第83話 明美の修行
カップ掴みという修行の第一段階を終え、生活に慣れ始めてきた4人は、次のステップへ進むことになった。
それは『それぞれに合った仕事をこなすこと』である。
翔太は修理工房、ユウマは雑貨屋、明美は定食屋、弘樹はミキの直属で働く総務係を任された。
「へえ、ミキはお姫様なのに自宅で商売をしているのか」
翔太がしきりに感心している。
「修行する人間達のために店を用意しているというだけよ。いつもは気の向いた時にだけ営業するわ」
「ちょっと待ってよ。どうしてアタシが飯炊きしなくちゃならないのよ。ひょっとして『炊事洗濯は女の仕事』っていう昭和的なアレ?人造人間なのに、意外と古くさい価値観なのねえ」
眉をつり上げた明美がイヤミたっぷりに言う。
だが、ミキはキョトンとした顔で尋ねた。
「価値観?何それ?」
「だ か ら、家事は女の仕事っていう考え方自体が昭和の……」
「あなたのスキルや日常の行動を見ると、最も適任だと思ったのだけれど、違ったかしら?」
「ま、まあ確かに料理は好きだし得意だけど……」
「では、問題無いわね。良き修行の一日となるよう励むが良い」
ニッコリと笑うミキ。
明美は何も言い返せなくなった。
マリに案内された場所は小さなカフェのような飲食店だった。
窓から差し込む朝の光が店内を照らしている。
「うわぁ」
思わず感嘆の声が漏れる。
四角いテーブルが4つとカウンター席が3つ。レトロな雑貨があちこちに飾られている。
「めっちゃイイ雰囲気の店ね。こういう店でアルバイトしてみたかったの」
ときめいている明美だったが、厨房に通された直後、頭を抱えて蹲った。というのも、見知らぬ調味料と食材がずらりと並び、用途が全く分からなかったからだ。この状態で何かを調理するのはさすがに無理だ。
見かねたマリがサポートに付いてくれた。
「この瓶に入っている黒い粉は香辛料です」
「コショウかしら?」
「この紙袋の中身は穀物で、主食にしている人もいます」
「確かにお米に似ているわね……これが冷蔵庫?」
「そうです。ここに魚がありますよ」
明美は厨房内部を探索して回り、その結果、使えそうな調味料と穀物、野菜と魚を見つけた。
「かまどに井戸水、肉は無し。まるで昭和ね。田舎に住んでいる私の婆ちゃんの家だって、こんなにレトロじゃないわ。はっはっは」
明美が腕組みしたまま、笑いながら怒っていた。
「ど、どうしましょう。早くなんとかしないとお客さんが来ちゃう……でも、私は手助けしか出来ないんです」
「知っているわ。っていうかアンタ達って人造人間なのに、どうして食べるのよ」
「食べる楽しみは理解できるし、実際、食物からオドエネルギーを摂取しているんです。まあ、そう考えると調理の必要は無いかもしれませんが、美味しいものを食べると嬉しくて楽しくなります」
ニコニコと返事をするマリ。
明美がフウと大きく息を吐き、真剣な顔つきで腕を組んだ。
「実は私、こう見えて理系が得意なリケジョなの。化学が大好きなのよ」
「へえ、そうだったんですか」
「あの非日常的で様々な器具に囲まれているのも好きだし、それを使ってキッチリ計量した薬品を混ぜたりするのも好き。その結果、いろいろな化学反応が起きる様子を見る事も好きなのよ」
「あ。その感覚、ちょっとわかるかも。試験管の中で薬品が様々な色に変化するのが綺麗ですよね」
「そう。それよそれ!やだ、ちょっと気が合うじゃない!」
ケラケラと笑いながらマリの背中を叩く。
「薬品合成なんて、机上で化学式を組み立てればいくらでもできるの。でも私はそれじゃ満足できない。実験場というフィールドへ飛び込みたいの」
明美が目の前に包丁とまな板をドンと置いた。
「で、なぜこんな話をしたかというと、料理と化学実験というのは似ているな、と常々思っていたのよ。レシピがわかっていて、キッチリ計測すれば必ず美味しいものが作れるの」
言いながら、お玉や菜箸などの調理器具をズラリと並べる。
「でも、本当に有能な化学者は、まさかという発想で誰も思いつかなかった事をやってのけたりするのよ。いま、私たちの置かれている状況は、まさしくそれよ」
「わかりました!私もその考えにノリます!」
明美が香辛料の入った瓶を手にする。
オドを使えば、持っただけで中身が味覚として伝わってくる。
「よし、決めたわ」
明美はメニュー表を全て回収して厨房の棚へ閉まった。
「あ、あの、一体何を……!?」
困惑するマリに向かって、明美は人差し指を立てて言った。
「こんな状態で、お客さんの注文を捌くのはムリよ。だから今日はシェフの気まぐれスープとパン、この二品のみで行くわ」
「了解しました、シェフ明美!」
マリが目元のVサインで応えた。




