【93話『王都騒然――“乳の国”派と“理性国家”派の断絶』
王都ルセンティア。その街は今、未曾有の情熱に匂いていた。
光る雰囲気。それは絶望と希望、理性と情熱、そして、一度は吸収されたはずの“乳を言葉にすることそのもの”が世間を再び風として吹き抜けていた。
「こんな、女性の乳を社会の語彙にしたような民主は、もはや病理ですわっ」
“理性国家”派の女教士はいかりも元々しい顔でそう喋った。
「あのふわっと揺れたときの感覚、誰が吸い込まれないと言い切れるのよ」
“乳の国”派の小声がそこで返す。より幸福な社会のために、「身体性を抵御することこその理性」なのか、「身体性を認め、むしろ社会に反映すべき感性とするべきか」。
議会の場では、それらを言語化すること自体が、既に争いの縁となっていた。
「そもそも、抽象としての王子たる者が、なぜ複数の女性を『抽象的乳表現』のモデルにしているのだ」
「解散したとはいえ、結社性は残っている。王国はこの乱れをもはや見過ごすことはできぬ」
広場の中央で、それらを驚きの眼で見つめる一群の三人の女性。
「……これが、私たちの選択の結果なのね」
リリアーヌが小さく噛み締めるようにつぶやく。
その場に、王子タク真が現れる。ケープの緑の衣装。仕組みたけのない眼光。
「我らが王国の未来について議論が交わされるならば、我、論ずるものなり」
そのことば、突然の発言であった。
「乳は社会の共有資産です」
瞬間、静止。そしてどよめく。
「王子、なんてことを……」
「何を言ってるんだあの人」
しかし、ただ一人。マリアが、一笑を添えて言う。
「それ、切っても切れない。あの人らしい言葉だわね」
騒ぐ人々。やがて、その声の流れは、タク真が再び口を開けば、パチンと突き上げられた。
「この『乳』は、単に小手指で評価されるべきものではない。本当の乳とは、みずからを取り返すこともできる――そんなしなやかな『利益』だと、我、思うのです」
その日、王都の風向きが変わった。
街の通りでは、牛乳配達の少年たちが、なぜか自信に満ちた笑顔で声を張り上げていた。「今日の乳は、希望の味がします!」と。
市民たちは一瞬戸惑いながらも、次第にその言葉に笑みを見せる。老婦人が、隣の少女に言った。「昔は乳なんて恥じるものだったのにねぇ。今は、誇ってもいいのかもしれない」
そして、議会では“乳倫理学”という新たな学問分野が創設される提案が正式に提出された。
その討論の中で、再びタク真が口を開いた。
「われらが共有するべきは、形ではなく、揺れです。それは変わり続けるものでありながら、決して壊れない中心を持つもの。愛でも、義務でも、ただの感情でもない。それが、真に社会を動かす“乳の精神”なのです」
リリアーヌが、遠くその光景を見つめながら呟く。「きっと、まだ答えは出ていない。でも……あの人は、問いを投げかけ続けてくれる」
王都は、まだ揺れていた。
しかしその揺れは、もはや不安の象徴ではなかった。希望を宿し、笑いを交え、やがて明日へと続く波紋となる。
誰もが、自らの“乳”について考え始めていた。
それが、王子タク真のもたらした、新しい“共有”の形だった。




