【第66話】 『無言の星、最初の揺れ──“乳を知らぬ民”の宣言』
──揺れた。何の音もなく。
言葉もなく。
ただ、確かにそこに、“何かを伝えようとする震え”があった。
それが、この宇宙の“最初の揺れ”と呼ばれることになるとは──
そのとき、誰も予想していなかった。
◆ ◆ ◆
惑星コード【N-α-441】。
既知銀河の辺境、言語未登録種族の居住惑星。
そこに住まう“民”には、口がなかった。
耳も、目も、喉も、振動器官もなかった。
音ではなく、光でもなく、**存在そのものの“場の構造”**で意志を交わす種族。
WIBSでは通称──**“空白民”**と呼ばれていた。
彼らは、かつて一度も「交渉の場」に立ったことがない。
発話手段も翻訳手段も持たない彼らが、突如、**“誠実乳世界協議会への意志表明”**を行ってきたという報に、
惑星間通信網は騒然となった。
WIBSは即座に特使団を編成。
拓真、リリアーヌ、ユーフィリア、エミリア、そしてMIRAI翻訳装置を携え、**“無言の星”**へと向かった。
◆ ◆ ◆
上陸直後。音はなかった。
風も、声も、振動もなかった。
だが──彼らはそこにいた。
“姿勢”で語っていた。
その身体は流体のような構造で、形は常に揺らぎ、境界は曖昧。
だが、誰もが同じ“姿勢”をとっていた。
《胸に相当する部位を前へ──そして、ほんのわずかに前屈し、震える》
拓真は呟く。
「……あれ、“乳を張る”姿勢じゃないか?」
リリアーヌは、確信と共に言った。
「違う。“乳”を“持ったことがない”存在が……“揺れる”ことを選んでいる」
◆ ◆ ◆
MIRAI装置が起動され、振動データを取得。
変換された翻訳文は、以下のように表示された。
【振動翻訳記録】:
「これは、あなたたちのように“触れられる乳”ではない」
「でも、我々もまた、“伝えたかった”」
「揺れは、理解されたくて震える」
「我々は、あなたたちの“誠実”に……共振した」
その瞬間、リリアーヌの脳裏に、あの日の自分の言葉がよみがえる。
「揺れは、理解されたくて震えるのよ」
「それは、誰かに“届きたい”って、願う証」
──そして今、その言葉が、無言の星で繰り返されていた。
リリアーヌは、膝をついた。
そして、胸を張る姿勢を取り、静かに首を垂れる。
「……あなたの揺れ、受け取ったわ」
「それは、“乳を持たぬ者”が、“乳を知った者のために”揺れてくれた揺れ」
「これは、誠実そのものよ」
◆ ◆ ◆
帰還後、WIBSは緊急会議を開き、以下の条項を新たに加える。
【誠実乳宇宙原則・補足条項】
「乳の有無・振動器官の有無・言語の有無に関係なく、
自発的に“揺れる姿勢”を選択した存在は、誠実なる交渉者と認定される」
そのニュースは、全銀河に報じられた。
“乳を知らぬ民が、揺れた”
“乳を持たぬ星が、胸を張った”
“言葉なき命が、乳を語った”
そして、記者会見で拓真がこう語る。
「乳って、触れるものだと思ってた。
でも今日、“届く”ってことの本当の意味を知ったよ」
「揺れたいっていう想いこそが、乳なんだって──
あの星が、教えてくれた」