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第9節 『その賢さは時に』

 



「ノイラのやつ遅いな。もしかしてライアンに何かあったのか?」


 ゼイルは御者台に座って二人の帰りを待っていたが、数分経過しても全く音沙汰がなかった。

 もしかすると運悪く落雷に当たってしまったのかもしれない。こんな雨の中、喫煙欲に負けて木陰に行くからだ。木は良い雨除けになるが落雷の危険性も同時に存在する。

 ただの小雨や雨ならまだしもこんな豪雨。落雷も起きるに決まっている。そんなことも分からないようなオツムの悪い奴は死んで当然だ。


「まあ、んなわけないか。本当に死んでたらノイラがすぐに戻ってきてるはずだしな」


 しかしゼイルは脳裏に過った最悪の事案を破棄する。

 ノイラが戻って来ないところを考えるに、ライアンは無事だったのだろう。


「全然戻って来ないってことは──」


 では何故彼らは戻って来ないのか。

 ライアンは一服に行った。溜まったストレスを解消しに。

 対してノイラはライアンの安否を確認しに行った。

 大人の男女が白昼堂々、大雨と濃霧の中へ消えていったのだ。何も起こらないはずがない。


「──きっと長旅で溜まった欲求でも解消してんだろうなぁ」


 ゼイルの脳裏に浮かんだ結論はそれだった。

 彼もまた長旅によるストレスで正常な判断が出来ていなかった。だから気が付かない。


「全く、美男美女はヤることヤれていいねぇ……」


 背後に佇む男の存在に。

 馬車の屋根の上に静かに降り立った死神に。


「まあいいさ。この仕事が終われば俺も大金持ちになれるしな。子爵家の三男だった俺が、実家よりも裕福になれる! 兄さんよりも金持ちになれるんだ!」


 マックカートン家の三男として生まれた彼に家を継ぐ権利はなかった。

 いつも長兄の顔を立てて生きてきた。両親からそう命じられて育ったからだ。

 次兄も姉も妹も、誰もが家の方針に大人しく従っていた。

 誰も逆らえなかった。当主である父に、最愛の母に。

 でも、ゼイルだけは違った。ゼイルだけは長兄の補佐をすることを断り、無断で王国正規軍に志願し入隊した。

 それから十五年、ようやくチャンスが訪れた。人生一発逆転の大チャンスが。

 結果として祖国を裏切る形になってしまうが、彼の中では祖国に対する『忠誠心』よりも子爵家、いや、長兄に勝る『財力』を持つことの方が大事だった。

 国よりも金だった。


「──金がそんなに大事か?」


 不意に掛けられた声に目を丸くする。

 数舜遅れてゼイルは肩越しに振り返り、馬車の上に佇む男を視認した。

 

「お前は、あの時の……」


 一週間ほど前に宿屋で会った金融商の男だった。

 確か名前はアダム。遊戯都市国家ラノベガスで小さな金融を営んでいるという金貸しだ。

 そんな男が何故こんなところにいるのか。考えるまでもない。シャルロットだ。彼女の身柄を奪いに来たのだ。わざわざ越境してまで追ってきたのだ。この男は。


「なるほど。そういうことかよ」


 ゼイルは全てを悟る。

 何の前触れもなく訪れた悪天候、いつまで経っても帰ってこない仲間たち、索敵スキルを最大限に使用しているのに生物の反応すら感じられない不自然さ。

 その全てがこの男の仕業だったとすれば、今までの疑問が全て解消される。


「他の奴らはどうした? 殺ったのか?」


 この男は馬車まで辿り着いた。誰の索敵にも探知されずに。無傷の状態で。

 ライアンとノイラが帰ってこないのも、恐らくは彼の術中に嵌められた可能性が高い。生きている可能性はほぼゼロだ。この悪天候を利用して暗殺したと考えるのが妥当だろう。

 その二人だけでなく他の騎士たちも同様に。


「さあ、どうだろうな。君もあっちに行ってみれば分かるんじゃないか?」


「くはは、バカ言え。俺はまだ死ぬわけにはいかねぇんだよ。あの世であいつらと会うにはまだこの世でやり残した事が多すぎる」


 ゼイルの態度はとても不思議だった。

 すぐそばに敵がいるにもかかわらず、彼は未だに殺意どころか戦意すらも抱いていない。

 世間話が好きな隣人のように対話の姿勢を貫いている。


「だったらどうする? 俺は君らに報いを与えに来た。残すは君と騎士団長のみだが、抵抗しないのか?」


「知ってて言ってんじゃねぇよ。ここで俺が御者をやってるのは、この中で一番弱いからなんだよ! あの四人を殺したってんなら、俺に勝ち目はねぇさ」


 自分の事は自分が一番よく分かっていた。

 戦闘能力は一般騎士よりも少し上、偵察能力は王国トップクラス、魔力総量は宮廷魔導師よりも少し低い。近衛騎士団はその三点を総合的評価で序列が決まる。

 ゼイルは序列第七位だった。

 ただし戦闘能力だけを見れば、近衛騎士団の中でも下から数えた方が早い。

 その程度だ。


「だから俺はあんたと取引がしたい」


 しかし、それを補って余りあるほど彼の生存能力は高かった。

 斥候時代に培った状況判断能力、危機管理能力、環境適応能力、それらを駆使して導き出す自分にとっての最善策──画期的かつ合理的な判断。


「取引か。一体どのような?」


 アダムが商人だという事を利用し、『取引』という言葉で彼の関心を引き出す手腕。

 全く以って見事と言うほかない。


「あんたが欲しいのは王女だろ? 王女はあんたにやる。その代わり俺が手に入れるはずだった依頼料の倍の金額を払ってほしい」


 このまま計画通りに事を進めれば、取引に応じるまでもなく王女の身柄は手に入る。

 だが、こちら側が一方的過ぎるというのも少々面白みに欠ける。時には相手の土俵に上がってやるのも良いスパイスになるはずだ。


「君の提案に乗ろう。金額を言ってくれ」


 アダムは金額を問う。


「金貨800枚。金貨3000枚も融資したあんたなら、それくらい持ってるはずだ」


 融資の話は一部の人間にしか知らないはずだが、どうやら近衛騎士たちはその一部に含まれていたようだ。


「ほら、受け取れ」


 アダムは懐から金貨が入った布袋を取り出し、彼へ抛った。


「へへっ!」


 ずっしりとした重さにゼイルの頬が緩む。

 外側から触っただけでも分かる。円形の平たい金属、間違いなく硬貨だ。

 しかし中を見るまでは分からない。もしかしたら金貨じゃないかもしれない。金メッキを塗っただけの偽物かもしれない。

 油断は禁物。最後まできちんと確認すべきだ。


「金貨1000枚入ってる。200枚は手土産(サービス)だ」


「まじかよ! いいのか? 言い値の2.5倍だぜ?」


「構わない。お互い金貨の枚数を数えるのも面倒だろう? だったら少し多めに渡しておいた方が間違いは起こらないからな」


 いくら何でも太っ腹過ぎるだろう。

 金貨800枚でも一生遊んで暮らせるレベルなのに、更に200枚上乗せするなんて常軌を逸している。これが遊戯都市国家の商人なのか。住む世界が違い過ぎる。

 残りの余生は遊戯都市国家で過ごすのも悪くない。いや、そうしよう。

 と、ゼイルは決意を固めた。


「契約成立だ。これで王女は晴れてあんたのものだ」


 まるでシャルロットの所有権を持っていたかのような口振りで語る男に、アダムは内心で不快感を感じるが契約は既に成立した。

 金輪際、この男と関わることはない。

 だからこの程度の事で態々目くじらを立てることもないだろう。


「だったらもう行け。戦闘に巻き込まれたくないならな」


「あ、ああ、恩に切るぜ」


 ゼイルは金貨袋を腰のポーチに仕舞うと、足早にこの場を離れる。

 生き残った。あの状況から生き残れた。一縷の望みを賭けた一世一代の大勝負に勝ったのだ。


「くっ、ははっ!」


 ゼイルは歯茎を大きく見せて笑う。

 自然と喉の奥からコロコロと嬉しさの隠しきれない声が溢れる。

 死んでいった仲間たちや騎士団長には悪いが、世界で最も重要なのは自分自身。他がどうなろうと知ったことではない。


(世の中、賢い奴だけが最後まで生き残るんだよ! 残念だったな、お前ら!)


 極論、最後に笑うのは自分だけでいいのだ。

 仲間なんて利害が一致したから行動を共にしているだけの道具に過ぎないのだから。


「君は実に賢い男だよ、ゼイル・マックカートン」


 雨と霧の中に消えて行く男の背中を見つめながら、アダムは彼に届かない大きさの声で餞別の言葉を言い渡す。


「だが、その賢さは時に自分自身を盲目にする。目先のことだけよりも、もっと足元を見るべきだったな」


 彼は見落としていた。

 金を貰い、富豪になる事だけを考えていた彼は、最も重要な事を言い忘れていたのだ。


『── 王女はあんたにやる。その代わり俺が手に入れるはずだった依頼料の倍の金額を払ってほしい』


 そこに自分の命の保障が入っていなかった事を。


「それに金はちゃんと数えた方がいいぞ。中身が全て金貨だとは限らないからな」


 アダムが言い終えた瞬間、示し合わせたように紅蓮の爆炎が遠くで爆ぜた。

 爆風と共に弾丸のように飛んできた金貨が、馬車の外壁に火花を散らして衝突する。

 しかし上級防御魔法の付与された王室専用馬車の装甲を、ただの金貨が貫通する事はなかった。

 それでも多少の傷はつく。

 壁面が大きく凹み、強化窓ガラスは蜘蛛の巣状のヒビを幾つも生じさせた。


「──何だッ!! 何が起きたッ!?」


 近衛騎士団長、カシム・ハルゼン・ポルポンドは突然の事に驚きを露わにする。

 王室専用馬車に備わっていた防音、耐震、防風仕様のせいで、今の今まで外の状況を全く分かっていなかったためだ。

 慌てて外の様子を窓から確認しようと、少しだけ顔を覗かせた。

 瞬間──、



「──ぐほぉあッ!?」


 眼前に突如現れた両足によって、窓ガラスごと顔面を強打。

 そしてそのままの勢いで反対側にある扉ごと外に吹っ飛んで行った。


「……っ!!」


 シャルロットは目の前で起きた光景に目を丸くする。

 しかしそれも束の間、窓を突き破って馬車に突入してきた男の姿を見て、綺麗な翡翠の双眸を大粒の涙で潤ませた。


「待たせたな。怖い思いをさせてすまなかった」


 アダムは枷を外しながら謝罪する。

 けれどシャルロットはブンブンと大きく頭を振って、それを否定した。

 待っていた。待っていたんだ。この時を。ずっと。ずぅーっと。


「ううん、そんな事ないよ。私、信じてた。おにいさんなら必ず来てくれるって」


 出逢ってまだ一週間程度の相手を、信じるなんて普段ならしない。

 けれど彼は初日にたくさんの事をやってくれた。

 明らかに大赤字確定の融資を引き受けてくれたし、教国が秘匿し続けてきた禁忌の技術を教えてくれた。

 無理を言って城下に連れ出してくれたし、露天で指輪も買ってくれた。

 美味しいご飯を一緒に食べてくれたし、一緒の部屋に泊まってもいいと言ってくれた。

 私のワガママを全て聞いてくれた。

 一方的な愛をぶつけていただけなのに。

 彼は一度も拒絶をしなかった。全て受け入れてくれた。

 好きな人に、愛してる人に、そこまでされて信じない女はいない。

 だから──、



「──助けに来てくれてありがとう! おにいさんっ!」


 今だけは、今だけでいいから、目一杯に抱きしめてほしい。

 まだ近衛騎士団長が残っているにもかかわらず、シャルロットは強い想いに引き寄せられるように、アダムの逞しい胸の中へと飛び込んだ。


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