第91話 河野襲来、再び
温泉からの帰り道。商店街でその出来事は起こった。
路面電車が駅に着き、皆がホームへ降りたとき、近くの店から悲鳴と叫び声が響き渡った。
最後尾のユウマがそれに気づき、振り返って目にしたのは1人の男が店先から果物を強奪している様子だった。
その犯人は人々を跳ね除けながらこちらへ向かって走り、ユウマの姿を見て立ち止まった。
「お前、ユウマだな!?」
言われて身体がビクリと硬直する。
この声、聞き覚えがある。
河野だ。
「よくも俺をこんなところへ連れて来やがったな?ここは一体どこだ!?」
突き出た口元。黒い体毛で覆われた全身。そしてギョロリとした目玉。ハイエナの姿だ。
「俺を元の場所へ戻せ!学校へ戻せ!」
そう言うやいなや、突進してきた。
ユウマの蹴りがハイエナの太い首を捉え「バシン」という音が辺りに響いた。衝撃で飛ばされ、ゴロゴロと地面へ転がる河野。
「痛え!クソォッ」
素早く立ち上がるとユウマを睨んだ。
「女の格好をしやがって、このオカマ野郎め。その服を切り裂いて晒し者にしてやる」
彼は犬のように身をかがめて四つ脚になると、喉の奥から絞り出すような咆哮を響かせ、間合いを詰めるようにジリジリと近づいた。
「ずっと俺のものにしたかったんだ。お前の顔も身体も、俺の手でメチャクチャにしてやりたかった」
興奮し、目を血走らせた河野が数メートルの間合いを一気にジャンプした。
ユウマは身をかがめ、腕をクロスさせ衝撃に耐えようとした。
駅ホームを先に歩いていたミキと弘樹が異常事態に気づいて振り返ると、今まさにユウマへ襲いかかろうとしている河野の姿が飛び込んできた。
「行きなさい!」
ミキが叫ぶ。
「わかってる!」
弘樹の巨体が風のように加速し、ドン!という空気を貫く音が響き渡った。
それとほぼ同時に、ユウマの前に弘樹が出現した。
「どりゃああっ!!」
鋭い気合いの声と共に、河野の腹へ拳を突き立てる。そして再び加速。コンマ数秒で背後へ移動し、肩へ踵落としを喰らわせた。
うつ伏せに地面へ倒れた河野が苦しそうな唸りを上げる。
勝負は一瞬で決まったかのように見えたが、突然、彼の身体からヘビのようにうねる堕霊が立ち上がり、ユウマを目掛けて伸びた。
「危ない!」
爪を伸ばしたミキが堕霊の蛇を勢いよく弾いた。
尻餅をついたユウマが、震える手で河野を指差す。
「あ、あの黒いモヤ。ひょっとして!?」
「そう。オドの負の要素。堕霊と呼ばれているものよ」
「あれが……?」
「細かい説明は後よ。とにかく、彼を大人しくさせなくちゃ」
拳法のように構えたミキの両手から、輝くオドが弾丸のように連射された。
「ぎゃあ!」
全身にそれを喰らった河野がきみりもみ状に回転して倒れ、ヘビのような堕霊も力を無くしてダラリと垂れ下がった。
だが、しばらくすると堕霊は息を吹き返したように首をもたげ、再び暴れだした。
「オレも出来るかもしれない。一緒にもう一度やってみよう」
「え。あなたが?」
ミキの横に並んだユウマが両手のひらを河野へ向ける。そして「せーの」の掛け声と共に2人で気を込めた。
すると、2人を中心に光の輪が同心円状に広がった。突風が吹いたように木々や商店街を震わせ、その衝撃に驚いた人々がしゃがみ込む。
キラキラと輝く粒子状のオドが蛍のように周囲を飛び交う中、アゴが落ちんばかりにポカリと口を開けたミキと、自分の両手の平をまじまじと見つめるユウマが並んでいた。2人の様子は滑稽なほど対照的だった。
「こ、こ、これは浄化の光……完全体マスターの能力だわ!」
「すごい事できちゃったね。何かがスウっと抜けていくようで、変な気分だったよ」
ニッコリ微笑んだユウマだったが、ミキが半歩下がって微妙に距離を置く様子を見て首を傾げた。
「どうしたの?」
「な、何でもないわ。初見なので、ちょっと怖……いえ、動揺しただけよ」
気丈に言いつつも声はビブラートをかけたように震えている。怖がっているのは明らかだが、ミキは誤魔化すように「オッホン」と、何度も咳払いした。
「……で、いつから、この技が出来ると分かったの?」
「たった今だよ。ミキと一緒に頑張れば出来るかな、と思ったんだ」
「おい。ほのぼのとお喋りしている余裕は無いぜ」
押さえつける弘樹の手元では、河野が手足をバタつかせながら悶絶している。堕霊の蛇が浄化の光に怯え、逆に彼の体へ潜り込んでいるのだ。
「熱い!身体が焼けるっ!」
ミキは河野の胸に手かざしをして応急処置を試みた。
「素直に答えなさい。今までどこにいたの?」
「周囲は荒野だった。何日も歩いて、ここへ辿り着いた」
「大門と遠藤は一緒じゃなかったの?」
「知らねえ」
彼は苦しそうな呻き声を上げながらビクビクと身体を痙攣させる。
「痛え……助けてくれ。おい、ユウマ。お前のせいでこうなったんだ。俺を助けろ。助けさせてやる!」
弘樹が「ちっ」と舌打ちし「もう一度、ぶん殴ってやろうか」と凄んだ。
手をかざしていたミキが、肩を落とし首を横に振った。
「身体が溶け始めている……もう手遅れよ。堕霊がものすごい勢いで身体を崩壊させているわ……残念だけど、このまま死ぬわ」