第92話 河野の最後
「苦しい。痛い……母ちゃん……痛えよ」
河野は痛みに悶え、弱々しい声を漏らし続けた。
「何とか助けられない?他に方法はない?」
ユウマの言葉に、弘樹が目を見開いた。
「お前を苦しめてきたやつだぞ。今だって、酷え事を言っていただろう?」
「うん。確かに酷いこと一杯されたけど、でも、このままじゃ可哀想だと思ったんだ」
奥歯を噛みしめた弘樹と、潤んだ瞳のユウマがそのまま見つめ合う。
マリがミキの耳元で囁いた。
「姫様。あの方法はどうでしょう?」
「あの方法って……まさか脱魂?」
「そうそう。それです!」
「ほ、本気で言っているの?!相手は人間なのよ」
「姫様なら出来ます!」
ガッツポーズするマリ。
「ちょっと待って。別の方法があるかも……」
そう言って必死に何かを考えてたミキだったが、やがて自信なさげにポツリと呟いた。
「……分かったわ。試してみる」
マリから試験管を受け取ったミキは、皆へ向かって緊張した面持ちで言った。
「これより脱魂———魂を抜く作業を行う。肉体は生命活動を停止するが、この瓶に入っている限り魂は消滅しない」
皆が固唾をのんで見守る。
だが、妙にそわそわして落ち着きが無い。その様子が気になった弘樹が横目でミキを見た。
「どうした?なにか問題でもあるのか?」
すると彼女は弱々しい声で言った。
「怖いのよ」
「なんだって?」
「だって人間から魂を抜くなんて、やったことがないもの」
人造人間は自身のボディに限界が来ると、魂だけを抜き取って新しい身体へ移植することが出来る。
ミキが行おうとしている脱魂の技は、人造人間達の間ではポピュラーではあるが、人間には行ったことが無かったのだ。
「さっきの浄化の光だって初めてなのよ。模倣のデータベースに無い事は苦手なの……凄く緊張するわ」
言いながらカタカタと細かく震えている。
「弘樹。私を抱っこしてちょうだい」
「は?」
「怖くて震えが止まらないの。後ろから抱きしめて。さあ、早く」
死にかけている河野を前にした緊張感の欠ける言葉に、皆はポカンと口を開けた。
「世話の焼けるお姫様だぜ」
言われたとおり、背後から強めに抱く。
「はあ。落ち着いてきたわ」
安堵の溜め息を吐くミキ。すると今度はユウマへ向かって
「あなたは私の手を握るのよ」と、命令した。
弘樹に抱かれ、ユウマに右手を握られたミキが、深い瞑想に入った。
河野はうつぶせのままガクガクと痙攣を始め、やがて動かなくなった。
それを見た弘樹が「……死んだ」と、低く呟く。
離れた場所でその様子を見ていた明美が、翔太へ抱きついた。
ミキの左手が空中で文字を描くように揺らめく。
すると、河野の背中から白い球状の魂が出てきて、ふわふわと浮かび上がった。ミキはそれをそっと試験管へ入れ、蓋を閉めた。
瓶を覗き込んだユウマが、不思議そうに呟いた。
「地球では、魂を見ることなんてできないのに」
「この星はオドが濃いので、全ての魂は半物質化する。きちんと修行をした地球人ならば見ることが出来るわ」
気づけば、繁華街の人達に取り囲まれ、人垣の輪ができていた。
ミキが皆へ向かって、早口で言う。
「あなた達は屋敷へ戻りなさい。弘樹は警護をお願いね。マリは家のことを頼むわ。私は長老達を招集して、現場検証と聞き込みをしてくるわ」
そう告げて、雑踏の中へ消えていった。
「ごめんね。わがまま言って」
弘樹の横に立ったユウマが、すまなさそうに言った。
「お前の決めた事だから謝らなくたっていい。だが、本当にこれで良かったのか?」
「うん。いい。たぶん合っている。どんな相手でも、見殺しにするのは気分が悪いから」
「そうだな。目の前で人が死んでいくのを黙って見ているだけというのは、違うよな」
ユウマは躊躇いながら弘樹の手を握った。
「また助けてくれたね。ありがとう」
「い、いや。なんてことはない。大丈夫だ」
弘樹が照れながら自分の鼻の頭をガリガリと掻いた。




