通り過ぎたはずの残穢
「着いちゃった……」
私は開いた扉の前で立ち尽くす。かつての同級生たちが教室という甘美な箱の中で、垢抜けない姿のままあの頃の再現を私に見せている。
これは何かの冗談だろうか。
凛と一緒に通学路を歩くなんて、何年ぶりだっただろう。はしゃいでいた私は夢から覚めたくない気持ち半分のまま、いつかは覚めてしまう儚さを思い嘆いていた。けれど、いつまで経っても夢は終わろうとしない。それどころか、冷めない夢はさもこれが現実なのだと突きつけられているような気さえした。
「教室、間違っとらんよ?」
凛が後ろから私の背中を押し、同時に入場。幾人かの刺さるような視線が私たちに向けられた。並べられた机の配置を横目に見る。
あぁそうそう、こんな感じだった。
立ち竦む私に凛が尋ねた。
「どしたん、席忘れた?」
「……ごめん、どこだっけ」
冗談だと思った彼女は、私の真面目な返答に狼狽える。
「えっほんまにいいよる? ……まぁ、土日挟んどるけえしょうがないか……」
ごめん、凛。転校してすぐの席とか、もはや覚えてるはずがない。
私は心の中で謝りつつも、心がざわつくのを感じていた。視界の端に映る、私のクラスメイトたち。優しく笑う凛が、私の胸を切なくする。
ドクン、と心臓が脈打つのが分かった。
そうだ。席は覚えてなくとも、今日起こる出来事だけは覚えている。
私と凛が友達になったきっかけの日。親友との、最初の思い出。
聞こえはいい。だが、それが必ずしも楽しいことばかりでないことを、どうか知って欲しい。東京という都会からやってきた私が、地方で暮らすということがどういうことか、私はこの日知ることになる。
「北條さんじゃん、ウケる」
席につこうと肩掛けを下ろした直後、正面から声をかけられた。
来た。私は冷や汗をかく。
「向井さんと一緒に来たんじゃ、都会よりも通学路複雑?」
「あんまり自慢ばっかしちゃだめだよ?」
ケタケタと笑う三人組の女生徒。スカート丈を上げシャツを出して着崩す。明るめのリップは校則に違反してなかっただろうか。派手な服装と出で立ち。口調までもが威圧的。
青春の御旗を握るのはいつだって、彼女たちのような存在なのだろう。
何も言わない私をにやけ顔で嘲笑う。クラスの雰囲気が不穏に包まれ、談笑のボリュームが一気に下がった。
窓ガラスから差し込む日光が、斜めに明暗を作り出す。机や椅子の細い足がうっすらと影を伸ばし、私の足元と繋がった。
隣にいた凛が息を呑むのが分かる。正義感が働いたのか、彼女はここで言ってしまう。
「……横田さん、そういう言い方は……」
小さな彼女の小さな言葉。
私はその言葉にどれだけ救われただろう。
だけどその想い、横田たちには目障りだったんだろうな。
「なに? 向井さんと北條さん、仲良くなったんじゃ。あ、そう」
言葉は短かったが、痛烈な響きが教室に広がった。横田の放った言葉は内と外との線を明確にした。大きな態度でふんぞり返る彼女たちは、私と私の肩を持った凛にその歯牙を向け始める。
この日から、私と凛はクラスから浮いてしまったのだ。
横田たちのような顔の広い生徒に目をつけられ、私たちの高校生活から多くの青春が失われる。
東京からきた私は、単に聞かれた質問に答えていただけだった。だけどそれを嫌味だと受け取った彼女たちは、あることないこと吹聴して回った。顔色伺いの気の小さな私にそれらを否定することもできず、私の中の標準語さえ彼らはからかいの対象とみなした。
授業が全て終わる頃、私はこれが夢ではなく現実のものだと悟った。私は十年前の過去に起きた出来事をもう一度繰り返している。教科担当の先生。記憶に上書きされる授業内容。黒板消しの匂い。母親のお弁当。電車で凛に起こされたところから始まったノスタルジックな再会が、ごまんと私に降り注いだ。
これは一生願っても叶わない類まれなる奇跡だった。私は教室の中で小さく俯いた。初めの頃に感じていた興奮はいつしか冷めきり、腫れ物を扱うような瞳で見られる。
別にこんなこと、もう一度体験したいなんて気持ちはちっともなかった。