【第54話】 『沈黙の誠実と、叫びたかった乳』
──東大陸・秩序都市中央公会堂。
TYPE-Ø派の思想運動「無揺動革命」の拠点都市であり、
この日もまた、整然とした群衆が“揺れない演説”に耳を傾けていた。
壇上に立つのは、MILIT-BUST広報官。
その声は常に一定で、語調に高低の揺れすらない。
「私たちは、胸を張る。だがそれは、揺れるためではない」
「沈黙する乳こそ、誠実の象徴である」
「翻訳は感情を解き放ち、秩序を壊す。だから、今こそ沈黙を選ぶのです」
その言葉に、整然と並ぶ聴衆は頷き、拍手もなく、ただ沈黙を返す。
乳は、動かず。
感情は、形にならず。
ただ、“正しさ”という名の下にすべてが均されていた。
◆ ◆ ◆
その空気を、たったひとりの“揺れ”が切り裂いた。
舞台の隅。
補助演壇に立った、ひとりの少女がマイクを握っていた。
細い身体。
前を留め切った服の下に、胸のふくらみはなかった。
だがその眼差しだけは、はっきりと震えていた。
「……私は、かつて病を患い、乳を摘出しました」
「誰にも言いませんでした。“揺れる資格を失った”と思っていたからです」
「でも……今日、この場所に立って、TYPE-Øの“完璧な誠実”を見て、思ったんです」
「私の胸は、ない。けれど──揺れたかった。乳がなくても、揺れたかったんです」
会場がざわつく。
無揺動主義者たちの顔が強張り、一部は眉をひそめ、
一部は目を伏せる──その中で、彼女の声だけが、揺れていた。
「沈黙の誠実が悪いなんて言いません。
でも私の中には、“語らなかった乳”が確かにある」
「その乳は、もうここにない。
だけど、私がその乳を通して“何かを伝えたかった”気持ちだけは、まだここにあるんです」
彼女は一歩前に出て、静かに言った。
「だから私は、こう宣言します」
「“揺れたかった乳”にも、誠実は宿ると」
◆ ◆ ◆
演説席から数列離れた聴衆席。
そこに立っていたのは、ラグリス王国から派遣された塾代表──ユーフィリアだった。
彼女は、言葉ではなく行動で応えた。
舞台に上がり、少女の背中にそっと手を添える。
その手は温かく、やわらかかった。
「……あなたは、もう“揺れた”わ」
「あなたの乳が伝えたかったこと、それは、この声だったのよ」
「その一歩が、あなただけの“誠実”よ」
少女が初めて、小さく嗚咽する。
涙が頬を伝い、そして、その肩が震えた。
乳はない。だが、揺れはあった。
魂が、揺れていた。
◆ ◆ ◆
後日、この少女の発言は“揺れを望んだ沈黙”として記録され、
TYPE-Ø本部の掲示板には無言の賛否が交差する事態となる。
だが、最も象徴的だったのはその夜──
TYPE-Ø派の情報抑制下にもかかわらず、演説の録音が魔導ネットワークを通じて拡散されたことだ。
『乳がなくても、私は揺れたかった。』
『沈黙の中にも、叫びたかった乳があった』
『誠実とは、“なかった乳”に語らせる勇気』
タグ《#SilentBustDeclaration(沈黙の乳宣言)》は、24時間以内に17カ国でトレンド入りした。
◆ ◆ ◆
塾へ戻ったユーフィリアは、リリアーヌに報告する。
「……ねえ、リリア。あの子の言葉、届いたと思う?」
リリアーヌはゆっくり頷き、言った。
「ええ。確かに揺れた。乳はなくても、あの子の心が、声になった」
「それが誠実よ。沈黙を破るんじゃない。沈黙の中から、揺れを聞き出すの」




