9 デリア帝国の第二皇子
ニックがスケジュール調整してくれたお陰で、すんなりと二日後にお茶会の日程が決まった。シャンテルは書類仕事を終わらせた後、約束の時間に庭園へ向かう。
普段は動きやすくて一人で着脱しやすいシンプルなドレスか、騎士服に身を包むことが多いシャンテル。だが、他国の皇子とお茶会ということで、今日は裾がふんわり広がったドレスを身に纏っていた。そして、首飾りやイヤリングといった装飾品も先日の夜会以来に身に付けている。
数日前にバーバラに付けられた頬の傷はまだ薄っすらと残っていたため、それは化粧で隠した。
シャンテルが用意されたお茶会スペースへ到着すると、そこには既にジョアンヌと黒髪の青年の姿がある。
あれが、デリア帝国のエドマンド第二皇子ね。
これでも国賓をお待たせしないように、シャンテルは約束の時間より少し早く向かった。だが、エドマンドはそれより早く到着していたようだ。
にこやかな微笑みを浮かべるジョアンヌとエドマンド。楽しげな雰囲気を邪魔するようで悪いが、これ以上待たせる訳にもいかない。
二人に近付くと、声をかけるより前にジョアンヌがシャンテルに気付いた。
ジョアンヌはシャンテルを目にするや否や途端に眉を歪める。そして、ビクッと大袈裟に肩を跳ねさせると、か細い声を出した。
「お姉様……」
その声でシャンテルの到着に気付いたエドマンドが振り向いた。アメジストのように美しい紫色の瞳が、シャンテルを視界に捉える。
「エドマンド皇子、お待たせしてしまい大変申し訳ございません。ルベリオ王国第一王女のシャンテルでございます」
シャンテルはドレスの裾を摘まむと、カーテシーで挨拶する。エドマンドも席から立ち上がって、丁寧な挨拶を返した。
「初めまして、シャンテル王女。デリア帝国第二皇子、エドマンドです」
彼はシャンテルの前で片膝を着くと、おもむろにその右手を掬った。
あら? 数日前にもアルツール王子に似たようなことをされたような……? と、シャンテルの記憶が甦るより先に彼の唇が手の甲に触れる。
「っ!? なっ、何をっ!?」
アルツールに同じことをされたことまで思い出したシャンテルは慌てた。それに従兄弟のアルツールとは違い、彼は全くの初対面だ。
驚いたシャンテルはサッと手を引っ込めた。顔を赤くするシャンテルを他所に、目の前のエドマンドがニコッと微笑みを作る。
「ほんのご挨拶ですよ。ですが、驚かせてしまったのなら申し訳ありません」
「っ!」
こちらを探るようなエドマンドの視線にシャンテルは息を飲む。
何? 一体、彼は何を探ろうとしているの?
「エドマンド皇子はとても紳士的なお方ですわね」
ジョアンヌが嬉々とした声を上げる。
「褒められると照れてしまいます」
そう言って、頭の後ろを掻くエドマンド。表情はにこやかだが、シャンテルは彼が照れているようには見えなかった。
「お姉様が失礼な態度を取ってしまいましたのに、エドマンド皇子はお優しいですわね。お姉様は王女でありながら剣を振ることに夢中で、こういった場に慣れていませんの。どうか、お許しください」
「そうでしたか。それはこちらも失礼を。ですが、シャンテル王女はとても可愛らしい姫君ですね」
「っ!? か、可愛らしい!?」
まさかの発言にシャンテルはボンッと顔が熱くなる。
いつも可愛いと声をかけられ、愛でられるのはジョアンヌばかりだった。だからこそ生まれてこの方、異性に“可愛い”と言われたことがないシャンテルは、目を泳がせた。
「今まで会ってきた姫君やご令嬢とは違った反応が新鮮だったもので」
エドマンドの指摘にシャンテルは「うっ」と、言葉を詰まらせた。反応が“初心だ”とからかっているのだろう。
でも仕方ないじゃない! そもそも“可愛い”なんて久しぶりに言われたんだもの!!
そうやってシャンテルが心の中で抗議していると、エドマンドが言葉を続ける。
「剣を振るわれるのでしたら、是非一度手合わせ願いたいものです」
じっと、エドマンドの視線がシャンテルに注がれた。その視線が真剣そのもので、シャンテルも徐々に冷静さを取り戻す。
お茶の席を設ける前は騎士団の訓練の見学を所望していた人物だ。今日の茶会はもしかすると、一度断ったそれの足掛かりを求めてのことかもしれない。
慎重に言葉を選んで発言しようとするシャンテル。だが、それよりも先にジョアンヌがエドマンドの提案をはね除けた。
「いけませんわ。お姉様は騎士の方々の見よう見まねで剣術をやっていますの。エドマンド皇子のご期待に応えられる訳がありませんわ」
そこまで言うとジョアンヌはハッ! と顔色を青く変える。
「ごめんなさい! わたくしったら、お姉様を悪く言ってしまいましたわ。だめな妹でごめんなさい!! どうか、今だけは御許しを!! 罰は後でいくらでもお受け致しますわ!」
目元に今にもこぼれ落ちそうな涙を溜めて訴えるジョアンヌ。その姿に“あぁ、やっぱりね”とシャンテルは思う。
“今だけは”なんて言われては、シャンテルがいつもそういった類いのことをして、苛めているように聞こえても仕方ない。
だけど、これは退席するチャンスだわ。と、シャンテルはポジティブに考えた。
「いいのよ。私の方こそ、楽しい雰囲気を壊してしまったみたいでごめんなさい。私がいてはエドマンド皇子に気を遣わせてしまうでしょう。せっかくですが、私はこれで失礼しますわ」
サッと一礼してシャンテルは踵を返す。
「待て」
そんな短い一言がして、シャンテルは「えっ?」と振り返る。
「俺は気にしていませんよ。ですからシャンテル王女もお気になさらず。さぁ、席へどうぞ」
エドマンドに呼び止められたあの一瞬、シャンテルは彼の雰囲気がそれまでとは変わったように思えた。だが目の前にいるのは、先ほどまでと同じ爽やかな笑顔を浮かべる皇子様だ。
シャンテルのために用意されていた椅子をエドマンド自らが引いて、シャンテルが腰を降ろすのを待っている。
「っ!?」
エドマンドのその行動にシャンテルは勿論、側で控えていた使用人たちがゾッと肝を冷やす。
デリア帝国の皇子である彼に、いつまでも使用人の真似をさせるわけにはいかない。
「エドマンド皇子、お茶の席に参加しますので、どうかそのような真似はおやめください」
慌てて告げたシャンテルに満足したエドマンドは笑みを深める。何か思惑があるようなその笑顔が、シャンテルは恐ろしかった。
「分かりました。シャンテル王女が参加してくださること、嬉しく思います」
こうして、シャンテルは三人だけのお茶の席に着いた。




