【第25話】 『ユーフィリア、揺れぬ者の哀しみ』
──王宮・静謐の間。
絹のカーテンが風に揺れ、部屋中に淡い香が広がっていた。
その中心に立つのは、ひとりの少女──ユーフィリア・アルセリーナ。
儀礼用のドレスに身を包み、王冠象徴式典のリハーサルを終えたばかりの彼女は、
今、ただ静かに、鏡の前に立ち尽くしていた。
白磁のように滑らかな肌。
腰まで流れる銀髪。
そして、完璧に“設計された”胸元。
──揺れない。震えない。波立たない。
「……今日も、何も感じなかったわ」
ぽつりと、独り言のように。
その言葉は、誰に向けたものでもなく、
ただ鏡に映る、自分自身への“問いかけ”だった。
◆ ◆ ◆
それは、心の奥に沈殿していた違和感だった。
けれど、最近になって、その“正体”が明確になってきた。
きっかけは──リリアーヌの演説だった。
「私は、かつて乳で裁かれた。でも今、私は胸を張って生きている!」
「誠実に生きるとは、サイズでも形でもありません」
「自分を信じ、他人の乳も尊重すること──それが誠実乳です!」
ユーフィリアは、あの言葉を思い出すたびに、
“自分の胸”が、揺れない理由を思い知らされていた。
「私の乳は……誰かの理想のために揺れてきた」
「でも……私自身のために揺れたことなんて、一度もなかった」
ふと、ドレスの襟元をほどき、
鏡に映る自分の胸を、そっと両手で包む。
美しい。完璧。誇らしい造形。
だが──そこには“意志”がなかった。
“誰かにとっての美”に最適化されたその乳房は、
揺れることすら“決められていた”。
「アレクシス様は、私を見てくださる」
「でもそれは……“私の乳”を見てるんじゃない。
“象徴”として、必要としているだけ」
◆ ◆ ◆
──そのとき。控室の扉が、軽くノックされた。
「……ユーフィリア。入ってもいいか」
「……はい」
入ってきたのは、王子・アレクシス。
彼の顔には、苦悩の色が浮かんでいた。
「さっきの儀式練習、すまなかった。君に、ずいぶん無理をさせている気がして……」
ユーフィリアは、穏やかに微笑んだ。
けれど、その笑みに宿るものは、かつての“完璧さ”ではなかった。
「殿下。……私の胸を見て、何かを感じますか?」
アレクシスは、一瞬、言葉を失った。
「……正直に言うよ」
彼はゆっくりと目を伏せた。
「……もう、君の胸を感じられないんだ」
それは、嘘のない、苦しいほど正直な言葉だった。
ユーフィリアは、黙って頷く。
その瞳に、薄く、涙がにじんでいた。
「わかっていました。ずっと前から、あなたの視線の先にあるのは……私ではなく、“形”だったと」
「でも、それでよかった。私は、“象徴”になるために生まれたんですから」
「……違う」
アレクシスは、拳を握る。
「君は、誰かの象徴で終わる人間じゃない。
自分の意思で胸を張って、生きられる人間だよ。きっと……」
それは、かつて彼がリリアーヌに言えなかった言葉。
そして、今、ようやく“届けよう”とした、心の乳からの叫びだった。
◆ ◆ ◆
ユーフィリアは、静かに一歩下がり、深く一礼した。
「殿下。次の即位儀式、私を“象徴胸”として据えるのは……おやめください」
「私には、まだ“自分の揺れ”を探す旅が、必要なようです」
それは、拒絶ではなかった。
自分を、自分の胸を、初めて選ぶための勇気ある一歩だった。
アレクシスは、それ以上何も言わず、ただ深く、静かに頷いた。
◆ ◆ ◆
その夜。ユーフィリアは一人、王宮のバルコニーに立っていた。
風が胸元を撫でる。
まだ、それは揺れない。
だが、確かに彼女の内側では──“揺れようとする何か”が芽生えていた。




