第12話 境界の座標
この回は「追われている感」と「すずの痕跡」を同時に濃くする回です。
固定発信=ゴールじゃなくて“入口”として置きました。
端末の震えは、短くて、やけに静かだった。
さっきまでの警告みたいに、焦らせもしない。
ただ――「ここだ」とだけ、言っている。
遥は、画面を見つめたまま立ち止まった。
《固定発信》
《位置:ローカル座標 12-04》
《応答:なし》
「……ここ、って」
声に出した瞬間、喉が乾いた。
彼方が、遥の横に並ぶ。
いつもより足音が小さい。
「動いてない」
彼方は言った。
「だから、残ってる可能性が高い」
「可能性……」
「断言できない」
彼方は、視線を上げた。
「でも、こういう形で残るものは少ない」
古い高架の影が、二人の足元を長く引き伸ばしていた。
ケーブルはむき出しのまま、ところどころで火花みたいに光が散る。
遥は、ふと立ち止まった自分に気づく。
怖い。
けれど、もっと怖いのは――
このまま、何も知らないまま戻ることだった。
「……行く」
遥は言った。
「今度は、止まらない」
彼方は、ほんの少しだけうなずいた。
「じゃあ、ここからは“歩き方”を変える」
「歩き方?」
「監視されてる可能性がある」
彼方は、周囲の暗がりを見た。
「だから、ルートを表で繋がない。点で移動する」
遥は意味が分からず眉を寄せる。
「……どういう」
彼方は、短く指示した。
「端末、位置情報だけ開いて」
「通知は全部切って。音も」
遥は言われた通りに操作する。
画面が静かになると、逆に世界の音が浮き上がってきた。
遠くの換気音。
鉄が冷える音。
誰かの足音――いや、違う。水滴だ。
「次は、右」
彼方が言う。
遥が顔を上げると、そこは通路じゃなかった。
高架の支柱と支柱の間。
人が入ることを想定していない、狭い隙間。
「……ここ通るの?」
「通れる」
彼方は迷わず言った。
「“人間が通らない場所”のほうが、今は安全」
遥は一歩踏み出す。
埃が舞って、鼻の奥がつんとした。
足元のコンクリートには、靴跡がない。
でも、ケーブルだけは生きている。
――生きている。
その言葉が、頭の中で引っかかった。
「ねえ、彼方」
遥は小さく言った。
「なんで……切られてないの?」
彼方は少しだけ歩みを落とした。
「切られてない、じゃない」
彼方は言う。
「“切れなかった”か、“切らなかった”」
「どっち?」
「分からない」
でも彼方は、続けた。
「切れない経路には、理由がある。たとえば――」
彼方が言いかけて、止まる。
遥も止まった。
暗がりの奥。
小さなランプが、ひとつ。
点滅。
市場の色。
あの白い通路の、無機質な光に似ている。
遥は息を止めた。
「……また、見られてる?」
「見られてる、というより」
彼方は声を落とした。
「“照準を合わせられてる”」
遥の背中が、ぞくりと冷えた。
ランプは、ふっと消えた。
消えたのに、気配は残る。
まるで、目を閉じた誰かが、まだこちらを見ているみたいだった。
遥の端末が、もう一度震えた。
《位置:12-04》
《距離:38m》
《応答:なし》
「近い……」
遥が言うと、彼方は首を横に振った。
「近いのは“座標”だ」
「中身が近いとは限らない」
「でも、行くしかない」
遥は端末を胸に押し当てた。
そこに、すずの声が残っている気がした。
鈴の音みたいな、やさしいさえずり。
もう一度聞けるなら――
「……遥」
彼方が呼ぶ。
「ここから先は、選択が増える」
「一回進むと、戻りにくい」
「分かってる」
遥の声は震えていなかった。
震えているのは、足元のほうだった。
遥は、深く息を吸う。
「わたし、もう“分からないまま”が嫌なんだ」
彼方は黙った。
その沈黙が、肯定に思えた。
狭い隙間を抜けると、空気が変わった。
湿っていて、金属の匂いが濃い。
そして、目の前に。
扉。
古い。
でも、鍵だけが新しい。
誰かが最近、取り替えたみたいな、スマートロック。
遥は、立ち尽くした。
「……ここ?」
彼方は、扉の前で止まる。
「そう」
彼方は言った。
「固定発信の終点」
遥の指が、自然に伸びる。
触れる直前、端末が最後に震えた。
《応答:微弱》
《音声ログ:断片》
そして――
――ピィ……
ほんの一秒。
かすれて、欠けて、それでも。
遥の胸の奥が、きゅっと鳴った。
「……すず」
扉の向こうに、何があるのか分からない。
でも、今の音だけで、遥はもう引き返せなかった。
彼方が、扉を見たまま言う。
「入るよ」
遥はうなずいた。
境界は、越えるものじゃない。
気づいたときには、
もう――手をかけてしまっている。
彼方が、認証に指を置く。
《認証中》
画面が光った、その瞬間。
遥は思った。
ここにあるのは、
すずの記憶だけじゃない。
きっと――
自分の“失くしたくないもの”の形そのものだ。
座標の終点にあったのは、扉。
次話は中へ入った瞬間から、空気が一気に変わります。
すずの“断片”が、もう少しだけ具体的に近づいていく回になります。




