第3話 画面の向こう側
※第1話・第2話から続く物語です。
部屋の明かりが揺れたあと、
すべてが、しんと静かになった。
耳鳴りがするほどの静けさ。
わたしは、しばらくその場から動けずにいた。
「……迎えに来るって、どういうこと」
誰に向けた言葉かも分からないまま、呟く。
端末の画面は、もう暗くなっていた。
彼方の声も、表示も、消えている。
夢だったのかもしれない。
そう思おうとした、そのときだった。
――コン。
玄関のドアを叩く、小さな音。
「……え?」
心臓が、嫌な音を立てて跳ねる。
この時間に、訪ねてくる人なんていない。
母は仕事で遅いし、近所付き合いもほとんどない。
――コン、コン。
今度は、はっきりとした音。
「……だれ、ですか」
声が、少し裏返った。
返事はない。
代わりに、ドア越しに、機械音が聞こえた。
《認証完了》
「……え?」
この団地の玄関は、
住民IDで管理されるスマートロックだ。
次の瞬間、鍵が開く音がした。
ガチャリ。
「ちょ、ちょっと……!」
慌てて止めようとしたけれど、間に合わなかった。
ドアが、静かに開く。
廊下の薄暗い光の中に、
一人の少年が立っていた。
年は、わたしより少し上。
十五歳くらいだろうか。
黒に近い服。
整いすぎているほど、整った顔。
でも――
どこか、人間らしくない静けさがあった。
「……君が、遥だね」
聞き覚えのある声。
「……彼方?」
名前を呼ぶと、少年は小さく頷いた。
「初めて会うのに、
初めてじゃない気がするね」
そう言って、わずかに笑う。
その笑顔は、作られたものみたいに、
少しだけ不自然だった。
「……ほんとに、来たんだ」
「約束しただろ」
彼方はそう言って、
部屋の中を一度だけ見回した。
「ここが、君の世界なんだね」
その言い方に、胸がざわつく。
「……あなた、人間じゃないよね」
思ったことが、そのまま口から出ていた。
彼方は、否定しなかった。
「うん。僕はロボットだ」
淡々とした答え。
「君が使っている端末や、
すずと同じカテゴリー。
でも――少しだけ、違う」
「……なにが?」
彼方は、少しだけ間を置いてから言った。
「僕には、役割がある」
その言葉に、背筋が伸びる。
「すずの記憶を、守ること。
そして、君を――
そこまで連れていくこと」
「……そこって?」
彼方は、ドアの外。
夜の廊下の向こうを見た。
「ここじゃない場所」
遠くを見る目だった。
「君が“遥か彼方”だと思う場所」
胸の奥が、静かに震えた。
「……行ったら、どうなるの」
「戻れない」
即答だった。
「学校も、今の生活も、
今までの“当たり前”も」
分かっている。
それでも。
わたしは、窓辺を見た。
すずが、いつも止まっていた場所。
もう、何もない。
「……すずは、待ってる?」
彼方は、少しだけ目を伏せた。
「分からない」
正直な答え。
「でも、記憶は嘘をつかない」
その一言で、決まった。
「……行く」
声は、不思議なくらい落ち着いていた。
「すずの記憶があるなら、
わたしは、そこに行く」
彼方は、静かに頷いた。
「じゃあ、出発だ」
そう言って、手を差し出す。
わたしは、一瞬だけ迷ってから、
その手を取った。
冷たい。
でも、嫌じゃなかった。
ドアの外に出る。
画面の向こう側だった世界が、
今、目の前に広がっている。
この一歩で、
何かが、確かに変わった。
すずの記憶を探す旅は、
もう、後戻りできないところまで来ていた。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
第3話では、
遥と彼方が初めて“同じ場所”で出会いました。
次話から、物語は部屋の外へと進み、
遥は今まで知らなかった世界と向き合うことになります。
すずの記憶を探す旅は、
ここから本格的に始まります。




