21 多忙な日々の始まり
夜会翌日。シャンテルは普段の倍に当たる書類仕事に追われていた。
デリア帝国、ギルシア王国、セオ国、そしてロマーフ公国の王族が昨夜のうちにルベリオ王国への滞在延長を申し出たからだ。お陰でシャンテルは関連書類の確認や王女としての承認作業に追われている。
夜会で気に入った相手がいれば、帰国後も手紙のやり取りなどで交流し、仲を深める流れになる。そのため、国外の王侯貴族たちは本来二週間ほどの滞在で帰国する予定だった。
まさか、皆さま滞在を延期されるなんて……。本当に私と仲を深めるつもりということ?
そう考えて、シャンテルは背筋をゾクッと震わせる。夜会が終われば、苦手な社交から少しは解放されると思っていたからだ。“仲を深める”ということは、つまりお茶をしながら談笑したりして彼らと同じ時を過ごすことになる。
ロマーフ公は予定通り帰国されるが、各国とのやり取りや彼らとの交流を含め、これから忙しくなる予感がシャンテルを襲う。
そしてもう一つ、シャンテルを忙しくさせているのは、国王が新しく王妃を迎えると発表したからだった。
昨夜は集まっていた貴族へ国王が婚約と婚姻を口頭報告したに過ぎない。王家として国内外の貴族や国民に対して、正式に国王がシャトーノス侯爵令嬢と婚約し、彼女が新たな王妃となることを発表しなければならない。
それから、婚姻に関することも早急に決める必要がある。ニックの話だと、アンジェラは貴族や国民に王妃として認めてもらうために、婚姻前の王妃教育に時間をかけたいと思っているという。だが、国王は婚姻を急いでいるらしい。
婚姻を決めた二人だが、その辺りの意見は食い違っているようだ。だが、国王が婚姻を急かしている以上、宮廷官僚やシャンテルは婚約式の準備すら終わっていない段階から、婚姻に関する段取りや書類作成を迫られていた。
シャンテルは書類に記された文字を目で追う。だが、集中しようとすると、頭に浮かぶのは昨日のレオとのやり取りだった。
国を見捨てるなんて、考えたこともなかったわ……
いつからか、シャンテルは今の生活が当たり前になっていた。“私がやらなきゃ、国が大変なことになる。国民が苦しむことになる。だから私が頑張らなくちゃいけない”と思っていた。
国王の決裁を求める書類も、国費や国防、政治に関することも、主体となって向き合うのは本来国王の仕事だ。
国王を支える立場のバーバラも、ルベリオ王国唯一の妃であるのをいいことに、高級なドレスや酒に甘いお菓子、それから大粒の宝石が付いた宝飾品を買い込み、散財に明け暮れていた。
レオはそんな二人の尻拭いをしてまでシャンテルが国を背負う必要はない、と言ってくれたのだ。
だが、王族として生まれたからには国民を守り、導く義務がある。碌でもない国王でも実父であり、シャンテルに手を上げる妃でも継母だ。そして、シャンテルの悪い噂を流すジョアンヌも、たった一人の妹だ。勿論、離れて暮らすレオも大切な弟だ。
それに、シャンテルが国を見捨てれば、ルベリオ王国に政治的空白を作成し、経済を立ち行かなくする可能性があった。何より、ギルシア王国が攻め込めば国民の命を脅かすことになるだろう。
どれだけ“ギルシアの血を引く王女”と蔑まれても、ルベリオ王国はシャンテルにとって、たった一つの祖国なのだ。
私は祖国を見捨てることは出来ない。そんな決断、私には無理よ。
そこまで考えた時、執務室にノックの音が響いた。入室を許可すると、ニックが部下を連れて書類や本、それから丸められた紙の束を抱えて入って来る。
「……それは?」
新しい仕事の予感にシャンテルは顔を引き攣らせる。ニックは執務机にそれらを積みながら質問に答えた。
「いつも通り、追加の書類をお持ちしました。それから、国王陛下の婚儀に関して、シャンテル様に招待する貴族や国賓をリストアップするように、と国王陛下から伝言をお預かりしています」
式の招待客のリストアップを任されたということは、参加者の国や家の関係性を考慮して、問題が起こらないように席まで決めろ、ということだろう。
「また婚儀当日の警備は、第二騎士団と第三騎士団に一任するとのことです。これは式場候補の教会の見取り図と、教会からの帰り道で行うパレードの暫定通過予定地区の地図です」
そう言って、今度は丸められた紙の束を置くと、そのうちの数枚を広げた。
王家の婚儀は城から近い二ヶ所の教会のどちらかで行われる。どの教会で式を行うかでパレードのルートも変わる。当日の警備を第二騎士団と第三騎士団が行うということは、ジョアンヌと連携しなくてはならない。
シャンテルはため息が出そうになるのを堪える。よく見るとニックも彼の部下たちも顔色が優れない。それもその筈で、今渡された大量の書類は彼らが昨日徹夜して用意したものだからだ。
私が弱音を上げては駄目ね。とシャンテルは気を取り直す。
「今のところ婚儀に関する件はそれだけかしら?」
「はい。教会はお二人で相談されるそうで、決まり次第お知らせします」
「そう」
「それから、こちらアルツール王太子殿下からお手紙です」
「手紙?」
「はい。何でも直ぐ返事が欲しいそうです」
手紙を受け取ったシャンテルは中を確認する。
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昨夜伝えた通り話がある。
お前の都合に合わせてやるから、日程を調整しろ。
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端的に伝えたいことと、差出人が書かれていた。
今日はこのあと、騎士団の訓練が午前中一杯まである。そして午後は国王と家臣たちを交えて、進行中の政策に関する会議を控えていた。
合わせて、この書類の山と婚約や婚姻関係の書類を片付けるとなると、明日……いいえ、明後日は国王騎士団の入団試験を控えているから、明日はその準備があったわね。
それに、通常の公務もある。目の前の書類を一日で片付けるのは不可能だ。いつ予定を開けられるか、今は確かなことが言えなかった。
ひとまず、様子を見て近日中にこちらから声を掛ける方が良さそうね。
「ニック、返事を書くから、アルツール王太子殿下に届けてもらえる?」
「はい。構いません」
その返事を聞いて、シャンテルは引き出しに常備している紙と封筒を取り出すと、ペンを走らせる。
アルツールは端的な内容を送ってきた。こちらも端的な内容で問題ないだろうと考えて、サッと書き終えた。あとは手紙のインクが乾くのを待つだけだ。
「シャンテル様、こちらは公務とは関係ありませんが、宜しければ参考にして下さい」
そう言ってニックが執務机の手前にあるローテーブルに、いつの間にか置かれていた数冊の本を指し示した。
「これは?」
呟きながら、シャンテルは表紙を確認する。それはデリア帝国とセオ国に関する歴史書のようだった。その他にもファンタジーの物語本が数冊ある。
「皇子や王子様方と交流の場を設けることになったとお聞きしましたので、我が国と交流が少ないデリア帝国とセオ国の書物を集めさせました。それから物語本の方は、その国で流行っている本だそうです」
それを聞いてシャンテルはニックとその後ろに控えている彼の部下たちを見る。
「ありがとう。助かるわ」
お礼を伝えるとニックは勿論、彼の部下たちも顔を綻ばせた。これがあれば、少しはその国の話題で会話を成立させられそうだわ。と考えたシャンテルは早速今晩から眠る前に読もうと決めた。
その時、再びノックの音が室内に響いた。
「シャンテル様、もうすぐ訓練の時間です」
執務室の前で護衛しているカールが扉越しに知らせた。シャンテルは「すぐ行くわ」と返事して、手紙のインクが乾いたのを確認すると、封筒に入れてニックに託す。
「アルツール王子によろしくね」
「はい。では、私たちは失礼します」
ニックたちが部屋を出ると、シャンテルは執務机の上を少し整理する。そして彼女自身も部屋を出ると執務室の扉を施錠した。




