【第5話】 『リリアーヌの乳、再評価される日』
──王都のはずれ、《フローリス街》。
かつて華やかな商人たちが集い、今は静かな下町として親しまれるこの場所に、
ひっそりと佇むカフェがある。
その名も《サン・レミ》──花と香りをテーマにした、温かな店だった。
「いらっしゃいませ──こちら、お席をご案内いたしますわ」
穏やかな声。流れるような所作。
だがその姿を見た客の誰もが、二度見した。
「あの店員さん、めっちゃ高貴じゃない……?」
「えっ、なんであんな令嬢がこんな下町のカフェに?」
「胸も……いや、違う! 胸よりオーラがすごい!」
──それもそのはず。
このカフェの新入り店員こそ、かつて社交界を騒がせた悪役令嬢、リリアーヌ・グランディールその人であった。
爵位を剥奪され、王都を追放されかけた彼女は、
ひとつだけ条件をつけて町に残った。
「私は、“普通の人間”として、生きてみたいの」
……その結果が、今このカフェの制服姿である。
紫のドレスは脱ぎ捨て、今は淡いベージュの制服に身を包む彼女。
だがその立ち姿、振る舞い、そして──胸に漂う気品は、
決して貴族の頃と変わっていなかった。
「ミルクティーお待たせしました」
カップを置く手も、スプーンの角度も完璧。
リリアーヌは手際よく接客をこなしていく。
「……本当に、完璧ね」
店主の中年婦人・マーヤは感心しきりだった。
「ただの下町の店にはもったいないぐらいよ、あんた」
「それでも……ここにいたいの」
リリアーヌは、かすかに笑う。
「ここにいると……胸の張り方を、考えずに済むから」
「……?」
「“誇らなければ”と思ってたの。ずっと、胸を張らなきゃ、誰にも見てもらえないって……」
そのとき、カラン、と小さなベルが鳴った。
「いらっしゃ──」
「うおおおお! 似合ってる!!」
爆発するような大声が、カフェに響いた。
現れたのは──この国唯一の《乳眼保持者》、如月拓真だった。
「おまっ……! その制服やばい! いや、やばくないけどやばい!」
「うるさいっ!」
リリアーヌは即座にカウンター越しにトレーを投げたが、拓真は軽やかに避ける。
「なんでここに来たのよ……」
「噂で聞いたんだ。気品ある美人が店員やってるって。それで、まさかって思って来たら……やっぱ君だった!」
リリアーヌは顔を赤くしながら、くるりと背を向けた。
「……見られたくなかったわ。こんな姿」
「なんで?」
「私のことを“誇り高い悪役令嬢”って思ってるあなただからよ」
拓真は、ゆっくりと近づいた。
そして、その背中に静かに言葉を落とす。
「違うよ」
「……?」
「誇り高かったのは、あのドレスでも、爵位でもなくて──」
彼の手が、リリアーヌの背後から伸びた。
そっと、彼女の制服の上から胸に手を当て──
「君の胸だったんだ」
「──っ!」
リリアーヌは慌てて振り返り、拳を振るう。
「何触ってるのよ変態!!」
「まって! 今のは“乳眼による判定作業”!!」
「その理屈が通るのはあなただけよ!!」
――だが。
ふたりのやりとりを見ていた客たちは、どこか温かい目でそれを眺めていた。
「あの令嬢……変な男に絡まれてるのに、どこか安心して見えるな」
「なんかあれ……いい関係ってやつじゃないか?」
拓真は真顔で言った。
「君の胸は、今までで一番美しかった。高貴さじゃない。今、君が自分を許して、静かに誇ってるから──その柔らかさが、心にしみるんだ」
「……ばか」
リリアーヌは目を伏せる。
「……やっぱりバカよ、あなた」
けれどその口元は、微かに綻んでいた。
「でも……少しだけ、信用してあげる」
「おっ……!? 本当!?」
「調子に乗るな!」
すぐさま二発目のトレーが飛んできた。
◆ ◆ ◆
その日の夜、カフェの厨房の奥。
マーヤはこっそり呟いた。
「なんだかあのふたり……似合ってるわねぇ。貴族と変態って、意外とお似合いなのかしら」
「……ただの変態じゃないですよ」
厨房に入ってきた拓真が、胸を張る。
「誠実な変態です」
「……面倒くさいわね、あんた」




