第100話『乳に名を与えるのは、私たち自身──“選ばれなかった愛”の終幕』
王都ルセンティア──。
乳によって議会が割れ、乳によって革命が起こり、乳によって少女たちが泣き、笑い、恋に戦った季節は、いま終わりを迎えようとしていた。
空は晴れている。けれど、広場に集った民の顔は皆、曇っていた。
それは、ただの天候とは違う「予感」だったのかもしれない。
「……はじまるわね」
リリアーヌがそっとつぶやく。
乳投票──正式名称『王国正妃選定に係る国民信託統一乳民意調査』。そう呼ばれた式典は、王都でも最大規模の行事として準備され、ついにこの日を迎えた。
王宮前広場には、候補者である五人の少女たち──リリアーヌ、クラリス、ソフィア、エミリア、マリア──が正装で立ち並んでいる。
王子・拓真も、彼女たちの前に静かに姿を見せた。
彼の顔は、どこか翳りを帯びていた。
「……皆。今日、この場に立ってくれてありがとう」
その第一声で、空気がわずかに揺れた。
「王妃は、選ばなければならない。そう、王として、国家の形式として……ずっと、そう思っていた。けれど──」
拓真の声が、すこしだけ震えた。
「──乳に順位をつけることを、俺は、拒否する」
言葉が、空気を断ち割った。
観衆がざわめき、議会代表が立ち上がりかけたその時──リリアーヌが一歩、前へ出た。
「私は、それを聞きたかったのよ、拓真」
微笑むその瞳に、もはやかつての“王妃候補”の色はなかった。ただ、ひとりの“愛した女”の輝きがあった。
「乳に名前をつけるのは、民じゃない。あなたでもない。私たち自身なのよ。だから……私は、もう“誰かのための乳”じゃない。私自身のために、ここにいる」
エミリアが続いた。
「私も同じですわ。あの夜のキス──あなたが私にくれた熱は、“選ばれるため”のものじゃなかった。私が選んだの。私自身で、この乳を、この愛を」
クラリスは腕を組み、堂々と胸を突き出す。
「見なさい、これが私の乳だ! ……いや間違えた! 私の“意志”だ! けどまあ、見てくれて構わない!」
観客が笑い、だがどこか涙ぐんでいた。
ソフィアは祈りのように目を閉じた。
「この身は神に仕えるもの──でも、恋する気持ちは、神の思し召しではなく、わたしの選択です。……だからもう、順位なんていりません。あなたの隣にいた“時間”が、わたしの永遠です」
マリアが最後に、そっと手を握る。
「人は変わるわ。誰かのためにも、誰かのせいでもなく、自分で変わる。でもね……変わっても、忘れられない温度があるのよ。あなたの手、まだあたたかい」
拓真は黙ってそれぞれの言葉を受け止めた。
国民投票の結果は、発表されなかった。
いや、できなかった。
なぜなら、その瞬間にはもう──
「王妃をひとり選ぶ」という制度そのものが、意味を失っていたからだ。
**
選ばれなかったヒロインたちはどうなったのか。
国民の誰もが、そこに興味を持った。
が──
その答えは、「誰も選ばれなかった」ではない。
「誰もが、選ばれた」のだ。
**
リリアーヌは、独自に外交官として異国へ渡った。だが、旅立ちの朝、拓真の部屋の枕元にはこう書かれた短い手紙が残されていた。
「愛してる。でも、依存ではない愛を、私は生きて証明したい」
エミリアは、王国騎士団に入団。美しき“騎士乳将軍”として、その気高き気性と胸板を──いや、胸を震わせながら戦った。
ソフィアは、神殿に残り、司祭となる。だが週に一度、王城を訪れ、拓真と「乳と信仰の講義」を開き続けている。
クラリスは──なぜか王立放送局で乳天気予報士に。揺れる天気図の後ろで「揺れてるのは気温です!」と叫んだ映像は、半年後に伝説となった。
マリアは、王国文芸評議会の一員に。その手で書いた初の詩集『君の指、私の乳に触れぬまま──未完の接触』はベストセラーとなる。
**
拓真は、王として即位した。
だが、正妃の座は、空位のままだ。
「選ばない自由」を選び、「共に揺れる権利」を残したまま、彼は語り続ける。
「愛は、ひとつじゃなくていい」
「乳に、順位などいらない」
「でも、忘れることもできない。その夜、触れた“ぬくもり”のことを」
**
最後に語られる、拓真の独白。
「俺は、たくさんの胸に触れて、たくさんの心に触れて……でも、誰も手放せなかった。
それが、わがままだと言うなら、言ってくれ。
ただ、俺はずっと、あの日々の“揺れ”と“温度”を覚えている。
あれが、俺にとっての、愛だった──」
──“ハーレム道”の果てにあったもの。
それは選択でも決断でもなく、ただひとつ。
「忘れないこと」
それこそが、彼が得た、最も誠実な答えだった。
(了)