第95話『秘密温泉《乳曇(にゅうどん)》へ──最後の共浴回』
乳曇。
王都ルセンティアの北東、霧深き峡谷に隠されたその温泉郷は、かつて王家専用の静養地として存在したという。
だが今夜、その秘湯に足を踏み入れるのは、ひとりの王子と、五人の乙女たち。
言葉にならない想いと想いが、肌と肌の間で揺れ合う、最後の“共浴の夜”。
──そのはじまりは、突如届いた招待状だった。
「タク真様へ。王都の北、乳曇の湯にて、お待ちしております。
すべての問いが、そこであたためられますように。
──乳泉の番女より」
「なんだこれ……」
思わず呟いた拓真の後ろから、リリアーヌがくすっと笑った。
「その場所、昔は“お披露目の湯”って呼ばれていたのよ。正妃候補たちが、裸のまま王子と向き合う……そんな儀式があったの。今では廃れたけれど」
そんな話を聞いた夜の翌日、王家の飛空艇に乗せられた一行は、乳白色の霧がたちこめる山間に降り立った。
そこで彼らを出迎えたのは、まるで乳のように白濁した巨大な露天湯だった。
「水着着用必須……ね。よかった。てっきり……裸かと……っ!」
エミリアが赤面しながらも安堵のため息をつく。
「でもでも! 水着越しだって、ほら……感触って、けっこうダイレクトに伝わるんだよね〜っ!?」
とんでもないことを言いながら、クラリスがビキニ姿でざぶんと湯船に飛び込む。
「ふわっ、あったかい……ってか、とろみすごっ!? これホントに温泉なの?」
「……乳曇は“母性の湯”とも呼ばれています」
と説明したのは、白装束の湯守り女。
曰く、この湯は「触れられること」「触れること」により“感情の曇り”が晴れていくのだという。
「つまり……洗い合い推奨?」
ソフィアが微妙な顔で問い、
マリアが肩をすくめる。
「ええい、もう……誰か背中、流しましょうか?」
そして始まる、水着での“洗い合い”タイム。
泡と手のひら。
距離をはかる沈黙と、ほんの少しの勇気。
「タク真様……背中、失礼します」
リリアーヌがそっと近づき、手にした泡だて布で彼の背を撫でる。
その手は優しく、だが、確かに“独占欲”を含んでいた。
「あなたが、他の子を見ても……私は、ここにいるわ」
その囁きは、泡のはじける音に紛れて誰にも聞こえない。
だが、タク真はその温度を、肌で受け取った。
──そして、エミリアが背後からちょこんと現れる。
「ぼ、ボクも……流したい、なって。ダメ、ですか……?」
さらに、クラリスが両手を泡だらけにして笑う。
「ねぇねぇ、ちょっとタク真の胸板洗わせてよ! ちゃんと水着越しだから! セーフ! ……よね?」
「っ、む……む、無理です!!」
顔を真っ赤にしたソフィアがタオルを振り回し、泡の飛沫が夜空に舞う。
そうしてしばしの狂騒の後──
静寂が戻る湯のなか、互いの呼吸だけが霧に溶け合っていた。
「……ずるいな」
タク真がぽつりと呟く。
「誰か一人を選ぶってことは……誰かを選ばないってことだから。こんなに優しくて、あったかくて……それなのに」
その言葉に、乙女たちは答えない。ただ、湯の中で寄り添うように目を伏せていた。
誰もが“選ばれたい”。けれど、選ばれなくても、その湯の中に“居たかった”。
それがこの夜、この《乳曇》の湯での、彼女たちの本音だった。
やがて、リリアーヌがそっと拓真の手を取る。
「大丈夫。あなたが今、誰の名を呼ばなくても……私は、あなたの隣で笑えるわ」
「リリア……」
その瞬間、他の乙女たちも、湯の中でひとつ、頷いていた。
叫ばなくても、抱きしめなくても、確かに想いはここにあった。
翌朝、《乳曇の湯》は濃霧に包まれ、まるで昨夜の出来事すべてが夢だったかのように、静かだった。
だが、彼らの心に残った“ぬくもり”は、確かにそれぞれの胸でまだ、泡のように弾けていた。




