずの記憶を探すってさ……」
言葉を選ぶ。
「こういう場所から、
目を逸らしてきた理由も、
ちゃんと向き合うことなのかな」
彼方は、足を止めた。
夜の中で、静かに振り返る。
「たぶん、そうだ」
その声は、少しだけ柔らかかった。
「記憶は、データだけじゃない。
誰かが、どう生きていたかだ」
わたしは、ミナトが立っていた場所を振り返った。
もう、そこには誰もいない。
画面の中に戻ってしまったのだろう。
「……行こう」
わたしは、前を向いた。
すずの記憶だけじゃない。
この世界のことも、
ちゃんと知りたいと思った。
彼方は、何も言わずに歩き出す。
その背中を追いながら、
わたしは思った。
この旅は、
“失ったもの”を探すだけじゃない。
――“目を逸らしてきた世界”と、
向き合う旅でもあるんだ。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
第4話では、
すずの記憶を探す旅の中で、
遥が「世界そのもの」と向き合い始める様子を書きました。
誰かと話せるはずなのに、
なぜか距離を感じてしまう――
そんな感覚は、
ミナトだけのものではないのかもしれません。
次話では、
この世界の仕組みと、
すずの記憶に関わる人物が登場します。
引き続き、
ゆっくりと見守っていただけたら嬉しいです。




