第5話 空手道場の思い出
翌朝、ベッドから起きるのが辛かった。
背中の打撲と太股の筋肉痛に顔を歪ませながら、濡れタオルで冷やした。
昨夜の、あの奇妙な2人は何者だろう。
隠し童のコスプレやパン泥棒の事を知っているようだったけど、まさか、オレの正体がバレているとか?
最悪の事態を考えてしまい、ユウマは思わず首を激しく振った。
それにしても、奴らは異様に頑丈だった。オレの掌底突きは、確かに相手の鳩尾へ入っていたはずなのに、と自分の手の平をしばし眺めた。
小学生の頃、友達のいなかったユウマは近所の公民館へ入り浸っていた。そこへ行くと、空手教室が開かれていたからだ。
白道着の子供たちが正拳突きの練習をしている姿を、ユウマは窓から覗いて見よう見まねで練習していた。
そんなある日、師範のオジサンに声をかけられた。
てっきり叱られると思い、逃げようとしたのだが、逆に空手を教えてくれるようになったのだ。
ユウマが貧乏で月謝が払えない事を悟ったのか、オジサンは公民館の裏庭で指導してくれた。
「お前は筋がいい」
彼に褒められる事が嬉しくて稽古に励み、小学校5年生になる頃には初段を超える実力を身に付けた。
「俺が教えているのはケンカ空手だが、身の危険が迫った時に使え。同級生には手をあげるなよ」
オジサンのその言いつけをユウマはずっと守り、学校でイジメられても暴力で反撃する事は我慢していた。
「でも、昨夜のあれは例外だ。だって、妙な怪人に襲われそうになったんだもん。身の危険だよ」
手の平を見つめたまま言い訳のようにボソリと呟いた。
筋肉痛の脚は濡れタオルくらいでは治らず、諦めたユウマはそのまま無理やり登校した。
だが、授業が始まってからも空腹と疲労のためずっとボンヤリしていた。
「景安……くん……景安ユウマ君」
名前を呼ばれ、ハッと気がついた。教室の皆が自分に注目し、クスクスと笑っている。
そうか、いまは日本史の時間なのに、ぼんやりと窓の外ばかりを眺めていたから注意されたんだ。
教壇に立つ大門先生が中指で眼鏡をクイと上げ、こちらを見ている。
彼は30代後半の社会科教師だ。大学生のような若々しい顔と細身のスタイル、分かり易い授業と低音イケボは女子からの人気が高い。
「具合が悪いのなら保健室で休みたまえ」
「いえ、違うんです……すいません」
「大丈夫ですか?無理はしないように」
大門先生は心配そうに言い、少し困ったように微笑んだ。
終業のチャイムが鳴った。
日直の号令が終わり、大門先生が教室を出る間際、ユウマに向かって言った。
「景安君。この後、私の研究室へ来てください」
きっと説教だ。
心の中で舌打ちをしたユウマだったが、授業中にボンヤリしていた自分が悪い。そういえば、先日の単元テストの点数も悪かった。日々の空腹を満たすことを優先していたので、勉強そっちのけになっていたのだ。
仕方なく、先生の待つ研究室へ向けて廊下を歩いた。
2階の掲示板前を通りかかると、生徒達の人だかりが出来ていた。皆、新聞部が貼り出した号外に注目している。
『狙われる食料品。正体は隠し童か』
『害獣が侵入しているとの説も浮上』
そんな見出しと共に、校庭に散らばったパンの写真が載せられている。ユウマは忌々しげに横目で見た。
あれを朝食と昼の弁当にしようと思っていたのに、奴らのせいで台無しになってしまったのだ。