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第5節 『久々のお忍び』




 夕食時にシャルロットが遅れるのは日常茶飯事だった。

 研究のアイディアが急に浮かんだとかで、忘れる前にメモを書き残したりしていたゆえの遅刻だ。

 普段ならば遅れたとしても精々10分~15分程度。

 今日みたいに一時間経過しても晩餐室に現れないなんて事はなかった。

 ゆえにメルクリア国王、ミハイル・アイネ・メルクリアはメイドに頼んでシャルロットを呼びに行ってもらうことにした。

 そう時間はかからずにメイドが戻ってくる。が、そこに愛する娘の姿はない。

 顔面蒼白、焦り切ったメイドの姿に嫌な予感が胸を過る。


「た、大変です! お嬢様がいなくなりました!」


「シャロンがいないだと……?」


 卒倒しそうだった。

 まさかとは思ったが、本当に無断でどこかへ行くなんて……。

 いや、行き先も同行者も解っている。あの男だ。

 ミハイルは斜め右の席に座る王妃に視線を送ると、それに気づいた王妃がにこやかに笑って、ミハイルを見つめ返す。

 無言の圧。早く連れ戻せ、という威圧だ。


「カシムよ、騎士団に命じて捜索隊を出してくれ。一刻も早くシャロンを保護するんだ」


「はっ! 直ちに!」


 あの男が誘拐したという線はないだろう。

 確かに彼はシャルロットを担保にすることを要求してきたが、対価として金貨三千枚という異常ともいえる資金を出費している。

 そんな状態で誘拐などという犯罪行為に及んで、全てを失うような真似はしないはずだ。

 だが──、



「──もし誰かと一緒にいた場合、まずは対話することを心掛けるように」


 可能な限り対話で穏便に済ませたかった。 

 無実の男を殺めてしまう可能性もあるし、騒ぎが原因で無関係の人々に危害が加わる可能性もある。多方面での影響を考えると手荒な真似だけは極力避けるべきだ。

 と、ミハイルは感じていた。




     ◆ ◆ ◆ ◆ ◆




 宿屋に到着したアダムはシャルロットを連れて、受付カウンターに向かう。

 来客を知らせる入店のベルが鳴ったことで、店の奥から小太りの男性が姿を現した。店主は二人を見るや否や少し驚いた様子でアダムに詰め寄る。


「おいおい、流石にこれは洒落になんねーぞ、兄ちゃん」


 野太い声で言うものだから普通の人は怖い思いをするのかもしれない。が、これは怒っているというよりも心配しているという感じだ。


「何の話だ」


「いや、何の話も何も嬢ちゃんの事だよ。どっからどう見ても未成年じゃねーか」


 店主の方も騒ぎにはしたくないのか、周囲に配慮した声量で会話をしてくれていた。

 とはいえ、すぐ隣にいるシャルロットには丸聞こえなのだが。


「逆に聞きたいんだが、未成年を連れていたとして何が問題あるんだ? 誘拐したわけでもなければ、ただ連れているだけだぞ? それに娘や妹という可能性もあるだろう」


「いや、それはそうなんだがよ……。兄ちゃん来た時、一人だったじゃねーか。家族がいるならわざわざ宿なんて取らねーだろ?」


 店主の言い分は至極当然のものだった。

 本来ならばぐうの音も出ないところなのだが──、



「──私が頼んだの。おにいさんと一緒にいたいって」


 シャルロットの援護射撃が入った。


「だから、ね? 分かるでしょ?」


 それによって店主の男は何も言えなくなってしまった。


「ま、まあ、あれだ……。嬢ちゃんが嫌がってないようだから通報はしないが、あまり問題になるような事だけは避けてくれよ? 道連れだけはごめんだからな」


「ああ、配慮する」


 未成年に情欲が湧くような趣味はない。

 しかし今回の場合は連れ出している相手が相手だ。

 一国の姫君を無断で城から連れ出し、自分の泊る宿まで連れて来たという事実がある。

 国王としても事態を公にしたくないだろうから、なるべく穏便に済ませるために少数精鋭で送り込んでくるはずだ。

 となると、少なくとも宿屋に多少の迷惑が掛かることは明白だった。


「念のため、先に渡しておくよ」


 だからアダムは先に迷惑料を支払っておく。


「い、いやいやいや! こんなには貰えねーって!」


 受付の上に置いた金額は、金貨三枚。

 渡した金額の基準は特にない。単純にこの宿屋の従業員数──店主、女将、宿屋の娘──分の金貨を差し出しただけである。


「いいから受け取っておいてくれ。仮に何も起こらなかったとしても返さなくていいから」


「兄ちゃんが、そう言うならお言葉に甘えて……。ありがたく頂戴するぜ」


「もし何かあったら遠慮なくすぐに言ってくれ」


「あ、ああ、分かった」


 話にひと段落着いたところで、二人は宿屋に併設されている酒場に向かう。

 夕食時を少し過ぎていたこともあって、部屋に戻る前に食事を済ませておこうと考えたからだ。

 受付でのひと悶着を見ていたのか、少し戸惑った様子を見せる少女に案内されつつ、酒場の中を移動する。

 他の客たちの視線が一気に集まる。

 彼らも彼らで先ほどのひと悶着が気になっていたのだろう。

 話の内容は聞こえていなくても、何となく察しが付いているのかもしれない。


「こちらにお座りください」


 案内された先は酒場の隅にある席だった。

 照明が遠いせいで少し薄暗いが、店内の混雑具合を見れば致し方がないだろう。

 これに関しては遅めに来店したアダムたちに非がある。

 だからアダムは「ありがとう」と感謝を伝え、シャルロットが座りやすいように椅子を引く。それからシャルロットが席に着いたのを確認してから、アダムも対面の席に着いた。


「では、改めまして本日はご来店ありがとうございます! 本日のメニューは破砕大猪(グランドボア)の頬肉シチューと春野菜のスパイシーサラダになります! お好みでパンか麦米を選べますが、いかがされますか?」


 少女の問いかけに対し、アダムは『麦米』を選び、シャルロットは『パン』を選んだ。


「それではごゆっくりどうぞ~!」


 食事を運び終えた少女が離れていくのを確認してから、二人は木製のスプーンに手を伸ばし、ホカホカの温かい頬肉シチューを一口掬う。

 そしてそれを軽く口元で冷ましつつ、ゆっくりと口の中へと運び込んだ。


「ん~~~~! おいひぃ」


「これは……美味いな」


 良く煮込んだ頬肉は口の中に入れた途端にほろりと溶けるように崩れ、中から凝縮された肉汁の旨味成分が弾ける。

 香辛料の利いたシチューが油っぽさをサッパリと掻き消し、まろやかさに更に磨きがかかる。

 気付けばもう一口、もう一口と、シチューを口の中に運び込んでいた。

 とてもクセになる味だった。


「この春野菜のサラダも美味しいね。とても新鮮で、いい香り」


 これ以上に高級な料理を毎日食べているだろうに、シャルロットはとても美味しそうに舌鼓を打っていた。


(あれは……)


 そんな中、宿屋の受付にある集団がやって来た。

 白鳩と薔薇の紋章が刻まれた白銀の金属鎧を身に纏う一団、メルクリア王国が誇る最高戦力──近衛騎士団の面々だ。

 彼らは店主に何かを尋ねているようだった。

 何を言っているのかなんて聞かずとも分かっていたが、店主が恐る恐るこちらに視線を送って来た事で、それが確信に変わる。

 そして、騎士たちの視線が一気にアダムに集まった。


「どうしたの? 食べないの?」


「出来ることなら、そうしたいところなんだがな……」


 食べることに夢中で気付いていないシャルロットに、アダムは顎で受付の方を見るようにと伝えた。


「はぁ~~~~~」


 大きな溜め息が溢れる。

 落胆に満ちた残念そうな声が、対面から聞こえて来た。

 気持ちはとても良く分かる。楽しい食事のひと時に水を差されて腹が立つのも理解できる。けれどこればかりは致し方がない。

 彼ら騎士たちに全く非はないのだから。


「貴殿がアダムだな」


「ええ、そうですが……」


 近衛騎士たちは皆、貴族階級の人間たちだ。平民とはわけが違う。

 そんな彼らに馴れ馴れしい態度は取れないし、不遜な言葉遣いをしようものなら首が飛ぶ。

 言葉選びは非常に重要だ。


「貴殿には誘拐の疑いが掛けられている。何か身に覚えはあるか?」


 代表者らしき男が全員に聞こえるような声で言った。

 これはワザとだ。人前で恥をかかせ、感情を煽り、こちらの出方を窺う。挑発に乗って激情しようものなら、公務執行妨害もしくは暴行罪などで拘束する腹積もりなのだろう。


「ないですね」


 だが、そんな見え透いた挑発にアダムが乗るわけがない。


「我々に対して虚偽の発言をした場合、死罪に問われる可能性もあるが、それでもないと断言できるか?」


 男は『死』をチラつかせる。

 それでこちらが動揺するかどうかを見定めているのだろう。が、アダムにとって『死』という概念はこの世のどこよりも遠い存在だ。心が揺れ動くことはない。


「ええ、嘘は吐いてませんから」


 アダムは一切嘘を言っていない。

 王女が自分の意思でアダムに同行しているだけで、王女を誘拐したという事実はない。

 むしろそれ自体が誇張であり、事実の歪曲だ。


「ほう、ならば貴殿の対面に座っている少女は誰だ?」


 認識阻害の魔法が付与された外套を着用しているとはいえ、事象や辻褄までを合わせてくれるような代物ではない。

 要するに、誰かは認識できなくても少女と認識できる以上、城からいなくなった王女がアダムと共にいる可能性が高い、という部分で、認識できない少女が誰かなんて容易に推測出来てしまうのだ。


「ん? なんだ? どうした? 答えられないのか? おかしいな。先ほどまでは返事がすぐに返って来たのに、何故この質問にはだんまりなんだ?」


 この問いに対する答えを言い淀んだ理由は、王女の身元を明かすべきではなかったからだ。

 それは近衛騎士たちも同じだろう。国王からそう命じられているはずだろうから。にもかかわらず、この男は分かっていて敢えてこの質問をしたのだ。

 本当に意地の悪い男だ。


「もう、その辺にしてよ。折角の食事が不味くなるじゃない」


 見兼ねたシャルロットが助け船を出す。


「久々のお忍びで楽しかったのに、あなたに邪魔されて気分サイテー。近衛騎士団長なら少しくらいは空気読んでよね」


「くふふ、やはり貴方様でしたか! お探ししましたよ」


 近衛騎士団長と呼ばれた男は、シャルロットの事を『殿下』ではなく『貴方様』と呼んだ。

 やはり王命はアダムの予想した通りだった。


「ささ、父上と母上がお待ちです。我々と共に帰りましょう」


「……分かった。帰る」


 シャルロットは気怠そうに席を立つ。

 それからアダムに向き直ってお別れの挨拶をした。


「折角の食事、残しちゃってごめんね。全部食べられなかったのは残念だけど、近いうちに今度は私が晩餐会に招待するから」


 それで許してね、と懇願するような視線が向けられる。


「ああ、もちろん。お誘い、楽しみにしているよ」


「じゃあ、またね」


 そうしてシャルロットは近衛騎士たちに連れられて、王城へと帰っていった。


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