第4節 『私の、私だけの』
予定が狂った。
まさか取引当日に王女を持ち帰ることになるなんて、誰が予想できただろうか。
いくら担保になったからといって、こちらの都合だけですぐに王女の身柄を、遊戯都市国家ラノベガスに移送するというのは、些か横暴すぎると感じていた。
だからアダムは即日ではなく、また日を改めて国外退去の段取りを進めようと思っていた。
それなのに──、
「──ふん、ふふん、ふんっ~♪」
アダムの隣を歩く白髪ショートボブの少女に全てを狂わされてしまった。
そんな事とは露知らず、シャルロットは上機嫌に鼻歌を唄いながら、街中の様子──主に通り脇の露店──を眺めている。
久々の外出なのだろうか。とても楽しそうだ。
アダムの手を握る小さな手の引き寄せる力が、徐々に強まっていくのを微かに感じた。
もっと近くで見たいのだろう。
「少し観ていくか?」
「え! いいのっ!?」
シャルロットは嬉々とした表情を浮かべる。
そんな顔をされてはアダムも悪い気はしないし、多少の甘さも見せてしまう。
「ああ、いいぞ」」
「やった! ありがとう、おにいさん!」
そうしてされるがままにアダムは手を引かれ、通り脇の露店へと連れて行かれた。
当然のことだが、これはお忍びだ。シャルロットの身元は徹底的に隠す必要がある。王城の人間にはそのうちバレるだろうが、王都の住民にはなるべくバレない方がいい。
王都にいる人間ならばシャルロットの容姿を知っている可能性が高いし、気付かれたら気付かれたで街中が騒ぎになる可能性もある。
それもそうだろう、王族は国の象徴であり民衆の人気が高い。熱狂的な信者──いや、ファンがいてもおかしくはないのだ。
出来る限り彼女を事件性に発展するような事に巻き込ませたくない。
だからアダムは研究室から続く緊急用脱出路から出る際に、シャルロットに認識阻害の魔法が付与されているフード付きの外套を貸した。
もちろんサイズも自動調節できる高級品である。
今はそれを目深に被っているから、よほど幻術魔法に精通した魔導師、もしくは悪魔・魔族でなければ見抜くことは難しいだろう。
「何か珍しいものでも見つけたか?」
ある露店の前を通りかかった時だった。
シャルロットは急に足を止め、露店に飾られていたある指輪を凝視していた。
薔薇を模したサファイアが嵌め込まれた指輪が金貨五枚で販売されている。いくら王都の露店だとしても流石にこれは高すぎる。
通常の相場でも精々金貨三枚程度が妥当だ。
それに、この指輪──、
(──水晶製だな。染料で青く塗っただけか)
アダムは一目見て真偽を見抜く。
「おじさん、これ本物?」
しかしそれはシャルロットも気付いているようだった。
「ああ、本物だよ! これは大陸南部で採れたサファイアでね! その中でも最高品質のサファイア──ロイヤルブルーを使っているんだ!」
「ふぅ~ん……。そうなんだ」
「だけどお嬢ちゃん、君はとても運がいい! 今日はもうじき店仕舞いだからね! 今買ってくれるなら金貨五枚のところ金貨三枚にしてあげよう! どうだい?」
大仰な身振り手振りで熱弁している露天商が可哀そうでならない。
宝石などの鉱物類に詳しくない者なら騙されて買ってしまうのだろうが、残念ながらここにいる二人はどちらもその道に精通している。
一目見るだけでそれが本物かどうかなんて見分けられる。
だから彼がどんなに弁が立つとしても、分が悪い。無理な商談だ。
「隣の兄ちゃんもどうだい! 妹さん? 娘さん? にプレゼントとして買ってあげたら、めちゃくちゃ喜ばれると思うよ!」
商売根性凄まじい。半ば押し売りのようにも感じられるくらいにグイグイ来るが、それくらいパワフルに行った方が買ってくれやすいというのも事実だ。
しかし初めから偽物と分かっていて、本物と同じ相場で買う人間はいない。
「買ってあげたいのは山々なんだが……」
アダムは露天商の男に顔を近づけて、周囲に聞こえないよう小声で言う。
「詐欺はダメだろ、詐欺は」
「な、何を……っ!!」
デタラメなことを言っているんだ、とでも言いたげな顔をして驚く男。
だが、ここで大声を出そうものなら周囲の人にも聞かれてしまう。今後の商売に影響してしまう自体は避けたかった男は、その先の言葉を口にするのをやめた。
頭の回転は早い。感情的になる事もない。商売人としての才能はある。
確かに彼が二人を騙そうとしていたことは事実だが、それでもアダムの目には彼が本当の悪人には見えなかった。
「いいか? これはただの水晶だ。ロイヤルブルーでもなければ、サファイアですらない。それをロイヤルブルーと同じ相場で売るなんて、一体何を考えてるんだ?」
アダムは彼の思惑を知りたかった。
ただ金を稼ぎたいだけなら真っ当に稼げばいい。彼にはその才能がある。
それに楽に稼ぎたい人間だったら、そもそも露天商なんて商売を選ばない。もっと犯罪的な行為──違法薬物の売買や人攫いなど──をして、依頼人から金を貰う方を選ぶだろう。
にもかかわらず、彼は露天商で詐欺行為を行った。未遂だが。
その理由が知りたかった。
「俺にはたった一人の娘がいるんだ。まだ五歳になったばかりで育ち盛りの娘だ。腹いっぱい食わせてやりてぇし、ちゃんと立派に育って欲しいんだ。妻は娘を産んだ時に死んじまったからよ。俺が育てていかねぇとなんねぇ」
「だから金が必要だったと?」
「まあ、それもある。けど違う。この指輪は、この指輪に着いてる水晶はな。娘と川に遊びに行った時に、娘が拾ってきた水晶なんだ。川で拾った水晶なんて高値で売れるわけがねぇ。精々銅貨一枚か良いとこ二枚が限界だろうさ」
彼の言っている相場は適正だ。何も間違っていない。
水晶は主に魔道具の製作に使われる事が多いため、魔力伝導率の高さによって価値が変わってくる。
もしこれが魔鉱石の採掘場で採れた水晶なら、魔力伝導率が非常に高く、その価値も銀貨数枚にまで跳ね上がる。
しかしその辺の川で拾った程度の水晶だったら、魔力伝導率も良くて一割弱だろう。
「その時、娘が言ったんだ。この宝石を売ればお腹いっぱいご飯食べれるね、ってよ。俺はその時、迷ったさ。娘にこれはただの水晶だって言おうか。でも悲しむ顔が見たくなくて、俺は誤魔化しちまった。娘の喜ぶ顔が見たくて、お二人さんを騙そうとしちまった。本当にすまねえ!」
全ては娘の為だった。
喜ぶ顔が見たい。悲しむ顔は見たくない。幸せにしたい。元気に育って欲しい。色々な想いが、葛藤が、彼の中で渦巻いていたのだろう。
しかしそれでもやって良いことと悪いことは存在している。
たとえどんな理由があろうと犯罪行為は許されない。許すべきではない。
「──買うよ、その指輪」
だが、その裁きを下すべきはアダムではない。
それゆえアダムは彼の行いを見て見ぬふりをした。いや、許した。
「え?」
まさかの展開に理解が追いつかないのか、露天商の男はアダムを見上げたまま数秒静止した。
「金貨五枚で、その指輪買ってやる」
「い、いいんですか?」
「何度も言わせるな。帰るぞ」
「あ、ありがとうございます! 本当にありがとうございます!」
アダムは懐から金貨五枚を取り出し、彼の左手にそっと乗せた。それから彼の右手から指輪を受け取って、それをベストスーツの胸ポケットに仕舞った。
「もう二度と誰にも嘘を吐くなよ。もちろん自分にもだ」
「はい! 神に誓って! もうしません!」
なるべく目立たないようにと思っていたのに、最後の最後で結局注目されてしまった。
突発的なイベントだったが難なく切り抜けたふたりは、人気の少ない路地を通って宿に向かう。
いくら人気が少ないとはいえ陽当たりは意外と良い。
夕陽が路地を淡いオレンジに染め上げ、二人をロマンチックに照らす。
「優しいね」
「そうか?」
「うん、優しい」
アダムは胸ポケットに仕舞っていた青薔薇の指輪を取り出すと、顔の前まで掲げて青薔薇を模した水晶を眺める。
「家族を喜ばせたい、悲しませたくないっていうその気持ちは痛いほど理解できるからな。誰かが不幸になるくらいなら、誰も不幸にならない方がいい」
そんな選択早々あるわけないのだが、今回の場合は本当に特殊なケースだった。
「そう思わないか?」
「うん。そうだね。私もそう思う」
シャルロットとしてもベストを尽くせるなら、それが最善だと思っていた。
もしあの場でアダムが購入していなかったら、きっと彼はいつか投獄されていただろうから。
「よし、出来た」
少し経った頃、満足そうな声が隣から届いた。
隣を見上げると夕陽に照らされて蒼く煌めく指輪を、何やら満足気に見つめて笑うアダムがいた。
「その指輪に何したの?」
おそらく水晶に何らかの魔法を付与したのだろう。
「折角金貨五枚も叩いたからな。相応の価値にしておかないと、こっちが損した気分になるだろ? だから軽く魔法を付与してみた」
「よく付与できたね。魔力伝導率めちゃくちゃ低いのに」
「その辺は創意工夫でどうにかな」
「流石だね」
もうそこまで行ったら天才の領域だ。
それなのに彼の名前は有名じゃない。これだけ長年生きている人が、ここまでの実力を持っている人が、どうして今まで埋もれていたのか。いや、これはワザとだ。
あえて外部に名前が漏れないようにしているに違いない。
例えば偽名だ。架空の人物を作り上げることで、アダムという人物を表舞台に立たせないようにしている可能性がある。いや、そもそもアダムという名前すら偽の可能性もあるだろう。
しかしながら今のシャルロットにそれを知る術はないのだが。
「これを君に」
そう言って差し出されたのは、魔法付与の完了した青薔薇の指輪であった。
「いいの?」
金貨五枚分の価値まで引き上げられた指輪を貰えるなんて嬉しい。
でも、金貨三千枚の融資をしてもらったばかりなのに、更に貰ってしまうのは何だか申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
「そのために買ったんだ。受け取ってくれるとありがたいんだが」
「そっか。そうなんだ。私のために……」
ぽつりと呟くシャルロット。
アダムに聞こえないくらいの小さな声で言ったつもりだったが、その呟きはアダムの耳にもちゃんと届いていた。
「ありがとう、おにいさん。とっても嬉しい」
シャルロットは空いている方──アダムの手を握っていない方──の手を差し出す。
その意図を察したアダムは何も言わずに、差し出された左手の小指に嵌めようと指輪を近づけた。
しかし──、
「──違う、そこじゃないよ。こっちでしょ? ね?」
シャルロットは少し不満げに言って、薬指以外の指を丸めた。
左手の薬指以外は許さないと言わんばかりの行動に、アダムは思わず戸惑う。表向きは平静を装っていたが、内心は激しく動揺していた。
「後悔するぞ……」
「してもいいよ。おにいさんと一緒に居れるなら、酸いも甘いも、苦いも辛いも、全ての出来事が、思い出が、私にとっての幸せになるの。だから覚悟はできてるよ」
今日会ったばかりの男にどうしてそこまでの熱意を持てるのか。
自分を担保にした男に何故そこまでの信頼を向けられるのか。
アダムには全く理解できなかった。
だけど──、
「──だったら俺は精いっぱい君の幸せを守らないとな」
アダムのやるべき事は変わらない。
たとえ指輪をどの手のどの指に嵌めたとしても。彼女を守る、という事だけは。
「んふふ、そっか。私の幸せを……」
天高く掲げられた左手を見つめながら、シャルロットは嬉しそうに微笑む。
細められた翡翠の双眸には青く煌めく薔薇の水晶が反射していた。
(ちゃんと守ってね、私の、私だけの王子様──)
そうしてシャルロットは心の中で、隣を歩く彼に対する想いを呟くように吐露したのだった。