6 通りがかりのアルツールとお人好し王女
シャンテルが騎士に拘束されている姿を目にしたアルツールは、瞬時にある程度の状況を把握したらしい。途端にバーバラを睨み付けた。
「バーバラ妃殿下、これはどういう状況か説明して頂けるか」
「ギルシア王国の王太子殿下には関係ないことです」
ツンとした態度を見せるバーバラにアルツールは口の端を吊り上げた。
「ほう? では、シャンテルの従兄としてなら話して頂けるのか?」
尋ねながら、アルツールがシャンテルを拘束している騎士の腕を掴むと、睨みを利かせた。
「手を離せ」
低い声で短く命じると、騎士たちはおずおずとシャンテルから手を離して数歩離れた。
渦中のシャンテルもアルツールの気迫に呆気に取られた。そして、アルツールはシャンテルの頬に傷があるのを認めると、僅かに目を見開く。
「これはわたくしたちルベリオ王国の王家の問題です! 貴方は口を挟まないで頂戴!!」
「そういう訳にもいかない。何しろ大切な従妹殿が顔を傷付けられている」
言いながら、アルツールは傷を覗き込むようにシャンテルの頬に手を伸ばした。
「あ、あの、アルツール王太子殿下? これくらい、大したことありませんから……」
事を穏便に済まそうとシャンテルが声を振り絞る。すると、「何を言う!」と少し大きめの声がした。
「大切な王女の顔が傷つけられたんだぞ!?」
「っ!」
有無を言わさぬ視線がシャンテルに向けられた。アルツールはシャンテルを本気で心配しているらしい。
「もし、妃殿下が義娘に虐待を行っているのであれば、俺は父上やおばあ様に報告しなくてはいけない」
「なっ!? 何ですって!?」
ブルブルとバーバラの扇子を持つ手が小刻みに震える。ギルシアの国王の名前を出されては、バーバラも返す言葉がないらしい。
「妃殿下、これ以上言うことがないのであれば、今すぐこの場を去ってもらえるか。王女の手当ての邪魔だ」
シャンテルの頬から手を離したアルツールは、シャンテルをバーバラから隠すように前に出た。
負け惜しみのように「ふんっ」と鼻を鳴らしたバーバラは、青い顔で立ち尽くしていたジョアンヌの肩を抱き寄せる。そして、騎士を引き連れてその場を去ろうとした。
「待て。少し話があるので、そちらの騎士たちを少し借りたい」
アルツールが声をかけたのは、シャンテルを拘束していた三人の騎士だった。困惑を見せる彼らにバーバラは「付き合って差し上げなさい」と、一言告げて遠ざかっていく。
彼女たちの足音が聞こえなくなった頃、バーバラ付きの騎士たちがサッとシャンテルとアルツールに頭を下げて傅いた。
「シャンテル様! アルツール王太子殿下! 大変申し訳ございません!! どうかご無礼をお許しください!!」
「えっ!? そんな! 顔を上げて?」
慌てるシャンテルにアルツールは呆れ顔で口を開く。
「シャンテル、こいつらの今の行動は正しい。お前は傷付けれたんだぞ」
「分かっています」
「いいや。分かっていない」
「アルツール王太子殿下こそ、彼らがバーバラ妃殿下との板挟みにあることを分かっていません!」
「なんだと?」
アルツールとシャンテルの会話が平行線を辿りそうになった時、一人の騎士が「アルツール王太子殿下の仰る通りです」と声を上げた。
「第一王女であるシャンテル様の顔に傷を作っただけでなく、我々は貴女の御身を拘束しました。責められて当然です」
「だけど、貴方達は主人の命令に従っただけだわ」
あそこでバーバラの命令に逆らえば、後で彼女に怒られるのはこの騎士たちだ。彼らをこれ以上、板挟みにして悩ませたくないとシャンテルは考えていた。
「バーバラ妃殿下に代わり、お詫びいたします!」
「妃殿下は自分が悪いなんて微塵も思っていないわ。だから貴方達が謝る必要はないのよ」
それを聞いたアルツールが大きなため息をつく。
「シャンテル、お前はお人好しすぎる」
そんなアルツールの言葉を無視して「ほら、顔を上げて、立って?」とシャンテルは優しく騎士たちに声を掛けた。
何を言っても謝罪を受け入れないシャンテルに、騎士たちはゆっくり顔を上げて立ち上がる。
「せめて頬の手当を……」
心配する声にシャンテルは笑いかける。
「手当てはカールに頼むから問題ないわ。貴方たちは持ち場に戻って」
その言葉に三人の騎士たちは顔を見合わせた。そして、渋々といった様子で「分かりました」と頷く。
「お前たち、シャンテルに免じて今回は見逃してやる。だが、次似たようなことがあれば俺は許さない」
アルツールが声をかけると、騎士たちはゴクリと唾を飲み込んだ。
「騎士たちを脅すのはお止めください」
シャンテルはアルツールに抗議する。だが、彼は聞く気はないようで、そっぽを向いた。
その後、騎士たちはシャンテルとアルツールに敬意を払って「失礼致します」と挨拶して、バーバラたちが去って行った方へ歩き出す。
残されたシャンテルはアルツールに何と言うべきか迷った。だが、先に口を開いたのはカールだった。
「アルツール王太子殿下、シャンテル様を助けていただき、ありがとうございます」
カールがアルツールに深く一礼する。
「お前、シャンテルの護衛騎士ならあの女の腕を掴んででも止めろ」
仮にもギルシア王国の妃を“あの女”と呼ぶアルツールは、彼女を一国の妃とは認めていないようだ。それはそうと、騎士が自国の妃に楯突くのにも限度がある。その中でも、カールは良くやってくれている方だとシャンテルは思っていた。
「お止めください。カールは私を庇ってくれました」
「護衛騎士が護衛対象に怪我をさせては意味がない」
顔を上げたカールは指摘されて悔しそうに顔を歪める。確かにそうなのだが相手は妃だ。シャンテル専属の護衛騎士が容易く触れるわけにもいかない。
「それと、お前もあんな女に傷を付けさせるな」
そう言ってアルツールがそっとシャンテルの頬に触れて、顔を近付けてくる。
「!」
少し前にアルツールに同じことをされた時は、場を収めるために頭を使っていた。そのため気にならなかったが、今は気が紛れるものなどなく、至近距離にあるアルツールの顔にシャンテルは堪えきれなかった。パッとアルツールの胸を押して一歩下がる。
「助けていただきありがとうございました!」
早口にお礼を告げると、押し寄せてきた恥ずかしさを誤魔化すように顔を背けて、カールに話しかけた。
「カール、私たちも訓練に行きましょう!」
「その前に手当が先です!」
カールは怒ったように言うと、シャンテルの手を掴む。そして、「えっ?」と声をあげるシャンテルに構うことなく、カールはアルツールへ身体を向けた。
「それではアルツール王太子殿下、我々は失礼致します」
「……シャンテルを頼んだ」
「はい」
再び一礼したカールは、シャンテルの手を引いて医務室の方へ進んでいく。
「えっ? ちょっと! カール!?」
シャンテルはアルツールにろくな挨拶もしないまま、強引に離された。シャンテルが振り向いた頃にはアルツールも既に背を向けており、反対方向へ歩みを進めていた。
「カール、何を怒っているの?」
普段あまり見せないカールの態度にシャンテルは驚いていた。
「そりゃ怒りますよ! シャンテル様がご自分を傷付けられても平然としていらっしゃるからです!!」
ぎゅっと握られた手に力が込められる。
「アルツール王太子殿下が、たままた通りかかってくださったから良かったもののっ!」
カールの声には悔しさが滲んでいた。
「私はいつも申し上げていますよね! もっとご自分を大切にしてくださいと!!」
「カール……」
カールはシャンテルの護衛騎士として、いつも傍にいてくれている。だから余計に心配してくれているのだと、シャンテルは気付かされた。
「心配してくれて、ありがとう」
シャンテルはぎゅっと彼の手を握り返す。
「っ!? ま、全く! シャンテル様にはいつもハラハラさせられてばかりです! 貴女に、……シャンテル様の身に何かあったらと思うと、生きた心地がしません」
「……」
表情を歪めるカールが悲しそうに見えて、シャンテルは何も言い返せなかった。




