第11話 境界に残るもの
市場から離れたはずなのに、
視線は、まだ背中に残っている。
これは、
「追われる話」ではなく、
「気づかれてしまった話」。
静かなまま、
境界は、少しだけ狭くなっていく。
ランプの点滅は、
すぐに消えた。
でも、
消えたからこそ、
気配だけが残った。
「……さっきの」
遥が言いかけて、
言葉を止める。
振り返っても、
暗がりには何もない。
ケーブルの影。
古い支柱。
壊れかけた案内表示。
それだけだった。
「市場の監視じゃない」
彼方が言う。
「でも、
市場“だけ”とも限らない」
その言い方が、
嫌に引っかかる。
「どういうこと?」
彼方は、
一度だけ視線を落とした。
「記憶の経路には、
公式と非公式がある」
「非公式って……」
「管理されていない分、
誰のものでもない」
遥は、
端末を見下ろす。
さっきの音声ログは、
もう表示されていない。
けれど、
消えた感じがしなかった。
「……残ってる?」
彼方は、
小さくうなずく。
「残ってる。
ただし、
形を変えて」
歩き出すと、
地面の感触が変わった。
コンクリート。
その上に、
薄く積もった埃。
人が通らなくなった場所だ。
「ここ、
前に人が住んでた?」
「住んでた」
彼方は答える。
「でも、
接続効率が悪いって理由で
切られた」
切られた。
その言葉が、
胸に残る。
「……すずも、
そうだったのかな」
彼方は、
すぐには答えなかった。
代わりに、
天井のケーブルを指差す。
「完全に切るなら、
こんなふうには残さない」
「じゃあ……」
「意図的に、
“残した”」
遥は、
ハクの言葉を思い出す。
――記憶の行き先は、ひとつじゃない。
「……残すって、
優しさなのかな」
彼方は、
少し考えてから言った。
「優しさの形をした、
責任放棄かもしれない」
遥は、
それ以上聞かなかった。
聞いたら、
戻れなくなる気がしたから。
そのとき。
端末が、
小さく震えた。
今度は、
警告でも通知でもない。
ただの、
位置情報。
「……これ」
彼方が画面を覗く。
「固定発信だ」
「固定?」
「動いてない。
つまり――」
「そこに、ある?」
彼方は、
静かにうなずいた。
「すずの記憶に
一番近い“痕跡”だ」
遥は、
息を吸った。
怖さは、
確かにあった。
でも、
それ以上に。
「……行こう」
声は、
迷っていなかった。
「今度こそ、
ちゃんと向き合いたい」
彼方は、
何も言わずに歩き出す。
その背中を追いながら、
遥は思った。
境界は、
越えるものじゃない。
気づいたときには、
もう――
立ってしまっている場所なんだ。
ここまで読んでくださり、
ありがとうございます。
第11話では、
市場を「離れたあと」に残るもの、
そして、
切られなかった経路の意味を描きました。
追われているわけではない。
でも、
見られていないとも言えない。
そんな曖昧な位置に、
遥たちは立っています。
次話では、
“残された痕跡”が、
はっきりと形を持ち始めます。
また続きを、
読んでいただけたら嬉しいです。




