13 察しが良い皇子
夜会が開かれる王宮のホールは大勢の人で溢れていた。そんな中、シャンテルはカールにエスコートされて会場入りする。
「見て、シャンテル王女よ」
「先日、ジョアンヌ王女がデリア帝国の皇子の前で惨めな思いをさせられたそうですわ」
「ジョアンヌ様が可哀想」
「妹君を虐めて、王族として恥ずかしくないのかしら?」
ひそひそとそんな声が聞こえてくる。
ジョアンヌがエドマンドの前で惨めな思いをしたとしたら、自分で惨めな設定を口にしたのだから自業自得だ。
だが、それを知らない人々は先に会場入りしていたジョアンヌを味方するように彼女に寄り添っていた。そこにはハムデアミ公爵令息のマーティンの姿もある。マーティンはシャンテルを睨み付けながら、ジョアンヌの肩を引き寄せた。
「ジョアンヌ様、心配いりませんよ。貴女のことは私が必ずお守りします」
「マーティン様、ありがとうございます」
ルベリオ王国の貴族で言えば、マーティンも王女の婚約者候補の一人に入るだろう。とは言え、彼はシャンテルを軽蔑しているので、ジョアンヌ狙いだろう。それにシャンテルとしても、一方的に軽蔑し睨み付けてくる男は願い下げである。
シャンテルは向けられる軽蔑の視線や陰口を気にしないようにしていた。だが、先ほどからカールの手に力が籠っていくのを感じる。
仕えている主人を悪女扱いされているのだから無理もない。
本当のシャンテルは、噂のような人柄の人物ではない。誰よりもルベリオ王国を大切に思い、第二騎士団の団長を務め、この国の大半の公務を担っている。
何故、頑張っているシャンテル様が悪く言われなければいけないのか。
その思いが、カールの眉間にシワを作らせていた。
だが、夜会の場でその顔はあまり良くない。
シャンテルはカールの手をキュッと握る。それに気付いたカールがシャンテルへ視線だけを向けた。
「笑顔よ」
短く注意すると、カールがシュンと肩を落とす。
「……申し訳ありません」
彼が犬なら、今間違いなく耳と尻尾が下がっていたことだろう。カールの可愛らしい一面をみた気がして、シャンテルは気持ちが和らいだ。
「シャンテル王女」
後ろから名前を呼ばれて、シャンテルが振り向く。そこに、ロマーフ公とジョセフの姿があった。
「ロマーフ公、ご機嫌よう」
サッとカーテシーを披露するシャンテルに公爵とジョセフも恭しく一礼する。それをきっかけにカールは城の警護に着くため、シャンテルたちに一礼すると持ち場へ向かっていった。
「今日のシャンテル王女は一段とお美しいですな」
「ありがとうございます」
「シャンテル王女を前にジョセフは声も出ないようだ」
はははっと、楽しそうに笑う公爵にそんな大袈裟なと、シャンテルは思った。だが、ジョセフは顔を赤くしてシャンテルを見つめている。
「ジョセフ様?」
シャンテルが声をかけるとジョセフがハッとした。
「申し訳ありません。その、……先日お会いした時よりも美しいお姿に、見惚れてしまいました」
「っ!?」
公爵から言われた“美しい”という言葉は社交辞令として受け流したシャンテル。だが、ジョセフの顔の赤さを目の当たりにして、本心であることを確信した。流石にシャンテルも意識してしまう。
「私は向こうでルベリオ王国の貴族たちと話してくるよ。シャンテル王女、また後ほど」
「え、えぇ」
シャンテルとジョセフに気を利かせて、公爵が離れていく。だがこんな時、シャンテルはどうすればよいのか知らない。戸惑いを隠すようにキュッと指先を握り込む。
「……シャンテル王女、何か飲み物はいかがですか?」
「えぇ。頂くわ」
返事を聞いたジョセフは近くの給仕を捕まえると、二人分のワインを受け取って、一つをシャンテルに差し出した。
シャンテルはお礼を言って受け取ると、まずワインの香りを楽しみ、それから一口飲み込む。
鼻から抜ける香り高い味わいのお陰で、少し気持ちが落ち着いた。そこへジョセフとは違う声が「シャンテル王女」と彼女を呼ぶ。
振り向くと、今度はエドマンドが爽やかな笑みを浮かべて歩いてきていた。
大国として恐れられているデリア帝国の第二皇子。だが、整った顔立ちをしているエドマンドは、多くの令嬢の視線を攫っていた。
「エドマンド皇子、ご機嫌よう」
シャンテルはグラス片手に、空いている手でドレスの裾をつまむ。
「先日は無理を言ってお茶の席を設けて頂き、ありがとうございました」
「いえ、こちらこそありがとうございました。せっかくの席でしたのに、途中で抜けることになってしまい、申し訳ありません」
謝罪の言葉を口にするシャンテルに「構いません」と笑みを見せるエドマンド。そして、慣れた手付きでシャンテルの空いた手を掬うと、手の甲に唇を寄せた。
反射的に手を引っ込めたくなるのをシャンテルは我慢する。
「本日は受け入れてくださるのですね」
唇を離したエドマンドが反応を窺うように覗き込んでくる。その視線がどこか色香を含んでいて、シャンテルは内心ドキッとした。だが平然を装って言葉を紡ぐ。
「先日は驚いてしまっただけですから。妹が言っていたように、私は社交の場が得意ではありませんので、こういったご挨拶には慣れていません」
エドマンドは「なるほど」と呟くと、掬ったままだったシャンテルの手を両手で包むと彼女の視線の高さまで持ち上げる。
「シャンテル王女とはぜひ剣術で手合わせしてみたいです。そちらの方が得意だとお見受けしました」
エドマンドの指先がシャンテルの掌や指先の感触を確かめるように滑る。
「!」
剣を握っているシャンテルの手はそうでない令嬢に比べると少し硬めだ。おまけに豆も出来ている。エドマンドがシャンテルの手の豆を見逃すはずもなく、先程からそこを指の腹で撫でている。
「っ……!」
彼はシャンテルの手の感触を確かめる前から、それが分かっていたような口ぶりだった。
もしかして、お茶会の時に?
あの時もエドマンドはシャンテルの手に触れている。ヒヤリとしたものがシャンテルの背筋を這う。
エドマンドは少しの情報から物事を理解するのが得意なのかもしれない。
こんなことなら、手袋をしてくるべきだったわ。油断も隙もない皇子様ね。
警戒するシャンテルをよそに、ようやくエドマンドがジョセフの存在に気が付く。
「失礼、そちらは?」
エドマンドの声にジョセフが一礼する。
「お初にお目にかかります。ロマーフ公国から参りました。ジョセフと申します。貴殿はデリア帝国のエドマンド第二皇子とお見受けしました。どうぞ、お見知りおきを」
丁寧なジョセフの挨拶。だが、エドマンドは「そうですか、ルベリオの……」と呟くと、「よろしくお願いします」と短く返した。
ロマーフ公国はルベリオ王国から独立した国だ。口ぶりからして、エドマンドには“ルベリオ王国の傘下にある国”といった程度に認識されているのだろう。どちらにせよ、デリア帝国が公国をルベリオ王国よりも格下に見ているのは明らかだ。
ぎゅっとジョセフが拳を強く握る姿をシャンテルは見た。
なんだかあまり良くない雰囲気だわ。早めに離れたいわね。
シャンテルがそんな風に考えていると、少し遠くから「どけっ、道を開けろ」と、何やら不穏な声が聞こえてくる。




