【第56話】 『乳の亡命ルート──希望の胸が、再び逃げる』
──夜の国境を、胸を隠した影が一人、また一人と越えていく。
そこにあるのは密輸でも、スパイでもない。
ただひとつ──
“張る自由”を取り戻したいという願い
乳は今、政治でも制度でもなく、「生き方」そのものとして迫害されていた。
◆ ◆ ◆
TYPE-Ø体制の急拡大により、いくつかの国では「公共の場における揺れの禁止」が法制化された。
・義乳、補正具の装着義務
・「自己乳表現罪」新設
・翻訳揺動表現の削除命令
・“張った”と見なされただけで拘束される事例の続出
【実例】
・乳舞の詩人、咳き込みと同時に揺れたことで「感情扇動の意図あり」とされ投獄
・街角で手を胸に当てて祈った女性が“無許可乳信仰”で連行
・授業中に胸を張って発言した生徒が「秩序違反」として停学処分
そしてついに──ラグリス王国の外務庁に“亡命申請”が急増する。
「私には、この乳しかない。これで生きたい」
「私は揺れたがった。それを、認めてくれる国があると信じたい」
「“誠実乳”は思想ではない。私の命の、形です」
◆ ◆ ◆
塾の作戦室。
エミリアは亡命申請データを読み上げるたび、眉をしかめ、拳を握った。
「……名前がない。乳も、表現も、全部消されてる」
「“誰にも見せられない乳”になって、ここまで逃げてきたの?」
ユーフィリアはうつむき、呟いた。
「……“胸を張って生きたい”って、そんなにいけないことなの?」
その言葉に、拓真が立ち上がった。
机を叩き、いつになく強い声で言い放つ。
「もうこれは思想じゃない。──“生きる権利”そのものだよ!」
「“乳を持ってる”だけで責められて、“乳で語った”だけで裁かれて──
それのどこが誠実なんだ!?」
「“俺はこの乳で生きてる”って言う自由を奪うことが、
どれほど、誰かの生き方を壊してるか──まだ気づかないのかよ!」
室内が、静まり返る。
だが、次の瞬間──リリアーヌがゆっくりと頷いた。
「そうね、拓真。これはもう、“乳”じゃなくて、“生”そのものを問われてるのよ」
「だから、逃げてきた乳に、居場所を与える」
「それが今、私たちにできる誠実」
◆ ◆ ◆
こうして、J.S.B.N.(誠実乳国際支援ネット)は新たな動きを開始。
【作戦名:希望の胸ルート(Hopeful Bust Line)】
・乳による迫害を受けた者の受け入れ・匿い・再定住を目的とする支援網
・密輸ではなく、“文化難民”としての国際的正当性を主張
・揺れを禁じる国境地帯に非公式ルートを開設
そのルートの中で交わされた手紙──
「私の乳は、誰にも見せられなかったけど、
今、あなたが“ここで張っていい”って言ってくれたから、
私はやっと、この胸で息ができるようになりました」
◆ ◆ ◆
一方、ラグリス王国政府には、TYPE-Ø連合から正式通告が届く。
「亡命乳受け入れは、思想誘導とみなされる」
「“誠実乳”は、文化破壊行為である」
「乳の国際政治化は戦争の火種となりうる」
それに対し、ラグリス政府は声明を返す。
「乳は、誰かの命の形である」
「私たちは、乳を受け入れる。理由は要らない。そこに人が、生きたがっているのなら」
◆ ◆ ◆
夜。塾の屋上。
エミリアは小さく、笑っていた。
「……あの子、胸に手を当てて、“ようやく震えた”って言ってたの」
「たぶん、泣いたこともなかったんだと思う」
拓真が答える。
「“揺れていい”って思える場所があれば、人はちゃんと“自分の乳”を信じられるんだ」
リリアーヌは、夜風に髪をなびかせながら言う。
「“逃げた乳”に、張る場所を。
それが今、世界に抗うってこと──
そして、世界を救うってことなのよ」




