第86話『ソフィアとマリア、禁乳結社に接触──“揺れなき正義”の罠』
湯乳郷での乙女たちの温泉会議から数日。空が高く澄み、秋の気配が忍び寄る中、巫女ソフィアと元令嬢マリアは、密かに王都へと向かっていた。
「……このままじゃ、終われませんわ。私たちには、まだ拓真様に伝えていないことがある」
マリアの声は決意に満ちていた。正妻戦で敗北してなお、想いは揺らぎ続けている。
「“誠実乳”という価値観が暴走する前に、私たち自身が答えを見つけなきゃ」
ソフィアが頷く。その視線の先、王都の外れ──人知れず再興した禁乳結社の本拠地がある。
◆
《セラフィカ》は静寂を愛する集団だった。
大広間には、乳を隠すような黒いローブの女たちが集う。
「乳は惑い。揺れは罪。真の愛に必要なのは、“揺らがない契約”のみ」
教義を唱えるのは、結社の頭目──メルティア。
「……元・侍女頭ですって? どうして……」
マリアが驚愕の声を漏らす。かつて王宮に仕え、すべての女性の美徳を乳に見出していたその女が、今や“揺れ”を完全否定していた。
「私は見たのです。揺れることで人は誤解し、争い、苦しむのです」
冷ややかな微笑みを浮かべるメルティア。かつての忠義は、今や“無乳の正義”へと姿を変えていた。
「あなたたちもまた、揺れることに疲れたのでしょう? ならば、この静寂に身を委ねなさい」
香炉から漂う香り。そこには、精神を平坦にする“感情緩和香”が仕込まれていた。
「……あぁ……」
ソフィアのまぶたが重くなる。
マリアもまた、深い眠気に囚われ、記憶の深淵へと沈もうとしていた──。
◆
「ソフィア! マリア!」
その時、場に飛び込んできたのは──クラリス。
風を切って現れた彼女の髪は乱れ、ドレスの裾には泥が付いていた。
「……なにを……っ!」
メルティアが怒号を放つ。
「感情を封じた愛なんて、ただの“命令”ですわ! それがあなたの“愛”ですの?」
クラリスは叫んだ。
「たしかに、ソフィアもマリアも、揺れを否定されて傷ついてた。でも、あなたたち……揺れなくても、“感じてる”じゃない!」
その言葉に、香りの支配下にいた二人の心に、波紋が広がった。
マリアの頬に、ひとしずく涙が伝う。
「私……感じてた。静かでも、黙ってても、あの人のこと……っ!」
ソフィアも、胸元に手を当てた。
「この胸の奥が、ざわつくの。名前もつけられないけど……確かに、何かが、揺れてる」
その瞬間、香炉が砕かれ、緩和香の煙が消えていく。
クラリスは息を切らしながら、二人を支えた。
「揺れは、弱さじゃない。あなたの心が生きてる証よ」
◆
《セラフィカ》はその日を境に分裂を始めた。
乳を否定することで安寧を得ようとした女たちも、やがて気づいていく。
「揺れ」は、痛みであり、喜びであり、そして生の証。
その中にしか、本当の“誠実”は宿らない──と。
◆
夜。湯乳郷の露天風呂。
再会した三人は、並んで湯に浸かっていた。
「ねえ、クラリス。あの時、どうして来てくれたの?」
ソフィアが尋ねると、クラリスは少し照れたように笑った。
「わたくし、気づいたんですの。誰の乳が選ばれるかじゃなくて、誰の揺れを、私が“信じたいか”なのだと」
「……信じたいか、か」
マリアが呟く。
「私はまだ、彼に選ばれたわけじゃない。でも、それでも“自分で信じられる揺れ”を持っていたい」
三人は湯煙の中、寄り添うように微笑み合った。
「誠実って、乳の大きさでも、数値でもないわね」
「ええ、そうですわ。私たちは……揺れることで、前に進んでいける」
空には満天の星が輝いていた。
そのひとつひとつが、乙女たちの胸の奥に宿る“誠実の星”のように、強く、静かに瞬いていた。




